本日もモーツァルト♪
Mozart - Violin Concerto No.5 in A major, K.219, 'Turkish'
引き続き大手町交差点あたりを歩いていた。
そして丸の内側へ移動しましょう。
これ(↓)が私が就職して最初に配属されたビルがあった場所だ。
当時ここに建っていたビルはこれよりはるかに小さいビルだった。
今はご覧のとおり巨大なビルに建て替えられていて、ここからカメラを構えても上から下まで全部を撮影することができない。
ちょっと移動してカメラを90度かしげて撮影。
デカいな。
そのビルの道路をはさんで西側には、細長い土地に建てられた日本興業銀行本店ビルが当時はあった。
それはとっくに潰されて、今は新しいビルが建っている。下の画像の中央がそれだ。
黄色い破線に囲まれた⇔の長さが、こちらの道路に向いた敷地の幅だった。そこに建てられた新しいビルも細いわ(笑)。
かつての重厚な日本興業銀行のイメージからは想像できない飲食店が、その新しいビルの1階に並んでいる。
飲食店の上はこんな外観(↓)。
このあたりのビルがどんどん建て替わるので、今となっては古いビルと言えるであろう丸の内センタービル(↓)。
かつては富士通が入っていたこともある。日本勧業角丸証券本社部門が入っていたこともあったな。
このあたりは三菱地所所有のビルが多いが、この三井住友信託銀行(↓)があった位置に、大昔から住友信託銀行の東京営業部(本店は大阪だった)があった。当時仕事でよく行った。
このあたりにはビルの合間を抜ける細い抜け道が多くあったが、代表的なのがここ(↓)で、昔はすごく細い道だった。当時と比べるとビルは後退して、その代わり容積率が増えてどんどん高層化し、今ではその抜け道がずいぶん幅広くなった。
もはや抜け道ではなく、ちょっした広場。
そしてこんな店が金融街のビルの一階にできていたりする。隔世の感があるね。
ビアンキだ。
日本工業倶楽部のビル。
格式が高いね。
内装がこれまたすごいが、今日は中は見られない。
ここは日本で電話交換が始まった場所でもある。
明治23年だそうだ。廿は20ね。では30はどう書けばよい?
分からない人は調べてみてね。
すごい工事が始まっている。
1970年代後半に建てられた東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)の本社ビルは潰され、今は更地の状態だ。
建て替え工事が進んでいる。
20階建ての木造高層ビルが出来上がる予定だよ。一部鉄骨を入れるらしいが。
時代は木造へ。
結局コンクリートのビルだって、早いと30年も経たずに建替えられているのが日本の現状だからね。立派な寺社の釘すら使わない木造建築は、大地震にも耐えて数百年はもっているし。
なぜか私の横にウェイパァーが停車した。これさえあれば街中華は出来る。
万能調味料だね。
行幸通り(東京駅丸の内側と皇居を結ぶ通り)を横切る。
途中東京駅の正面が見える。
1980年代半ばに完成した郵船ビル。ここには仕事で何度も行った。今のところ建替えられる計画もないらしい。
行幸通りの皇居側だ(↓)。
行幸通りから入って丸の内を南下する。
丸の内ストリート・パークだ。
こちらは新丸ビル。
ちょっと地下に入ってみる。
新丸ビルが建て替えられる前からあった店舗が何か残っていて、今も営業しているかな~?と思って見てみたが、どうもなさそうだ。
Eatalyとは、なんとも変わった名前。パニーニその他を売っている。
ダジャレ的な名前で日本の会社かと思ったら、そうじゃなかった(笑)。
イタリアに本拠を置くグローバルな企業みたい。
地下深いJR横須賀線から上がって来て改札口を出ると、丸の内側に抜ける地下通路がある(↓)。
ここは変わっていない。特に画像右手の白いタイル(丸く囲ったところ)なんて1980年代から変わっていないと思う。
東京駅丸の内北口前の横断歩道(↓)。1980年代前半、ここで私は始業前の時間帯(朝8:00~8:30あたり)に何回もチラシ配りをした。自分が勤務していた銀行が発行する個人向け金融債を販売するためだ。自分達でデザインたチラシを自分達で配る。ここでチラシを配るには丸の内警察署で事前に許可証をもらわねばならない。すると交通の妨害にならないように、チラシ配りの人員の立ち位置や人数を指定された。
この横断歩道の手前で朝早くからチラシをずっと配っていて、ある法則に私は気づいた。ポケットティッシュなどつけずチラシだけを配る場合、受け取る人は10人~20人に1人くらいのものだった。しかしそれでも、信号が青になった瞬間、横断歩道を一斉に素早く歩いて来る人たちほどチラシを受け取る確率が高いのだ。
