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ふと思うこと。煉獄(れんごく)って本当にあるの?
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その答えは「ある!」です。
確かに、「カトリック教会のカテキズム」という日本語版で 839 ページに及ぶ書物の中に記載がありま。
「カテキズム」は「教理問答集」とか「教理教育の手引き」とか言われるカトリックの信仰内容を分かりやすく解き明かした本と言えばいいでしょうか。(うまい訳が見つかりません。)
その「カトリック教会のカテキズム」の中の309ページに、たった1ページだけ、さりげなく「最終の清め・煉獄」という項目があります。
その内容を分かりやすく言えば、誰かが死んだとき、まっすぐに天国に入れてやれるほどの聖人ではないが、さりとて、根っからの極悪人でもなかったから、地獄に追いやるには忍びない。だから、なんとか天国に入れる程度まで清くなるように、しばらく煉獄で火にあぶられて浄化の苦しみを受けなさい、ということでしょうか。
教会がそう教えろというのであれば、痛くもない腹を探られて異端神父と言われるのも不本意だから、人にはそう教えますが、なんともお尻の下がムズムズして、すわり心地が良くありません。
聖書をひっくり返してみたり、神学者たちの膨大な論文を精査するために時間を費やしたりするつもりは更々ありませんが、ごく常識的に、生活感覚として、私の困惑している状態を率直に吐露したいと思います。
今年のはじめ頃から、大分の平山司教様の容態があまりよくないという話は耳にしていましたが、3月のはじめに、いよいよその容態が悪化して、主治医の見立てではあと1週間しか持たない、というニュースが飛び込んできました。
すわ、一大事! 平山司教様と言えば、高松からローマに避難疎開していた「日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院」の院長様で、私はその秘書として10年余りローマで寝食を共にしてお仕えした上司ですから、お亡くなりになる前に是非いちどお見舞いをしたいと思いました。ところが、神父業の悲しさ、雑事に追われてやっと大分にたどり着いたときには、医者の宣告した1週間をわずかに過ぎていました。
せめてお通夜に間に合えばという切ない思いで司教様のお家にたどり着いたら、幸いにもまだ生きておられました。
枕もとに名乗り出たら、意識もはっきりしておられ、手を握る私に、目を開いて「一緒に過ごしたローマはよかったね。毎晩枢機卿様にご挨拶してから床について、いい夢を見ましたね」、と優しく述懐されました。
これは、私と司教様だけにわかる説明を要する隠語を含むお話です。
解読すると、晩の祈りの後、神学校の食堂で大勢の神学生とともに夕食を いただくと、司教様と私は同じ3階の部屋にいったんそれぞれ退きます。小一時間ほど頃合いを見計らって、私は司教様のお部屋に行き、戸棚からブランデーとグラス二つとチョコレートの小箱をテーブルに並べて、その日最後の儀式をいたします。
そのブランデーは「カルディナール・メンドーサ」という銘柄で、カルディナールはカトリック用語で教皇に次ぐ位の枢機卿の意味なので、ブランデーを寝る前の二人で味わう儀式を、「メンドーサ枢機卿様にご挨拶申し上げる」という話になるのです。
実に喉越しのいい高級ブランデーで、それにひとかけらのチョコレーと実によく合うのです。
瀕死で明日にもご臨終かと言われた司教様との今生の別れの話としては、実に粋な会話だと思いました。
そして、私の耳元に「もう数日前から私は天国の門の前に佇んでいるのに、なかなか門は開かない」とつぶやき、さらに声を潜めて「あのね、今の時間はまさに煉獄だよ!」とささやかれたのです。
私は何とも心温まる思いとともに、後ろ髪をひかれる心地して大分を後にしましたが、その後、老司教様がお亡くなりになったという知らせはいまだに届いていません。3月末が99歳のお誕生日でしたから、あれから4カ月、この勢いでは100歳のお誕生日まで生きられるのでは、という声さえ聞こえます。
他人の世話になるのが人一倍お嫌いで、秘書の私にさえ過剰なお世話を拒まれたほどの司教様ですから、生きるために日々何から何まで人の介護に頼らなければならない生活は、どれほどお辛いことか私にはよくわかります。聖なるご生涯を送られた司教様が、こんなに長い「煉獄」の試練を耐え忍ばなければならないとは、まことに不思議なことだと思いました。
