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「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」
の誤解を解く(そのー3)
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このブログの本文を読み始めて「アレ?これ、どこかで読んだ気がするゾ!?と不審に思われる方がおられたら、私は嬉しいです。あたりー!です。
事実、私は1月28日に「アフリカに学ぶ -失敗は成功のもと-」の題で酷似した一文をアップしました。今回、それを別の題のもとに採録するのは、前回「アフリカ・・・」という書き出しに惑わされて、後半の内容がこの「誤解を解く」シリーズに直結した私からの重大なメッセージに気付かれた方が少なかったように思われたからです。
結論を先取りして簡単に要約しましょう。
今回の【教皇庁立】「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」(東京)設立の聖座決定に関しては、
≪19年前に日本の司教団の総意に基づいてせっかく閉鎖に追い込んだはずの高松教区立「レデンプトーリス・マーテル」神学院は、その消滅を望まれなかったベネディクト16世教皇の手によってローマに移植され、教皇あずかりの「日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院」としてローマで生き延びてしまった。
その後、新求道共同体の熱烈な支持者のフィローニ枢機卿は、新教皇誕生のどさくさに紛れて ―教皇の名を語って― 個人プレーで同神学院の東京への強襲上陸を画策した。
しかし、日本の司教団は再び団結して、それを無事水際で阻止した。それが今回の「保留」の背景にある真実だ。この「保留」により、高松の神学校問題は、やがて永久に忘れ去られていって最終決着を見るだろう。20年もかかったが、やっと終わった。≫
と言う空気が流れているように思われます。
しかし、私に言わせてば、これは、全くのとんでもない「誤解」の数々の上に築かれた、真実を全く見誤った考えのように思われてなりません。
以下の文章がそういう視点から書かれたものであったということを念頭に、もう一度読み直していただけるとありがたいです。
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キコの2作目の本「覚え書き」(Annotazione) のカバーの半分を展開したもの。左端の縦の細い部分が本の背。真ん中が表紙。人物は若かりし頃のキコ。右はカバーが内側に折りこまれる部分。
私はいま、キコの第2作目の本 ―題名を直訳すれば「覚え書き」(1988-2014)ですが、実際は「霊的日記」とか「魂の叫び」とか言う題がふさわしい本― の翻訳中です。
イタリア語版は2016年の末にはローマの一般書店に並びましたが、私が著者の同意のもとに翻訳に取り掛かって以来、様々な出来事のために何度も長い中断を余儀なくされました。いま束の間の静けさに恵まれ、ようやく日本語の3度目の推敲を終えようとしています。今日、500編余りの断章の中の211番を読み返しながら、急にブログに取り上げたいという衝動に駆られました。まずその部分を味わってください。
211. 私たちはアフリカで、テントの中に居る。昨日、素晴らしく美しい大自然の只中で、黒人たちは木の枝と花を持った腕を動かしながら私たちを歓迎するために歌ってくれた。私たちはキリストを告げ、かれらは私の言葉に喝采しながら、驚きをもって聞いてくれた。
≪今日、この時、良い知らせを信じなさい!約束された霊を今受け取ることが出来るよう回心して信じなさい。その霊はあなたの中に住んで、人を赦すことが出来る力をあなたに与え、新しい形で人を愛することが出来るようにしてくださいます。この十字架をご覧なさい。彼はあなたのために死なれ、ご自分の不滅の命とご自分の霊について、あなたのために御父に遺言されまし。今それを信じなさい。
私があなたたちに話している間にも、イエスご自身が御父の前であなたのためご自分の栄光の傷をお示しになっています。
今日、私は大天使ガブリエルで、あなたはマリアです。彼女と一緒に言いなさい。「はい、あなたの告げたことがお言葉通りに私の中で成就しますように」と。
信仰は聞くことから来る。聴きなさい!神はあなたを愛し、あなたを罪の奴隷から、愛情に飢え渇く苦しみから、利己主義から、絶えず自分の快楽を追い求める恐ろしい奴隷状態から、傲慢から、色欲から、賭博から、飲酒から、憎しみから、対抗意識から、妬みから・・・開放することを望んでおられます。これら全ては苦しみのもとだ・・・。
