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モスクワでの出会い=パソコン盗難事件の遠因?
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モスクワに入って2日目に本隊が追い付いてきた。ベトナムからの参加者10数名とローマから我々日本人と一緒に行動する部隊も加わって、総勢110名ほどに膨れ上がった。それが3台のバスに分乗して行動する。私は若いLZ神父が責任者を務める2台目のバスに補佐格で乗ることになった。
初日、赤の広場に向かった。大勢の観光客でごった返していたが、特に中国人の多さが目を引いた。広場は110人が一緒に行動するには適さない。決められた時間にバスを降りた場所に再結集して、そこからバスが待機する大駐車場まで一緒にあるいて移動する手はずが周知されたのち、自由解散した。
赤の広場の一角にあるワリシー寺院 その奥はグムデパート
広場は、レーニン廟やワシリー寺院や土産物屋など、気を引くスポットには事欠かないが、時間は限られているので各人が行く先を選択しなければならない。
時間になると、日本人の多くはほぼ間に合って戻ってくる。日本育ちのイタリアやスペインの宣教家族の子たちも決められた時間の10分過ぎぐらいには三々五々集まっている。点呼して一人でも戻っていないと、全員が足止めを食う。さっそく数名の捜索隊が放たれるのだが、浜辺に落とした真珠を探すようなものだ。
赤の広場ではテレジアが戻ってこなかった。東京の共同体のメンバーだというが、私は顔を知らなかった。幸い、一人が彼女を見つけて連れ戻ってきた。よかった、みんな助かった!
そのとき、LZ神父がそっと私にささやいた。「テレジアは日本人のような顔をしているが、実は中国人留学生で、来てまだ1年にもならない。日本語は勉強中だが、たどたどしくまだよくわかっていないところがあるようだ。それに、どこかポーっとしていて、成田からここまでの間もハラハラさせられた。これから先うまくついていけるか心配だ。彼女が迷子になると全員が困ることになる。だから、それとなく目を離さないでいてくれないか。」
なるほど。了解!
責任者は要所要所で大声を枯らして次の行動の指示をするのだが、周りのざわめきにかき消されてよく聞きとれないことが多い。私など、老人が迷惑をかけては申し訳ないと、責任者のそばに寄って耳をそばだてるのだが、あの子は遠いところであさってのほうを向いてぼんやり立っている。日本語が不十分でどうせ耳を傾けても要点が正確に呑み込めないのかもしれない、とも思えた。
そこで私は彼女に「テレジア。今日からわたしがあなたの世話をすることになった。あなたも迷子にならないようしっかり私についていらっしゃい」と言った。
彼女は素直にうなずいて、その後は互いを見失わないほどの距離を保って行動することになった。
さて、皆がバスで移動する場面になった。大型バス3台に110人だから、どのバスも座席には余裕がある。平均20歳台前半の若者集団にとって、リーダーの若い神父たちはお兄さんかお父さん格だが、76歳の私は彼らの「ジージ」(お爺ちゃん)の世代だ。だから、普通は敬遠されて誰もあえて私の隣に座ろうとはしない。早々にがらんとした車内に乗り込んで、前から3列目ぐらいの窓際に陣取っていても、若者たちは私には目もくれず仲良しと一緒にどんどん空いた席を埋めていく。
そこにテレジアが一人で乗り込んできた。まだ日本語が不十分な彼女は、日本人の女の子の仲間にすっかり溶け込んでいる風ではないように思えた。かといって、イタリア人やスペイン人の顔をしていながら日本語がペラペラの宣教家族の子供達の群れにも属していない。暇さえあれば一人離れて海の向こうの母親と中国語でスマホ会話に夢中になる様子も見えて、どこかはかなくソリタリーな空気を漂わせている。
私の横を通り過ぎて後ろの若い女の子たちの中に席を見つけてくれるならそれが一番だと思った。どうせ閉じた空間の中では目を離しても迷子になる心配もないし・・・。ところが、彼女は何となくもじもじ通路に佇んでいるから、つい「よかったら隣に座ってもいいんだよ」と声をかけてしまった。かけてから内心「しまった!」と思ったが、もう手遅れ。彼女は何のためらいもなく私の隣の席に納まった。
団体バス旅行では、たまたま座った席の居心地が特に悪くない限り、乗り降りのたびに毎度席を変え回ることを人はあまりしないものだ。たちまち、どこも馴染みの組み合わせで落ち着いてしまうからだ。
そんな中で、神父というものは、中性的にすべての信者と等距離にいることが期待され、またそう身を処するのが安全というものだ。それなのに、76歳のお爺ちゃんと18歳の孫ほど年の離れた中国人の女の子が巡礼中ずっとくっついて座っていたらきっと目立つことになるぞ、というアラームが頭の隅で鳴っていたが、もう手遅れかもしれない。エイ、ままよ、と開き直る思いもあった。
案の定、最初の一日、二日は、おせっかいな何人かが二人を引き離そうとやっきになって工作したのだが、いつもその場限りで功を奏さない。口実を設けて彼女を別の席に移しても、次の機会には磁石が引き合ってピタッとくっつくように、また僕の隣にいる。みないい加減あきらめて、以来その状態が維持されることになった。
バスの車内で彼女ははいろんな話をしてくれた。語彙が圧倒的に不足する中、漢字の筆談も加えて懸命に話そうとする姿に好感が持てた。中国では自営業の富裕層の両親のもとで恵まれた生活をしているようだった。アメリカやヨーロッパには行かず、日本の私立の美大でデザイン科に入りたいと夢を語った。日本で ≪ダーイスキ≫ なのは、どこへ行ってもトイレがきれいなこと。とか、小動物など生き物なら何を見ても、日本人の女の子がきっと ≪ワー、カーワイイ!≫ と言いそうな場面で、思わず ≪オイシソー!≫ と正直に言ってのける意外性など、まだ見ぬ中国の生きたしたたかな姿が私の眼前にイメージされて、私の興味を大いにそそるものがあった。
バスを降りると、なるべく遠くから見失わないように気を付ける程度に距離を置くのだが、あらかじめバスに積み込まれていたビニール袋入りの昼弁当のサンドイッチと水が配られて食事の時間になると、目が合って、あの磁石の原理が作用してピタッとくっつくように、自然に一緒に木陰に腰をおろすことが多くなり、いつの間にかすっかり仲のいいお爺ちゃんと孫娘のカップルのようにになってしまった。
だが、これがまさかポーランドでのパソコンとカメラの盗難事件につながる遠因になっていたとは、その時わたしは夢にも思っていなかった。
では、なぜそうなったのか?
それは、次のブログで順を追って詳しく説明することにしよう。
(つづく)