私は、司教様のお姿を見て、カトリック教会が教える煉獄とは、死んでからのあの世のことではなく、生きているうちに済ます清めの業のことか、と悟りました。それならば納得です。「カトリック教会のカテキズム」はその短い記述の中で、「教会の伝承では、聖書の若干の個所にもとづいた、清めの日というものを取り上げています」と述べて、(註)のところで1コリント3・15と1ペトロ1・7を挙げていますが、それらの聖書の個所を読んでみても、私には無理なこじつけのようにしか思えませんでした。
日本人は死んだら斎場で煙と水蒸気とわずかな灰になって、肉体は滅び、五感は完全に封じられます。私は神父という職業柄、多くの人の死とお骨拾いに立ち会いましたが、私はいつも深く思います。
この人もまた、肉体を失い、新・旧約聖書の随所に見受けられる言葉のように、「先祖とともに深い眠りについた」のです。肉体が滅び、五感が封じられた瞬間から、時の流れも宇宙の進化も何も感じることなく深く眠り続けます。次に体を返していただいて五感が目覚め復活するときまで、本人の自覚としては一瞬の出来事であるに違いないと思っています。死から世の終わりの復活の日まで、何万年か、何百万年か、何億年か時間が経過しようとも、個々人の死から復活までは一瞬の出来事なのです。
私は83年の人生において、3度全身麻酔を経験しましたが、麻酔医師と看護師の会話が遠のいて聞こえなくなった瞬間と「お目覚めですか?」とい別の看護師さんの声を聴く瞬間の二つの瞬間は、同じコインの裏表のような一瞬のできごとでした。その間に2時間が経過していたか、難しい手術で6時間が経っていたのか、一体私は体に何をされたのか、全く認識していませんでした。
同じように、死んで肉体が滅んで五感が完全に閉じられてから、肉体を取り戻して復活するまでの間も、人の魂は全身麻酔よりも深い眠りの中にいて、死から復活までは、本人の自覚としてはまさに一瞬のこと、死んだ次の瞬間に復活してイエス・キリストの御顔を仰ぐことになるだろうと私は信じています。
死んだらすぐ深い眠りに入って、時の流れも外界の喧騒も全く知覚することなく、まるで死の次の瞬間のように復活するという話と、死んだらゆっくり煉獄の火に焼かれて清められるという話と、私の小さな頭の中ではどうしても調和しないのです。
カトリック教会の最高学府と言われるローマの教皇庁立グレゴリアーナ大学で、神学修士と教授資格までいただいた私は、上の疑問に答えを与える講義を聞いて納得することはついにありませんでした。
私は死んだら肉体を失い五感は閉じられ、例えて言えば、深い、深い眠りに入り、気の遠くなるような宇宙の進化の歴史的時間の流れも、世界の変化の様子も全く知覚することなく世の終わりに復活するが、自分の主観的意識の流れにおいては、死の次の瞬間に復活して主の御顔を仰ぐことが出来るという想念は、私に深い慰めと希望と喜びを与えてくれるのです。
その時間の経過を伴わない二つの瞬間の間に、どのようにして煉獄の火の清めを体験することができるのか。肉体を失い五感が閉じられて深い眠りに入っている自分が、いかにして煉獄の業火を体験できるのか、私には全く分からないのです。
教会が信じろというなら私は信じます。しかし、私の貧しい頭は納得のいく理解に達し得ていなことを信者さんに説明するのは難儀なはなしです。どなたか、賢い方が、この問題を解き明かしてくださることを期待します。
最後に一つのエピソードを加えて終わります。
私がまだ大学生だった頃、神戸の六甲の家から歩いて5-6分のところに「小百合幼稚園」というのがありました。その幼稚園の経営者はカトリックの「煉獄援助姉妹会」という女子修道会でした。その修道会が、ある日突然会の名称を改めて、「援助姉妹会」となったのです。
会の使命の最も主要の部分は、煉獄で清めの火に焼かれて苦しんでいる膨大な数の魂たちを助けることに特化した会でした。それがどうして大事な会の精神の要である「煉獄」の二文字をを会の名前から外してしまったのでしょうか。
それは、時あたかも、第2バチカン公会議が教会の大改革に取り掛かっていた頃で、その女子修道会は公会議の神学的議論の経過を敏感に受け止めていて、中世では盛んに論じられてきた「煉獄」の存在そのものの意味があいまいになってきて、教会としてはあまり触れたくないテーマになってきたことを、敏感に感じ取ってのことだったに違いありません。