主の霊は私たちに伴い、私たちの言葉が虚しく消えることを許されない。私たちが語ることは、主がそれを成就される。彼は全ての君主、全ての権能と支配の上に揚げられた主(キュリオス=Kyrios)である。彼は諸聖人を伴って生きているものと死んだものを裁くために栄光のうちに帰って来られる主である。ご自分の体においてすべての正義を成し遂げるために、すべての人のために死なれた彼は、彼において、彼の体によって、罪のため捧げられ嘉納された芳しい香りの生贄としてご自分を捧げ、罪の赦しのために回心を説かれた。
私たちの解放と罪の赦しの保証としてキリストは復活された。人類はキリストにおいて赦された。また、私たちを新しい被造物とする霊を受け取ることが可能になった。私たちを彼に似たものとして、聖霊を通して、神の子として、ご自分の本性に与らせて下さった。すべての貧しいもののための勝利!回心して良い知らせを信じなさい!洗礼を受けて、聖霊を受けなさい。無償で!私たちの業によってではなく、ご自分の血とご自分の受難の果実として、彼に栄光がもたらされますように。≫
アフリカ!神はお前を愛しておられる。聖霊に歌を捧げるあなたの貧しいひとたちをどうか受け入れてください・・・。彼らがどのように聞き、どのように祈ったか、それはとても素晴らしかった。
アフリカ!ここはケニヤ、過去19年間の宣教で一番特筆すべきことは、それが徹底的に失敗だったことだった。常に拒否された。宣教師たちは我々を望まず、我々を「競争相手」と見なした。司祭が替わると、共同体を少しずつ、少しずつ殺していくのだった。19年後の今日、ケニヤ全体でたった7つの共同体が存在するだけだった。しかし、すぐにすべては変わるだろう。失敗することはキリストに倣うこと。失敗することは勝利すること!
212. 失敗の中で耐えしのぶことは命を与えること。命を与えることは福音を告げること。
私はこれらの言葉を読んで、とても他人事とは思えませんでした。日本における新求道共同体の活動は、私がこの「道」と出会って以来、私の関わった部分に限って言えば、失敗に次ぐ失敗、挫折に次ぐ挫折の連続でした。
私はいま理解しました。キコがケニヤで19年間経験したのと同じ挫折を、私もいま日本の教会の中で経験しているのだということを。
つまり、失敗することはキリストに倣うこと、失敗することは勝利すること!失敗の中で耐えしのぶことは命を与えること。命を与えることは福音を告げること、だということを。
1988年に聖教皇ヨハネパウロ2世が世界で最初のレデンプトーリス・マーテルの神学校をローマに開設されて以来、この30年間でその姉妹校は世界中で増え続け、今日では120校以上を数えるまでになりました。今や、主要な国でその姉妹校を持たない国は日本ぐらいなものでしょうか。
実は、日本では1990年に他の国々に先駆けて世界で第7番目の姉妹校が高松教区に生まれました。私はその誕生の最初から関わってきました。しかし高松の司教様が替わられると、その神学校は日本の全司教の一致団結した反対で閉鎖に追い込まれました。それを惜しまれたベネディクト16世は、慈父の愛で「日本の将来の福音宣教に役立てるために」とそれをローマに移植され、以来、同神学校は10年余りにわたり教皇預かりの「日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院」として命脈を保ってきました。
しかし、ベネディクト16世が生前退位されると、新しい教皇フランシスコは熟慮の末、「教皇庁立」の「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」を東京に設置する方針を打ち出されたことは、昨年8月の東京教区のお知らせで公に知らされた通りでした。
それが、その後の東京教区ニュースには、「8月末にお知らせした、教皇庁福音宣教省直轄の神学校設立の通知に関しては、現在、保留となっているとのことですが・・・」と、まるで他人事のように小さく触れられていることに目を留められた方がどれだけおられたでしょうか。
私は咄嗟に、10年前に高松の神学校が、教皇様の慰留を押し切って、日本の司教方の一致した固い意志によって閉鎖に追い込まれたときのことがフラッシュバックしました。
現教皇様が熟慮の末に決断され通知され、すでに日本の信徒に公けに発表された決定が、理由も告げられず「保留」になるなどということは、その裏によほど深刻な事情がなければ決してあり得ないことだと直感しました。
今起きている誤解と混乱は「教皇庁立のアジアのための神学院」が「レデンプトーリス・マーテル」という言葉を名称の一部にを含んでいたことからおこったとおもわれます。そのために、この教皇庁立の神学院が、世界に展開する120余りの「司教区立」の神学院と同列、同格のものの一つに過ぎないと誤解されたのでしょう。しかし、もしもそうであったら、あえて「教皇庁立」にする理由がないことぐらい、教皇であれば見誤るわけがないではありませんか?
