:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 急速にプロテスタント化するカトリック教会 (その-2)

2013-01-09 13:09:20 | ★ 神学的省察

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急速にプロテスタント化するカトリック教会 (その-2)

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先日バチカンポストに郵便物を持って行こうとして、大聖堂の正面の道に入ってびっくりした

サンピエトロ寺院のクーポラ(まる屋根)がないのだ すっぽりと横に切り取ったように無い!

これは珍しい写真になるぞと ところが 駐車するスペースを探してモタモタしているうちに ぼんやりと見え始めた

畜生! まことに残念 シャッターチャンスを逃した ちょっと3分遅かったか!!

曇りの日 離陸した飛行機が突っ込むあの雲が 珍しく一瞬100メートル以下まで降りてきた感じ・・・

だったのに これではただの霧の中みたいではないか でも嘘ではない ほんとだったんですから!

しばらくは 両側の小さな丸屋根も見えなかったのだから・・・・



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ポストから帰ってきて部屋の窓の外に目をやると


わたしの部屋の窓の正面に去年まで高い糸杉の木があった

植木屋さんがバッサリ切る前は この幅でまだ上に5-6メートルは伸びていて

その先端はさらに先細りに天を刺していたのだが 切られて一旦は横一直線に平らになった

今はまた 左の一部が天に向かって伸び始め残りの部分もギザギザになってきた

それ以来 この空中の高台は スズメたちの格好の井戸端会議場になっている

その議論が伯仲すると チュンチュン シリシリ その喧しさは半端ではない

中には 好奇心強いのが 私の窓ガラスのところまでやってきて 

ノートパソコンの見えない画面を読み取ろうと しきりに首をかしげる

そして ぶるぶるっと羽音を残して会議場にもどり 報告して 曰く


今日のブログのテーマは 「プロテスタント改革と聖職者の廃止」 らしいぞ! 


 プロテスタント改革の特徴の一つは、独身主義聖職者の廃止と考えられます。その根拠はいわゆる「万人司祭」の考え方に基づくものですが、プロテスタントの教会は聖書的にもその立場が裏付けられると考えているようです。もともとカトリック教会にも、洗礼を受けたものは皆等しくキリストの王的司祭職の与るものとする考えがありました。洗礼を受けた信者は、自然にはほとんど皆結婚するでしょうから、司祭が独身でなければならないという話はそこからは出てきません。

 キリストが2000年前に自分の教えを広め始めたとき、先ずガリレアの漁師たちから始めて弟子たちを集め12使徒を形成したのですが、弟子の頭とされたペトロはイエスと年恰好は似たようなもの、もしかしたらイエスよりいくらか年上だったかもしれません。

 当時のユダヤ人社会の習慣によれば、男女の結婚適齢期は今よりはるかに低かったと思われます。ヨゼフの許嫁、イエスの母マリアが受胎告知を受けたのは12-3歳の頃ではなかったでしょうか。イエスが30歳でまだ独身だったことがむしろ例外で、弟子たちは、イエスに特別愛された若いヨハネを除いて、おそらくほとんど皆結婚して家庭があったに違いありません。

 彼らはイエスに弟子として召されたとき、漁師だったものは舟も網の親も捨てて、すぐにつき従ったとありますが、ペトロには姑がいたし―と言うことは妻もいたわけで―弟子たちもみな信者である妻を連れて歩いていたと考えられます(1コリント9章5節参照)。恐らく、イエスが弟子たちと伝道の旅をするあいだも、弟子たちの家族は、ぞろぞろ、ワイワイ、遠巻きについて歩いたのではないでしょうか。

 キリストの復活後の教会では、弟子たちに育てられた教会の指導者たちも、みな既婚者でした。聖書にも「だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。」(1テモテ3章2節)とか、「奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。」(1テモテ3章12節)とか、「長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって・・・・。」(テトスへの手紙1章6節)とあります。

 これら、初代教会で監督、奉仕者、長老と呼ばれている役職の者は、今のカトリック教会で言えば、おおむね司祭や司教に該当すると考えられるのですが、みな一人の妻の夫であること、つまり既婚者、妻帯者であることを当然の前提としています。このように、聖書を見る限り、司祭、司教が独身でなければならないという根拠はどこにもないようです。