はっきり言ってしまえば、これからの世の中で、またカトリック教会の今後を見通して、「煉獄で苦しんでいる魂を援助するために祈り、働く」という目的を掲げて修道会を維持できる時代ではなくなったから、別の存在理由を見出してそれにシフトしていかなければ会の将来はない、と直感しての会の名称変更だったのではないかと思います。
わたし自身の中にも、煉獄の存在をわかりやすく定義しなおす神学的理論武装をしてもらうか、あるいは、いっそうのこと、勇気をもって、中世にはそういう教えを説いてきたが、今の時代には即さない信心で、もともとキリスト教の信仰内容に深く根差した教義ではなかった、とあっさり認めた方がすっきりするのではないでしょうか。
平山司教様がそっと私の耳元にささやかれたように、この世に生きているうちに忍耐し耐え偲ばなければならない苦しみのことを「煉獄」という言葉で表現することもできる、という程度にとどめておいた方がいいのではないでしょうか。
・サン・モール修道会→幼きイエス会(ニコラ・バレ)
・扶助者聖母会→サレジアン・シスターズ
・煉獄援助修道会→援助修道会
・宮崎カリタス修道女会→イエスのカリタス修道女会
サンモール会の場合、仏語の正式名称は、
Les Sœurs de L'instruction Charitable du Saint Enfant Jésus
聖嬰イエズス愛徳教育修道女会
だと。
各修道会は、特別な場合を除き、まず地元司教様の認可を受け、その後バチカンでの教皇認可を受けて、正式名称はラテン語で届けられると、お聞きしたことがあります。
援助修道会の場合、修道会創立当初教皇認可を受けた修道会のラテン語の名称に「煉獄」の文字が入っていたのだと思いますが、第二バチカン公会議後、正式名称まで、変えられたのでしょうか?
何を援助するのかと問われると、やはり「煉獄の霊魂」なのではないのでしょうか?
日本語の翻訳だけを変えたのか、バチカンに届けてある正式名称まで変えられたのか、お聞きしたいです。
***
六甲の援助修道会のシスター方、1970年代半ばの記憶があります。神父様のお姉様の修道会の当時の修道服よりも丈が短く、ベールの中の御髪もたくさん見えていて、話し方も「シスター調」ではなく「現代的」だと感じました。
改名の理由や意味合いについては直接「援助姉妹会」の皆様からお聞きしたいものですね。
わたしは、受洗の前に、「キリストへの新しい道 求道者のための教えと行い キリストバル・バリョヌェボ=著 サンパウロ (2005)」を神父様の指導を受けながら読みました。以前に、神父様のこのブログに、この本にある、幼い娘ラケルさんを亡くした母親の方の「聖徒の交わり」への確信について書きました。煉獄は、「聖徒の交わり」と深く関わっているようです。ごく最近、修道女の高木慶子さんが「援助修道会」の方だと知り驚きました。無知ゆえのことです。わたしは、「グリーフケア」等の専門家で、活発に活動されている方とだけ知っていました。ところが、「援助修道会」の site に、修道女の ラファエラ 高木慶子 さんのことばがあり、「『煉獄援助修道会』と言わないと私は困るのです。」から始まっていました。ここにあることばは、わたしを指導してくださった神父様のことばと重なります。また、カトリック広島教区の site の「修道院めぐり」には、「煉獄援助修道会(通称:援助修道会)」とあります。フランスでは 今も "Sœurs Auxiliatrices des Âmes du Purgatoire" のようで、わたしがでたらめに直訳すると、煉獄の魂の助け手の修道女達、のようになります。無知なおろか(疎か、愚か)な者の感想ですが、「清め」が中心にあると思いますが、すべての人の救いへのおもいにも通じるように感じます。そのような意味では、「(ギリシャ)正教会」の教会全体での死者への祈り、"Liturgia Horarum" の "Ad Vesperas" の "Precēs" の最後の死者への祈りにも 通じるようにも感じます。 日本語の「教会の祈り」の「晩の祈り」の「共同祈願」には、しばしばすべての死者の救いへの祈願があります。また、ラテン語規範版にも多くあると思います。わたしが唱えたラテン語のそのような祈願はわずかですが。正教会は、自死者の救いには厳しいようですが、教会全体ですべての死者への祈りをするそうです。
