中津城、学生の頃、中津の山奥、耶馬渓のユースホステルでアルバイトしていた頃に訪問して以来、50年振りの訪問である。なお、50年前の城のことは、全く覚えていない。
ご存じ、黒田官兵衛の築城だ。その子、黒田長政が関が原で功を挙げて、筑前52万石で出て行ったあとは、細川家が入った。中津城は三角形の縄張りだ。
まず、堀の周りを一周。天守は実際にあったかは不明、今は、五層の模擬天守が建ってる。
北東側から眺めると、五重五階は、なかなかのものだ。
そして、もう少し回ると、石垣に違いが判る。右側は黒田、左側は細川が築城したそうだ。
官兵衛とその奥方の像、奥方は、官兵衛に寄り添っている。官兵衛は後年、「如水」と名乗った。日本酒、上善水の如し、水の如く、自然体で行くということか。
この再建の城は、もとからあった櫓の上に、天守を建てた。その天守が大き過ぎたようで、櫓から少し左にはみ出ている。もうちょっと、何とかならなかったもんかなあ。
城内に入って、城井神社。この神社は、秀吉の命により、長政が、宇都宮氏を宴会で暗殺したため、これを祭っている。大河ドラマの官兵衛で、このシーン、あったよね。
最後は、天守に登る。中津城は、日本三大水城の一つ、中津川の水城だ。九州続・百名城巡りもいよいよあと一つ。