眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

noteで日記を書いています

2019-08-18 10:37:00 | 【創作note】
 時々、思い出したように日記を書きたくなる。書き始めた日記がこれまでずっと続いたことはない。最初の内は毎日のように書いていても、いつかそうではなくなる。一日開き、二日開き、書いて、休んで、書いて、休んで、休んで、休んで、そのまま、閉じたまま、日記は卒業となる。

「日記。それはノスタルジー」
 それでもまたいつか日記のことを思い出す。
「壁にぶち当たった時、人は日記を書き始める」

 最初に書き始めたのは日記だった。作文や読書感想文で行き詰まることはあっても、日記で行き詰まることはない。だから日記は楽しいのだ。

「日記は言葉を止めない」
 何も書けなくなってしまった時、何を書いていいかわからなくなってしまった時には、日記に帰ってくるのもいいかもしれない。
 何よりも日記は肩の力を抜いて書けることがいい。

 もしもあなたがコラムなどを書く時には、「何か大事なことを伝えよう」と肩に力が入るのではないだろうか。
 もしもあなたが詩などを書く時には、「何か綺麗な言葉を使おう」と肩に力が入るのではないだろうか。
 もしもあなたが俳句などを書く時には、「何か575の形にしよう」と肩に力が入るのではないだろうか。
 もしもあなたが川柳などを書く時には、「何か575の形にしよう」と肩に力が入るのではないだろうか。
 そこが日記だと違う。

 日記は単純明快。書くにも読むにも肩に余分な力が入らない。
 日記の言葉はやわらかい。人間が尖っている時にも、日記の言葉はやわらかい。

 僕が日記を書く理由。それは出来事を記録するためではない。
「心をほぐされるから」
 僕は日記を書いている。
 何も書けなくなった時、僕は日記を書く。
 何もなければ何もなかったことを素直に書く。
 書けばなかったこともあったようになる。
コメント
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