そういう人たちは、会社に早く到着しようとしており、顔つきも積極的で、チラシを配っている人(つまり私やその同僚)のことを道の向こうから事前に時々見ている。そしてチラシのような微小な情報も逃さず持って行く。
一方後ろの方をあくびしながらゆっくり歩いて来る人ほど、チラシを受け取る確率は低くなる。顔つきに生気が感じられない人が増える。会社に早く到着したいなどとは全く思っていないように見受けられる(笑)。
あちらのビル(↓)は旧大和銀行東京営業部のビルだったところだ。大手町野村ビルだね。
大和銀行(現りそな銀行)は1995年に大変な巨額損失事件を抱える。
その事件の前後でここにあった大和銀行の東京本部に仕事で何度も訪問したのでよく記憶している。
ここ(↓)は私が新人銀行員時代に最も頻繁に出入りした東京メトロ大手町駅の南側の改札だ。
この改札を出ると、最寄りの階段を上がって地上に出ることができる。その出口前に建っているのが、先にご紹介したこのビルだ。私はこの場所に以前建っていたビルに40年ほど前は通勤していたのである。ほとんど話がじじいの昔話だね。
しかしこれは単なるじじいの昔話ではない。地下から地上へ向かう出口階段の現在の位置がどうも昔のそれとは異なっているようなので、私はそれを検証しているところなのだった。
地下の大手町駅改札前のここから地上へ上がる階段は、昔は赤い矢印の方向に向かってついていたように思う。しかし今はそこに階段はなく、もうちょっと右の黄色い矢印の先にある階段あるいはエスカレーターで地上に上がることになる。
この黄色い矢印を行ってみましょう。
エスカレーターで地上に出たところだ。
以前は地下鉄からの出口が歩道上に作られていたが、それは歩道の交通の妨げになる。
下の画像を見ると変化がわかる。ここはエスカレーターや階段の出口だ。左手の歩道からは、地下と地上を結ぶ階段の出入口が消えたのだ。建替えられたビルはかなり右へ後退し、そこへ地下から地上に出て来たエスカレーターや階段の出口が来るように、その位置を右へ5m以上ずらせたようだ。住みやすい街になったというわけね。歩道はスッキリとしている。
そして信号のない横断歩道は歩行者優先で、ここを渡る(↓)。
ここでは大昔から、ドライバーが必ず停車してくれる。信号のない横断歩道で歩行者を優先することは道路交通法に定められているが、実際にはそれを守らないドライバーがだらけだ。
その点、千代田区丸の内1丁目(ここの住所)を走るドライバーは皆さん行儀が良い。
東京駅の前では結婚式の前撮りか、あるいは雑誌やウェブサイトの撮影か、ウェディングドレスを来た人とカメラ担当者がうろうろしている。黄色い破線で囲った人はウェディングドレスを着ている。
これ(↓)をバックに撮影しているのだ。
KITTE丸の内だ。日本郵政の本拠地。
KITTEってよく名付けたね。
デジタル時代に消えて行くKITTEだけど(笑)。
半世紀もしたら、切手と言われても何のことかわからない若者だらけかもしれないね。
カジュアルなビルの名前。今風だよ。
こちらはホテル。
トーキョー・ステーション・ホテル。
今は高級になった。
昔は残業した時に泊まったことが何度もある。
まったくやる気がないホテルだった。シングルで、共同浴場でたしか9,000円くらいだったな。よく泊まったのは35年くらい前の話だ。
それが今はめちゃくちゃ宿泊料金の高いホテルだとか。
ここに昔から駅長室と書いてあるんだけど、本当に駅長はここにいるんだろうか? 外に向かって扉が必要なのだろうか? そういうルールがあるのかな?
これが以前から不思議に思うものだ。手前の石はまあいいだろう。「東京駅」と書いてあるのだから。問題は同じ大きさで何も書かれておらず、その右手奥にずらして配置してある石(黄色い破線囲った石)である。何のために、この石を右手に、しかもずらせて置いてあるのでしょう。
こんな石です(↓)。意味がわからない。
何も書いてない。
誰かご存じですか?
裏側にも何も書かれてないんだ。でも役には立つよ。大柄な男性なら座るのにちょうど良いからだ。でもあまり座っている人は見たことがない。
丸の内北口。
いつ見ても美しいねえ。
もう一度、高級になったトーキョー・ステーション・ホテル。
こうなってからは泊まったことないんだなあ。
私が泊まったのは大昔の9,000円時代だけ。ボロボロでしたよ。
リュウノヒゲはこういう公共スペースに植えるのにとても便利。
通年で緑だ。丈夫である。密に生えるので、間から雑草が生えにくい。手間があまりかからない。
修復された東京駅の最上部(3階)。レンガが新しい。
しかし修復されたというわりには昔からあったようなレンガに見える部分も多い。
どういうこっちゃ? この3階部分のレンガなんて古そう。
こちらに修復の説明がある。
丸の内南口はこちら。
北口と同じデザイン。
これも美しいね。
【つづく】