Catechism で「聖徒の交わり」を通して「煉獄」をみると、例えば、954 から 959、1474 から 1479 があります。「煉獄」そのものについては、1031, 1032 にあると思います。神父様が引用された箇所は、1031 の注の 624 ではないでしょうか。今は時間がありませんが、時間ができれば、2 マカバイ 12・44-46 について教父の教えを学んでみたいと思います。無知な者が少し調べて書きました。
煉獄に座って歌う Sitting In Limbo
坂倉神父も煉獄に座ったかしら
彼らしいいい死に方した
先日、ある正教会の聖堂があるところに行きました。わたしが暮らしている場所とそれほど遠くないところに聖堂がありました。近くもありませんが。
駅の地図を見て、適当に歩いていくと、空の方から十字架が見え、迷わずに行くことができました。門が空いていたので、中に入り、聖堂の周りを見て歩きました。素人の感想ですが、窓や丸屋根は別にして、線分を組み合わせてできている多くのものからなるように感じました。聖堂の裏手には、おそらくオリーブの木だと思いますが、木が 4 本程あり、多くの実がなっていました。
そして、門の近くに、記憶違いかもしれませんが、「永遠の記憶」と書いてある聖なる建物がありました。聖所だと感じて、その前で手を合わせて祈りました。平日で聖堂には入りませんでしたが、西方の教会と異なる十字架を見ることができました。
家に帰って、「永遠の記憶」のことを調べると、正教会の信者の方にとっては大変大切なことばであることがわかりました。永眠された方々をおもって神に祈るときのことばのようです。また、永眠の永は、永久の永であることを知りました。永眠したものは必ず復活するということを信じているので、永遠ではなくて永久であるそうです。また、ある論文によると、カトリック教会では、(少なくとも今は)神様に死者を永遠に記憶してください、という祈りはないそうです。
また、正教会の松島司祭が十字を切って、ハリストス復活と言う、ということを FEBC の放送で何度か聴いて、ツルゲーネフの「初恋」の最後の場面を思い出した。最後に近いところを読み直すと、「死(眠り)」、「罪」、「祈り」が中心にあるように感じて驚きました。わたしは、若い頃に、奔放で繊細なジナイーダに惹かれて、何度か読みましたが、今はまったく異なるものを感じます。最後の場面で、老婆が、今はの際に、十字を切り続けて、罪の赦しをこう場面は大変重く感じます。最近、日本のカトリック教会の信徒は何度も十字を切るでしょうか? ベネディクト 16 世は、十字を切ることは信仰宣言(三位一体の神を信じること、イエス様の御受難と御復活を信じること)でもあると書いておられました。
わたし(新米信徒)が上のコメントに書いた、ベネディクト 16 世の十字を切ることについてですが、「Joseph Kardinal Ratzinger, Der Geist Der Liturgie Eine Einführung, Verlag Herder (2002) :邦訳 ヨセフ・ラッツィンガー 濱田 了 訳 典礼の精神 サンパウロ (2004)」の第四部 典礼の組成、の、第二章「身体と典礼」、の、二 十字架のしるし、からのことばのつもりで書きました。不正確に書きましたので、その箇所の一部を引用します。記憶にたより、不正確に書いたことをお許しください。
「十字架のしるしは一つの信仰告白です。・・・。私たちは十字架のしるしを、御父・御子・聖霊である三位一体の神への信仰告白と結び合わせます。このようにして十字架のしるしは、洗礼の記念となり、聖水を使用してしるす場合にはとりわけ明確になります。十字架は受難のしるしでもあり、同時に復活のしるしでもあります。・・・」cf. p. 192.
もう少しだけ引用することをお許しください。十字架とユダヤ教との関連で、エゼキエルの書 9 章 4 節以下にある、「タウ」が言及されています。cf. pp. 193-193. さらに、多くの考察が続き、最後に、「私の父と母は、子供たちが遠くに行くとき、とりわけ長い別れになるときに、聖水で額と口、胸に十字のしるしをしてくれましたが、・・・。すべての受洗者が持つ共通司祭職を完全に表現するものとしてこの祝福が、私たちの日常生活に再びより力強く行われ、そして主から来る愛の力をもって私たちの生活に
浸透すべきだと思います。」、とあります。cf. p. 199.
