眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

消えた1時間/ハラスメントが始まる

2023-06-07 05:20:00 | コーヒー・タイム
 降ったりやんだりの雨で街には傘をさしたりささなかったりの人が歩いていた。さっきまでさしていた傘を僕は閉じた。傘をさすまでもない。時折吹き付ける強風がむしろ疎ましい。千日前通に近づいたところで青信号が点滅してあきらめた。(駆け出した瞬間に突っ込んでくる自転車が怖い)待つよりはと思い地下への階段を下りる。北階段から地上へ出てみるともう信号は青に変わっていた。そんなに早いのなら立ち止まって待つ方が楽だった。無駄な労力を使ってしまった。それというのも、ただ待つという時間を恐れすぎたためだ。待つには長すぎる信号もある。待っても何でもない信号もある。街に数ある信号機の待ち時間は一定ではない。それにも関わらず、待ち時間はどこにも明らかにはされていないように見える。だから、人は無理して駆けて渡ろうとしたり、無駄な回り道をしてしまうのではないだろうか。街の信号は聞きなさい。これより先、信号の前に待つ人が現れたら、時を読んで知らせること。

 地下街は割高だ。ふとそんなイメージを持った。このくらいの雨ならとも考えて、僕は歩いてアメ村に向かった。高架下にあると噂に聞いた中華店で見つけたのは、看板と下りたシャッターだけだった。(またグーグルの情報に踊らされてしまった)地下街に戻る手もあったが、もういいやと近くのラーメン屋に入った。券売機はない。店内は外国人客ばかりだ。しばらくして水を持って店員がやってきた。シンプルなラーメンを注文する。

「トッピングは?」
「なしで」
「なしで」

 狭い厨房の中に動き回る男が3人、4人……。ずっと動いているので正確に人数を数えられない。暑いだろうか? もっと夏になったら。上下関係はあるだろうか? もしも自分がカウンターの向こうにいる側に立ったらと考えてみた。勤まるだろうか、無理だろうか。5分ほどでラーメンが届く。790円。
 麺は細麺、スープは濃厚。ふーふー。手に負えないほど熱くはない。「旨いけど」チャーシューは口の中でとろけて消えた。もう浮かんではいない。(一切れか……)チャーシュー麺でないとは言え、一切れか。「トッピングは?」5分前の店員の問いかけが思い出される。全体的に寂しくも感じられるのは、トッピングありきで設計されているからとも考えられる。(だったら千円は絶対超えてしまう)もはやラーメンはパスタよりも高級品なのだ。だが、これくらいのものなら家で作れば400円ほどで可能だろう。メンマはキャンドゥで購入できる。チャーシューにこだわる必要はない。豚バラともやしをタジン鍋で蒸して入れれば簡単だ。元のラーメンは、マルタイでも藤原製麺で十分だろう。少し手間暇をかければ、家で美味しく節約だってできるのだ。

「これくらいのものなら」
 それは僕の完全な主観だ。旨いことは旨い。(世の中には、残念ながら一口食べて逃げ出したくなるようなラーメンも存在する)しかし、旨さによって引き出される笑みが、どうにも抑えられないというほどではない。
「ラーメン屋でラーメンを食べるなら感動しなければ意味がない」
 これも僕の勝手な思い込みだろう。
 シンプルに旨いラーメンは5分で食べ終わった。
(およそ千円……)
 僕が働いてきた1時間と同じ。
 安易な計算式に虚しさを覚えながら、僕は地下街を歩いていた。


 夢の中では掴み取りが催されていたが、誰も積極的に参加しないことが不思議だった。20秒かきまわせば500円にはなる。500円! と思えば気合いが入る僕が少しずれているのか。じゃりじゃりと手を突っ込む内に、今までとは違う感触がる。記念硬貨のお化け5円だった。
「10年前とは積もり方が違うような……」
 おばあさんが言ったのは天気についてか自身の疲れについてかは不確かだった。角屋食堂はシャッターを下ろしていた。10年に1度の定休日だった。おじいさんに電話だ。(こっちだって50年振りに足を運んでるんだよ)あきらめて帰る道すがらマリに会った。
「知り合いのやってるチーズの美味しい店があるけど行かないよね」
 僕は手をあげてじゃあねと唇を動かした。全くなんて誘い方だよ。


 夢の中には街があり、街の中にはモールがあり、モールの中にはカフェ、めがね屋、うどん屋。うどんの中には野菜があり、野菜の中にはカエルがあり、カエルの中には緑、緑の中には街があり、街の中にはカフェがあり、コーヒーの中にとけていくミルクが、僕のみている夢と交じっていくのだ。


 社会に出れば様々な働きかけがある。それは錯覚やマインド・コントロールとの戦いだ。早く歩け。無駄なく進め。お客様を第一に。(時にそれらは大いなる矛盾を含む)ちゃっちゃとやるように。すいすい動け。手首を上から動かして、おいでおいで。(僕らは子犬になったのだろうか)
 それで反発されたこともないのだろう。相手が不快に思っているなど夢にも思わないのだろう。最初は何も知らなくて当然、誰でもできなくて当然、失敗もあるし慣れるには時間もかかる。(効率なんて徐々に上げていくものだろう)そうした配慮もなく常に上から上から押しつけるような態度で、果たしてどれだけの人がついていくだろうか。自分の社会の中心は、世界の中では片隅にすぎない。
 だから「いつでも逃げ出していい」。そうした覚悟/余裕を持って自分を守ることも大切だ。
 スマートフォーンは封じられて、僕らは一定の自由を制限されている。録音を試みたり、写真や動画に収めることは難しくなった。だが、まだ文字があり言葉があり、心にひっかかることを発信する自由までは失ってはない。会社は王様でも支配者でも何でもない。ただのカテゴリーだ。
「僕らは会社の下になんかいない」

コメント
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