 私は学生時代に興味を持って、東西教会の分裂(ローマを中心にした西ヨーロッパの教会とコンスタンチノープルを中心としたギリシャ正教会)の頃の司祭の独身性の問題を調べたことがありましたが、そのころの記憶をたどると、11世紀ごろまでの西側の教会では、もともと独身制の修道者や隠遁者は別として、世俗の司祭、司教の間では初代教会からの伝統に従っていて、普通に皆結婚していたようでした。ギリシャやロシアの東方の教会も伝統的に今日に至るまでそうです。


なんだか話が面白そうだと 集会に参加するスズメの数が増えてきた

ブログの記事の進み具合を偵察に来るやつもいる


 話はちょっと飛躍しますが、共産主義のソ連がまだ崩壊する前、日本とソ連との間には領土問題が未解決なため国家間の平和友好条約がなく、その欠陥を補うために、民間団体を装った日ソ円卓会議という交流機関があり、私は何故かソ連側から一本釣りで日本のカトリック教会の代表の指名を受け、正式メンバーとして参加していた時期があります。日本の宗教界は各宗教各派がそうそうたる代表を送り込んでいる中で、日本のカトリック教会によって選ばれたのではない私の存在はいささか異例ですが、それは日本のカトリック教会がソ連のロシア正教とではなく、アメリカに亡命中のロシア正教と繋がっていたねじれ現象の結果でした。

 毎年モスクワと東京で交互に開催される会議には、ソ連では必ず招待のオプション観光ツアーがついていて、お蔭で私はソ連中を観光することができたのですが、たまたまある年はその後原発事故で有名になるチェルノブイリに近いウクライナのキエフに招かれ、そこのロシア正教の大主教のオフィスに表敬の挨拶にそろって参りました。ロシア正教の黒の僧服に金の十字架を下げ、髭を蓄えた大主教様は大変威厳に満ちたお姿でした。そして、「今夜はオペラ座に皆さんを招待いたします。」と言われ、一旦は別れたのですが、オペラ座で大主教に再会した我々日本からの一行は度肝を抜かれました。

 彼は、シックな背広姿で、美人の奥様と、立派なご子息たちをずらりと伴って現れたからです。バチカンで枢機卿の執務室に表敬訪問した晩に、オペラ座で背広姿の枢機卿とその奥方と子供たちに会うなんてことは絶対にありえません。現代のカトリックは厳格な独身制の世界だからです。


もう少し静かにしてもらえませんか スズメさんたちよ

気が散って書けないじゃないですか もう!

 

 話をもとに戻します。西ヨーロッパが中世の封建社会に入ると、農奴や小作人を抱える封建領主に富と権力が集中するようになり、司教や大修道院長も宗教貴族として世俗の領主と同じ特権階級になっていくわけですが、その地位をめぐって権力争いや跡目騒動など、聖職者に相応しからぬ様々な弊害が現れるようになり、それを防ぐためにクリューニ-の改革などの修道者主導の教会改革の一環として、西側教会の世俗の司祭司教達に、かなりの抵抗を押し切って、強引に修道者並みの独身制を押し付けていった形跡があります。

 もともと、司祭に独身を強要するというのは人間の自然の本性に逆らう人為的な制度ですから、中世ヨーロッパ社会の歴史を通して、無理や矛盾を内包しながら、建前と本音を使いわけた緩やかな運用が黙認された面もあったでしょう。富と権力を掌中に収めた男が次に考えることは考えなくてもおよそ決まっているではありませんか。教皇や枢機卿などの高位聖職者が、御殿に住み、別荘を構え、お妾さんまがいの女性を半ば公然と囲う傾向が全くなかったとは言えません。

 有名な例としては、ルネッサンス期の教皇アレクサンデル6世の庶子チェザーレ・ボルジアの存在や、教皇パウルス3世の実の孫アレッサンドロ・ファルネーゼを14才で枢機卿にした例などがあります。このような例からもわかるように、建前上は独身主義を導入した後も、高位聖職者の縁故主義(ネポティズム)の弊害は後を絶たなかったようです。上がそうなら、身分の低い末端の平の司祭たちだって、清貧で潔癖な聖なる司祭ももちろん常にいたでしょうが、いい加減なのがたくさんいたとしても、どうか躓かないでください。中世日本の仏教界とくらべても50歩100歩ではなかったでしょうか。

