船玉神社(ふなだまじんじゃ)。
場所:城県筑西市船玉248。茨城県道15号線(結城下妻線)「関本中」交差点から北へ約1.6km、押ボタン式信号のあるところ(「あらやま歯科医院」がある。)を左折(北西へ)、約750mで境内入口。駐車場有り。
当ブログで「船玉古墳」(2021年2月6日記事)を採り上げたときに、古墳上にあった「船玉神社」が2011年の東日本大震災によって倒壊してしまったが、古墳が県有地であったが故に再建できないのは残念だと書いた。その船玉神社が2022年4月に再建されたと聞き、ようやく最近、参拝することができた。これがまた、神社のイメージを覆す、実にモダンで素晴らしい社殿となっていた。
創建は不明。「関城町史」(1987年)では、船玉地区の鎮守は「八幡神社」となっていて、「船玉神社」の名は出てこない。とはいえ、地名(大字)が「船玉」というのだから、古くから鬼怒川の水上交通の守り神としての「船玉(船魂)大明神」があったことは間違いないだろうと思われる。それが、いつか「八幡神社」(山城国八幡宮(現・京都府「岩清水八幡宮」)から勧請)と「船玉神社」が合祀され、祭神は誉田別命と住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)となっている。
当神社社殿の再建については、地元自治会員が10年かけて再建費用を積み立てられたということで、途中、2015年には関東・東北豪雨により船玉地区も床上・床下浸水の被害を受けたこともあり、避難場所やコミュニティとしての機能も備えた場所として構想されたものらしい。既に、地方の社寺の境内に地区の公民館・集会所などが建てられているケースが多々あるが(当所にも「船玉田園都市センター」がある。)、社寺そのものの維持・再建について当神社のようなあり方が他でも参考になり得るものと思われる。それも、地元住民の方々の熱意なくしてはできないことで、大変感心させられた。
写真1:「船玉神社」鳥居。以前には参道に杉の並木などがあったが、取り払われ、広く明るくなった。
写真2:社殿。「船玉古墳」の南側に建てられた。
写真3:普通、神額があるところにガマ? の絵。
写真4:社殿内部
写真5:社殿全景
写真6:トイレ。三猿の絵と石像。
写真7:手水舎。手洗石には宝永6年(1709年)銘があるとのこと。
写真8:境内社の「七鬼神社」
写真9:同上、社殿。公式にも祭神は不詳だそうだが、艮(北東)側に建てられているので、鬼門封じと思われる。
写真10:社殿背後の「船玉古墳」
場所:城県筑西市船玉248。茨城県道15号線(結城下妻線)「関本中」交差点から北へ約1.6km、押ボタン式信号のあるところ(「あらやま歯科医院」がある。)を左折(北西へ)、約750mで境内入口。駐車場有り。
当ブログで「船玉古墳」(2021年2月6日記事)を採り上げたときに、古墳上にあった「船玉神社」が2011年の東日本大震災によって倒壊してしまったが、古墳が県有地であったが故に再建できないのは残念だと書いた。その船玉神社が2022年4月に再建されたと聞き、ようやく最近、参拝することができた。これがまた、神社のイメージを覆す、実にモダンで素晴らしい社殿となっていた。
創建は不明。「関城町史」(1987年)では、船玉地区の鎮守は「八幡神社」となっていて、「船玉神社」の名は出てこない。とはいえ、地名(大字)が「船玉」というのだから、古くから鬼怒川の水上交通の守り神としての「船玉(船魂)大明神」があったことは間違いないだろうと思われる。それが、いつか「八幡神社」(山城国八幡宮(現・京都府「岩清水八幡宮」)から勧請)と「船玉神社」が合祀され、祭神は誉田別命と住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)となっている。
当神社社殿の再建については、地元自治会員が10年かけて再建費用を積み立てられたということで、途中、2015年には関東・東北豪雨により船玉地区も床上・床下浸水の被害を受けたこともあり、避難場所やコミュニティとしての機能も備えた場所として構想されたものらしい。既に、地方の社寺の境内に地区の公民館・集会所などが建てられているケースが多々あるが(当所にも「船玉田園都市センター」がある。)、社寺そのものの維持・再建について当神社のようなあり方が他でも参考になり得るものと思われる。それも、地元住民の方々の熱意なくしてはできないことで、大変感心させられた。
写真1:「船玉神社」鳥居。以前には参道に杉の並木などがあったが、取り払われ、広く明るくなった。
写真2:社殿。「船玉古墳」の南側に建てられた。
写真3:普通、神額があるところにガマ? の絵。
写真4:社殿内部
写真5:社殿全景
写真6:トイレ。三猿の絵と石像。
写真7:手水舎。手洗石には宝永6年(1709年)銘があるとのこと。
写真8:境内社の「七鬼神社」
写真9:同上、社殿。公式にも祭神は不詳だそうだが、艮(北東)側に建てられているので、鬼門封じと思われる。
写真10:社殿背後の「船玉古墳」
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