神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

熊野神社(東京都葛飾区立石8丁目)

2013-05-18 23:48:59 | 神社
熊野神社(くまのじんじゃ)。通称:五方山熊野神社または立石熊野神社。
場所:東京都葛飾区立石8-44-31。中川に架かる奥戸橋西詰から西へ、約240mで参道入口。駐車場なし。
社伝によれば、長保年間(999~1003年)に陰陽師・阿部(安倍)晴明の勧請によって創建したという。社地は、五行説(万物は木・火・土・金・水の5つの要素から成るという説)に従って五角形にしたといい、現在も「熊野幼稚園」などの敷地を含めてみると五角形を保っているようだ。神体は長さ2尺余(約60cm)の石剣(おそらく縄文時代のもの)で、「立石」という地名もこの石剣に由来するともいう。祭神は、伊邪那岐命・速玉男命・事解雄命。
この「熊野神社」前の道路を隔てた南側に、元は別当寺であった真言宗豊山派「五方山 立石寺 南蔵院」がある。寺伝によれば、長保年間に創建され、「熊野神社」を勧請したという。神社と寺のどちらが先か、どちらが主かという問題ではなく、「熊野神社」信仰自体が特に神仏混淆が色濃かったことを考えれば、多分、不可分な形で同時に創建されたのだろう。永享元年(1427年)、行基菩薩が創建したという「青松山 金剛院 正福寺」(現・葛飾区東新小岩)の第5世法印賢寛が中興したという。本尊は、大日如来。
この「熊野神社」と「南蔵院」付近には、それぞれ「立石熊野神社古墳」・「南蔵院裏古墳」という円墳があったが、明治時代に墳丘は削平されてしまったらしい。「立石熊野神社古墳」は、神社敷地南側の発掘調査で内径約12m、外径約18mの周溝が検出され、須恵器と土師器が出土した。この調査結果から、7世紀後半頃に築造された円墳であるとされた。「江戸名所図会」では周囲より一段高いところに社殿が建てられているように描かれているところから、五角形の古墳の上にあった可能性をいう説もある。また、「南蔵院裏古墳」は、寺の北西側にあったといわれ、人型の埴輪の頭部が出土したことから、6世紀後半頃の古墳と考えられているという。こうしたことから、古代にあっても、かなり古くから人が多く住む地域であったということが明らかになっている。


東京都神社庁のHPから(熊野神社)

葛飾区観光サイトのHPから(熊野神社)


写真1:「熊野神社」参道。社号標と石鳥居


写真2:同上、神門。幕には、丸と五角形の中に八咫烏が描かれた神紋


写真3:同上、社殿


写真4:「南蔵院」正面入口。中川堤防上の道路に面している。


写真5:同上、本堂。向って左奥にピンク色のマンションが見えるが、その敷地辺りが「南蔵院裏古墳」の跡地らしい。
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