木曜日は、
危機管理教育&演習センター主催の「危機管理シンポジウム」に参加。表参道の国連大学ウ・タント国際会議場(写真)である。私は企業でBCP等を考える
事業継続管理者の資格を持っていて、その会員のため無料で参加できた。
首都圏の大震災・大水害、ハリケーンカトリーナ、9・11がテーマで、内閣府、リケン、危機管理センター等の発表の後、パネルデイスカッションでは、新潟県の泉田知事も参加していた。印象に残ったトピックスを書く。
その1。災害による死者の数。日本では戦後の災害では、阪神大震災がトップで6千人、伊勢湾台風が5千人、福井地震と枕崎台風が各々3千7百人。米国では、1900年にテキサスヒューストンでハリケーンで街がなくなってしまった8千人、1906年サンフランシスコ地震で火災3千人、2001年9.11で3千人ということで、両国とも「地震」と「台風」だ。そして米国のテロが加わる。
その2。
リケン㈱の専務の発表。この会社、中越沖地震で工場が止まって、自動車部品のピストンリングが供給できず、日本の自動車メーカーの操業がストップした有名な企業だ。リケン工場には最大1日に850人、日本全国から応援が来て1週間で復旧した。専務の最後の言葉「備えあれば憂いなし」
その3。新潟県の泉田知事。泉田氏は、以前通産省で石炭政策をやっていた。ヤマの閉山で街がどうなるかを知っていた。中越沖地震では、電力は停止しなかったが水道、ガスが止まった。知事は、リケンなどの企業を応援した。企業がなくなると街が壊れてしまう。工場復旧が遅れると業界のシェアを失ってしまい、雇用が確保できなくなる。一部地域住民の反対もあったが押し切った。この方、大変シャープな方のようだ。
その4。9・11。9.11の被災者がパネラーになっていて、その方の話。WTCは9.11の前の1993年に爆破事件があった。そのためWTCでは十分な訓練を積んでいた。一つ目のビルがやられて2つ目がやられるまで18分間。途中でアナウンスが入り、このビルは大丈夫と。しかし、誰も従わなかった。人々は爆弾だろうと予測し、自己判断で階段を降り、多くは助かった。これは十分な訓練の成果である。
などなど危機管理に従事する者にとっては面白く、参考になる話が多くあった。