 プロテスタントの改革による聖職者独身制度廃止の動きは、そのようなわけで11世紀ごろに人為的に導入したものを、本来の初代教会の姿に戻しただけのことと言えるのかもしれません。

 問題は、むしろプロテスタント教会が独身聖職者制度そのものを廃した後のカトリック教会の対応でした。

 トレントの反宗教改革を目指す公会議では、司祭の独身制はより一層厳格に行われるようになったようです。以来、今日の日本のカトリック教会に見られるようなタイプの独身司祭制度があるのです。長年のネポティズムの弊害も、1692年にイノケンティウス12世が教皇による親族への財産や土地贈与を禁じたことによって、ようやく取り除かれたと言います。


何かブログの話の筋が混乱しているようですね 神父さん?

それはお前達がうるさいからではないか 静かにしてくれ ほっといてくれ~!


 では、ブログの題に「急速にプロテスタント化するカトリック教会」と言うからには、現代のカトリック教会が、司祭職への召命の目立った減少に対応して、司祭の独身性の撤廃に急速に傾いているかと言うと、現実はどうも全く逆だったようです。

 子供の遊びに、「あっち向いて、ホイ!」と言うのがあるじゃありませんか。母親と幼い子供が、或いは下校時の通学電車の中で小学校低学年の女の子たちが、夢中になって笑い転げているのをいつもほほえましく眺めたものですが、私など真面目に一発で引きこまれるタイプで、相手の子供の指が左を指せば、私の顔は条件反射的に右を向き、その指がホイとばかりに下を指せば、馬鹿みたいに上を向く、の類です。間違って子供の指の方を向いてしまったら、負けたと言って悔しがり、相手の子供を大いに喜ばせてしまいます。

 私に言わせえれば、16世紀の宗教改革とそれに対抗したカトリックのトレントの公会議は、そのパターンに嵌った典型例ではないかと思うのです。

 プロテスタント改革者が、司祭の独身制廃止!司祭職そのものも廃止!全ては信徒の手に!と叫んで、あっち向いて、ホイ!とやったら、カトリック教会は、何も考える前にその一つひとつに反射的に、今こそ厳格な独身制を! 司祭職の強化を! 信徒は蚊帳の外のただの傍観者に! の方を向いてしまったのではないでしょうか。そこには冷静な歴史的考証、時代の空気に対する感性も、ほとんど機能しなかったのではないかと反省されます。

 この条件反射の自己暗示から、カトリック教会がハット我に返ったのが1965年に幕を閉じた第2バチカン公会議だったのではないでしょうか。

 あれ?私は一体何を書いているのでしょうか?

「急速にプロテスタント化するカトリック教会」

 について書くはずではなかったでしょうか?それなのにほんの短い導入のつもりが、脱線してすでに一回分のブログの目安の長さをはるかに越えてしまいました。しかたありませんね。一旦ここで区切らせてください。

 しかし、私はしつこく表題のテーマに立ち還り、「カトリックのプロテスタント化」を必ずしっかり書き切ります。ですから、どうか次回以降をお楽しみに。

(つづく)

 

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4 コメント

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Unknown (Fran)
2013-01-10 17:18:55
ブログ見ました。昔聖職者が自分の身内の者を贔屓して高い位に就けていたことは、学校で習いました。独身制ならこの心配はなさそう。あと、独身だと生活費がかからず、信徒に余計な負担をかけませんね。プロテスタントは献金が高いそうですね。貧乏信徒にはきついとか。
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Unknown (Unknown)
2013-01-11 12:39:13
RonBroZo 脱原発&反TPP ‏@RonBroZo
@johntaniguchi カトリックは歴史的な伝統上からプロテスタントと別にやっているだけで、現実的には融合するのはいいことなのではないかとも思います。ところで日本のキリスト教徒は原発問題では硬・軟あるようですね。先生のスタンスはどんな感じでしょうか?
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Unknown (谷口)
2013-01-11 12:41:18
私は基本的に反原発です。
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私もブロテスタントかも (一カトリック信者)
2013-12-31 03:16:05
私が教会へいくのはミサが目的ではなく、コーヒ―ショップでおしゃべりするのが目的です。
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