神が宿るところ

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将門神社(千葉県我孫子市)

2013-07-20 23:59:01 | 神社
不思議なことに、「日秀西遺跡」(前項)の近くに平将門所縁の史跡がいくつかある。

将門神社(まさかどじんじゃ)。
場所:千葉県我孫子市日秀131。「日秀西遺跡」(旧・湖北高等学校)前から東へ、JR「成田線」の踏切付近まで戻り、約100m南下すると、「将門神社」の案内看板がある所を右折(西へ)、道なりに進んだ突き当り。なお、同じところを左折して少し下ると、「将門の井戸」がある。いずれも駐車場なし。
伝説によれば、天慶3年(940年)、平将門は敗死するが、遺臣が将門の霊とともに騎馬で手賀沼を押し渡って丘の上に立ち、朝日を拝した。後に村人がその所縁の地に一宇を建立し、将門を祀ったという。また、かつては「平新王の七騎大明神」とも呼ばれていたともいう。「日秀(ひびり)」という地名は難読だが、この伝承に因んで、「日出(ひいで)」が訛ったものともいわれている。ただし、将門が討たれた場所は、現在の「國王神社」の鎮座地(茨城県坂東市岩井。2012年10月6日記事参照)とされているので、手賀沼を渡る意味がよくわからない・・・。と思ったら、手賀沼の対岸(と言っても、南西)に、将門の三女という如蔵尼が創始したという「将門神社」(千葉県柏市(旧・沼南町)岩井)があり、この辺りから渡ってきたということになるらしい。後世の付会の疑いが濃厚のようだ。
なお、「将門の井戸」は、かつて中相馬の7ヵ村に1つずつあるといわれた井戸の1つで、日秀村では「石(岩)井戸」ともいわれ、承平2年(932年)に将門が開いたとされるもの。現在では、窪みに雨水が溜まっているだけにもみえるのが残念。

慈愍山 観音寺(じみんさん かんのんじ)。通称:ひびり観音。
場所:千葉県我孫子市日秀90。国道356号線から「日秀西遺跡」に向う(南下)市道の角にある。駐車スペースあり。
伝説によれば、元は「将門神社」境内に一堂を建立し、将門の守り本尊である聖観世音菩薩像(伝・行基作)を安置して「大悲山 和泉寺」と称したという(「和泉寺」というのは「将門の井戸」に因むもの。)。後に観音堂は現在地に移され、寛文2年(1662年)には曹洞宗の寺院となり、「観音寺」と称するようになったらしい。本尊は釈迦如来。ユニークなのは、国道356号線に面して安置されている石造の観音像で、少し首をかしげている。国道356号線は千葉県成田市に通じており、この地区では「成田街道」とも通称されている。この観音像が首をかしげているのは、成田市にある「成田山 新勝寺」に対して顔を背けているからだとされる。つまり、「新勝寺」こそ、平将門調伏のために開山された寺院であり、これを嫌っていることを示しているのだという。


我孫子市のHPから(ふるさと散歩モデルコース6「史跡と将門伝説の里を訪ねる」

「曹洞宗 観音寺」のHP

「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(日秀観音)


写真1:「将門神社」


写真2:同上、石祠


写真3:「将門の井戸」


写真4:「慈愍山観音寺」本堂


写真5:同上、観音堂


写真6:「首曲げ観音」。向って左が成田方面で、顔を背けている。 
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