たびたびすみません。わたし(新米信徒)が上のコメントに引用した文に書き間違いがあるので、訂正します。
エゼキエルの書 9 章 4 節以下の「タウ」について書いてある頁は、正しくは pp. 193-194。
最後のことばは、正しくは、
「・・・浸透させるべきだと思います。」
すみませんでした。
先日、「カリストス・ウェア主教 論集 1 私たちはどのように救われるのか 他2編 翻訳 司祭 ダヴィド 水口優明
司祭 ゲオルギイ 松島雄一
日本ハリストス正教会 西日本主教教区 (2003) 」を手にして少し読みました。そのことのためかどうかわかりませんが、朝の祈りで Benedictus (Canticum) をバルバロ神父様による訳 (1980) で唱えていたときに、Luke 1:69, 1:77 の「救い」に対するわたしの感覚が変わっているように感じました。念のため、調べると、
ラゲ訳 (1910) 、路加(ルカ)の耶蘇(イエズス)基督(キリスト)聖福音書
1:77 「其民に罪を赦さるべき救霊(たすかり)の知識を與(あた)ふべければなり。」
バルバロ神父様による訳 (1980)
ルカによる福音書
1:77 「罪のゆるしによって救いの来たことを、その民に教えるからである。」
ラゲ訳は、漢字では救霊となっています。上記のカリストス・ウェア主教の書によると、「すなわち救いはハリストス・救い主そのものです。」、とあります。cf. p. 26. おろかものの感想ですが、Benedictus をバルバロ神父様の訳で唱えていると、「救い」と「イエス・キリスト」がほとんど同じである
ように感じました。念のため、Nova Vulgata をみると、
EVANGELIUM SECUNDUM LUCAM
1:77 "ad dandam scientiam salutis plebi eius
in remissionem peccatorum eorum,"
無知なおろかものがでたらめに古語風におきかえると、
其の民に、彼らが罪の赦されにつきて、救いの下形(したかた)告(つ)ぐる為(ため)、
のようになりました。"scientiam" が大変心に残ります。これに相当することばは、ラゲ訳 (1910) と新改訳聖書 (第 2 版 1978 年)は、「知識」と訳されています。神父様のこのブログのコメントに、以前、救霊に逃げていたことがあると書きましたが、ラゲ訳のこの漢字を見て、そのことを思い出しました。
「神化 (theosis)」にかかわること思われることは、Cathechism の 460 (信仰宣言) にあると思います。上記のカリストス・ウェア主教の書の、「最後に『救われましたか』」に、「『救われましたか』と問われたら師父シソエスにならって答えましょう。『悔い改めを始めたかどうかさえも疑わしいのですと』と。・・・。しかし、聖ニコラス・カバシラスとともに気を取り直し、勇気を持たねばなりません。ハリストスは今ここでも、またこの旅路のどんな場面においても、・・・『目的地ばかりではなく、私たちの夜毎の宿りにも、共にいてくださる』のですから。」 cf. pp. 46-47.
このことばを受け、バルバロ神父様による訳 (1980) の使徒行録を何気なくみると、8:37 が目に留まりました。正教会では大変大切な場面のようですが、わたしが持っている Nova Vulgata には、バルバロ神父様の訳の注釈にあるように、本文には (37) とだけあり、8:37 は脚注にあります。上記のカリストス・ウェア主教の書の「正教徒は聖書をどう読むべきか」の、「教会を通じて聖書を理解すること」の裡に、使徒行録 8:30-31 が引用されています。これは、site 「正教会を知りたい人のために by Fr. George Matsushima 司祭ゲオルギイ松島雄一 大阪ハリストス正教会」の「◆師父たちからのメッセージ」の 「キリスト教をとらえ直してみたい人のために 聖師父と現代神学者たちのことば」の「キリスト教をとらえ直してみたい方へ」の「正教徒は聖書をどのように読むべきか カリストス・ウェア府主教」を通して読むことができます。わたしは、以前にこれを読み、使徒行録が引用されている箇所は大変心に残っていました。わたしは、あまりこのような話は聴いたことがないので、多くのことで教えられます。また長文をすみません。
上に引用した、「カリストス・ウェア主教 論集 1 私たちはどのように救われるのか 他2編 翻訳 司祭 ダヴィド 水口優明 司祭 ゲオルギイ 松島雄一 日本ハリストス正教会 西日本主教教区 (2003) 」の
「私たちはどのように救われるのか ・・・正教の伝統における『救い』の理解 翻訳 司祭 ゲオルギイ 松島雄一」をさらに少し読みました。その中に、わたしが以前に受けた衝動につながっていると思われることが書いてあるように感じました。