では、この度の教皇が設立を決意した「教皇庁立」の「アジアのための神学校」とはどういう性格のものになるはずなのでしょうか。
歴史をふり返ると、世界中の宣教地域の聖職者の高等教育を一手に担ってきた機関としては、ローマにウルバノ大学を持つ「教皇庁立」の歴史と伝統に輝く養成機関がありました。アフリカでも日本を含むアジアでも、およそ宣教地域と認定されたところからのエリート司祭、将来の司教や枢機卿の候補者の多くが、「教皇庁立」ウルバニアーノ神学校で養成されてきました。
今回の「教皇庁立アジアのための神学校」計画は、そのウルバノ神学校の機能を二分し、東京にその分身を置くことにより、地球の西半球の宣教地は従来通りローマのウルバノ神学校で、東半球は新設の東京の「教皇庁立アジアのための神学校」でカバーしようという、第三千年紀に向けたバチカンの壮大な宣教戦略転換の根幹をなすフランシスコ教皇自身の英断だったと私は見ています。
なぜなら、ベネディクト16世に救われてローマに移されたまでは良かったが、その後10年間、一向に日本への帰還の目途が立たなかった元高松の神学校を、いっそのこと「教皇庁立」として戻しては、という進言が寄せられていたのに、福音宣教省長官のフィローニ枢機卿は、「前例のないことはできない」と再三にわたって選択肢から除外されてきた経緯から見ても、それがフィローニ枢機卿から出たアイディアだということは、絶対にあり得ないと思われるからです。
2000年の教会の歴史に前例のない新しい選択をするということは、忠実な一高級官僚レベルでは無理で、やはりトップである教皇様自身の発想と決断が不可欠だったのでしょう。
聖教皇ヨハネパウロ2世が奇しくも予言された通り、2001年からの第三千年紀が「アジアのミレニアム」であるとすれば、その中心拠点としてフランシスコ教皇様が東京を選んだのは全く理に適っていると私には思われます。過去数百年の歴史を顧みれば、文化的にも、国際政治・経済・技術・金融のどの面をとっても、要するに「地政学」的に見て、「日本・東京」以上にバランスの取れた候補地をアジアの他の場所に見つけることはほとんど不可能でしょう。
いま葬り去られるかもしれない危機に瀕しているのは「ネオの司祭を作る神学校」などと言う次元の低いスケールの小さい話ではなく、聖座が教会の未来の命運をかけて描いた「第三千年紀のアジアの福音宣教の拠点」という重大な構想ではないでしょうか。はじめは小さく生まれるかもしれませんが、やがて聖座のアジアでの活動の中核となる可能性を秘めた大きな構想であると私は理解しています。
もしこの「保留」が長引けば、教皇の今年11月の訪日計画の中の重大な目的の一つかもしれないの神学校(ウルバノ神学校の分身)設立のお披露目という大きな目的を欠くことになるのが惜しまれます。
まだ水面下で動きがあり、最終決着がついていないのだとすれば、今後の展開から絶対に目が離せません。
最期に断っておきますが、いま私が書いているこの一連のコメントは、司祭谷口幸紀一個人の私的見解であって、「道」の内部に見られる意見を反映するものではなく、ましてや「道」の公式見解などでは全くありませんので誤解のないようにお願いいたします。