「アダムの本性と堕落の分かち合い」という項目に、「疑いなく、ここからはアウグスティン主義による厳密な『原罪責』の教義は出てこないでしょう。
ほとんどんの正教会の神学者たちが何とかぎりぎりいっぱい踏み込むのはここまでです。アダムの行為(罪)の個人的な法的罪責を負うからではなく、私たちが一つの人間の家族に属するがゆえに、私たちはそれに関わり、ある程度それに責任があるということです。・・・。
このような考え方の底には、正教意識に深く根差した確信があります。それは、私たちは一人一人で孤立して救われるのではなく、あらゆる時代の仲間たちとの結合において救われるという確信です。・・・。」
冒頭の、「ここからは」は、「相互連帯性」のようです。
わたしが受けた衝動は、「一体(結合)」ということでした。そのようなことは衝動を受け始めたころには像(イメージ)としてみえました。畏れも大きかったですが。先日、書きました「永遠の記憶」の重みにもつながっているように感じます。
上の正教会の信仰におそらく対立することは、例えば、Catechism の 404 の後半にある、(人祖の)「この罪は生殖によってすべての人間に伝えられるが、・・・」のようです。
わたしがプロテスタント教会で洗礼を受ける気持ちになることができなかったことは、「個」、「分断」ということを感じていたためだと、今は思います。
"CATECHISMUS CATHOLICAE ECCLESIAE" の "SECTIO
SECUNDA ORATIO DOMINICA: «PATER NOSTER»" の
"et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;"
の "debita" と "debitoribus" に対する日本語の口語訳に対して
不思議に思ってきました。Catechism には Mt 6:9-13 とあるので、「罪」と訳されていることが、わたしのおろかさゆえ、よくわかりません。
正教会の日本語訳は、
「我等に債(おひめ)ある者を我等免すが如く、
我等の債(おひめ)を免し給へ。」
のようです。
Catechism(英語訳) の 2838 は、'... If it consisted only of the first phrase, "and forgive us our trespasses,..." ' と "trespasses" とありますが、日本語訳では、「罪」と訳されているので、わかりにくいように感じます。
無知でおろかなものが書いたことゆえ、お赦しください。
わたし(新米信徒)が上のコメントにおいて、最後の文の下に、おそらく改行による空白を残したままにしたことにより、不要な大きな空白を作ったようです。申し訳ございませんでした。
上のコメントに、「(Mt の)主の祈り 」の「負い目」のことを少し書きました。そのことについて、上のコメントに引用した「カリストス・ウェア主教 論集 1」の、「私たちはどのように救われるか(翻訳 司祭 ゲオルギイ 松島雄一)」にある「ニッサのグレゴリイにみる受け継がれた『罪深さ』」からその一部を引用します。cf. pp. 12-13.
「私たちは人間性全体に共通の負い目を思い起こさなければならない。人は皆一人一人、人間本性の一部を分かちあうがゆえに、それぞれにこれらの負い目を分かち合う・・・、アダムは一人一人の人間の内に生きている・・・、だから『我等の負い目を赦したまえ』という言葉を用いて祈るのがよいのだ。・・・。
ニッサのグレゴリイによれば、私たち一人一人は皆、アダムの背きについて赦しを請わなければなりません。そうであるなら、彼の背きはある意味で私たち自身の背きであると言えます。私たちがアダムの悔悟を分かち合わねばならないということは、彼の罪深さと罪責をも同様に分かち合っていることを意味しています。」
YouTube に upload されている NHK の番組「見えないものを」の 2(話し手 押田成人神父様、聴き手 金光寿郎氏)の前半で、金光氏が、観想修道会では、世の中の役に立つことは何にもなさならいで、観想三昧の生活をしている、そういう修道会もあると聞いていますが、そのような観想生活はいったい何のためにさっているのでしょうか、という意味のことを問われます。押田神父様が仰ったことを、今のわたしの言葉で書くと、そのような観想生活は、人の罪をも自分の罪として受け取って、神様に赦しを請い、神様に帰依することができる人をつくる。このように感じます。
長い間、押田神父様は、何を仰っているのだろう、と思っていましたが、押田神父様が仰っていること(事、言)は、正教会の教えにもつながっているように感じます。FEBC の松島司祭の番組を聴いた直接の事は、当時体調がよくなかったので、ラジオをよく聞いていたことによります。その当時体調がよくなかったことは、恵みをもたらしてくれたようです。