今日は練習に3年生が4人参加してくれました(1人は何もしなかったが・・・)。それぞれ進路も決まり、時間ができたので手伝いに来てくれています。ありがたいことです。みなみは「最後の大仕事」があるのでそれに向けて練習再開。男子は少しずつ身体を動かすようです。引退して手伝いに来てくれるというのはやはりありがたいことです。陸上部の中で学ぶことがあったのでしょう。だからこそこの場に戻ってくることができる。嫌々やっていたのならわざわざ練習に来ないですよね!?本当にありがたいね。
練習自体はひたすら補強。昨日の練習内容は「泣くまで走る」だったので、今日は「泣くまで補強」ということでずーっと補強し続けました。2時間以上補強のみ。集中力が切れますがそこは自分との勝負でしょう?どれだけ強くなりたいかはこの辺りで見えてきます。どれだけ気持ちが強くても、技術が高くてもそれを支える土台がなければ力は出せません。嫌々やって結局やることは一緒。その上適当にやるなら効果は半減。考えてやらないといけません。「やらない」→「やるだけ」→「意識してやる」→「チームメイトに注意をしながら、自分は意識してやる」のランクでしょうか?今自分がどのランクにいるか考えなさい。「やらない」のランクにはいないでしょうね。kanekoが「やらせて」いますから。「やるだけ」か「意識してやる」かのどちらかのランクでしょう。本当に強くなりたかったらチームメイトに指摘をしながらやらないといけない。指摘をすることで自分自身もそこに意識が向く。自分の動きの修正にもなる。どこのランクにいますか?
やるべき事を自分自身どれだけ「必要」だと思うかで効果は違う。自分に必要だからやるのか、やれと言われているからやるのか?嫌々やったって効果は出ません。どうせやるなら「強くなるために」やる方が効果が高いでしょう?意味があるでしょう?
「苦しくて流す涙」と「自分が情けなくて流す涙」、これは意味が違うと思います。走れない自分に対して「悔しい」とか「もどかしい」という感情が出てきて流す涙は絶対に次につながります。「練習をやり遂げた」という達成感の涙も大事ですが、いまのうちのチームには「悔しい」涙の方が意味があります。自分を変えるための涙が必要でしょう。別に「泣きなさい」と言っているわけではありません。それくらいに素直に感情を出して良いんだと言っているのです。
青春ごっこをするつもりはありません。人間を強くするのは間違いなく「悔しさ」や「情けなさ」という負のエネルギーです。最初の頃の競技はは「楽しい」「嬉しい」から入る。良い結果が出て嬉しい、みんなで練習するから楽しいというのが導入段階のエネルギー。それはいつまでも続きません。だってそんなに世の中うまくいくほど甘くはないから。絶対に挫折を味わう時が来ます。その時に「悔しい」「負けたくない」「もっとやらなければ」と思うことができるかどうかでその先の結果は変わってきます。負の感情がエネルギーに変わるのです。そしてまた「正」のエネルギーを求めて動き出す。社会に出て何度も挫折を味わいます。その時どう行動できるか?負けたまま諦めるのか、「悔しい」「自分を変えたい」と思ってもう一度立ち上がるのか?どちらが自分の力になる生き方でしょうか?
3年生は2年半という練習の中で大きく変わりました。苦しいこともあったと思います。もちろん辞めたいと思ったことだってあるはず。それを何度も乗り越えて今に至ります。人間は成長します。その成長をkanekoは嬉しく思う。これから先の力になると思います。3年生が練習に来てくれて嬉しかったな。雰囲気も明るくなるしね。心から感謝。
練習自体はひたすら補強。昨日の練習内容は「泣くまで走る」だったので、今日は「泣くまで補強」ということでずーっと補強し続けました。2時間以上補強のみ。集中力が切れますがそこは自分との勝負でしょう?どれだけ強くなりたいかはこの辺りで見えてきます。どれだけ気持ちが強くても、技術が高くてもそれを支える土台がなければ力は出せません。嫌々やって結局やることは一緒。その上適当にやるなら効果は半減。考えてやらないといけません。「やらない」→「やるだけ」→「意識してやる」→「チームメイトに注意をしながら、自分は意識してやる」のランクでしょうか?今自分がどのランクにいるか考えなさい。「やらない」のランクにはいないでしょうね。kanekoが「やらせて」いますから。「やるだけ」か「意識してやる」かのどちらかのランクでしょう。本当に強くなりたかったらチームメイトに指摘をしながらやらないといけない。指摘をすることで自分自身もそこに意識が向く。自分の動きの修正にもなる。どこのランクにいますか?
やるべき事を自分自身どれだけ「必要」だと思うかで効果は違う。自分に必要だからやるのか、やれと言われているからやるのか?嫌々やったって効果は出ません。どうせやるなら「強くなるために」やる方が効果が高いでしょう?意味があるでしょう?
「苦しくて流す涙」と「自分が情けなくて流す涙」、これは意味が違うと思います。走れない自分に対して「悔しい」とか「もどかしい」という感情が出てきて流す涙は絶対に次につながります。「練習をやり遂げた」という達成感の涙も大事ですが、いまのうちのチームには「悔しい」涙の方が意味があります。自分を変えるための涙が必要でしょう。別に「泣きなさい」と言っているわけではありません。それくらいに素直に感情を出して良いんだと言っているのです。
青春ごっこをするつもりはありません。人間を強くするのは間違いなく「悔しさ」や「情けなさ」という負のエネルギーです。最初の頃の競技はは「楽しい」「嬉しい」から入る。良い結果が出て嬉しい、みんなで練習するから楽しいというのが導入段階のエネルギー。それはいつまでも続きません。だってそんなに世の中うまくいくほど甘くはないから。絶対に挫折を味わう時が来ます。その時に「悔しい」「負けたくない」「もっとやらなければ」と思うことができるかどうかでその先の結果は変わってきます。負の感情がエネルギーに変わるのです。そしてまた「正」のエネルギーを求めて動き出す。社会に出て何度も挫折を味わいます。その時どう行動できるか?負けたまま諦めるのか、「悔しい」「自分を変えたい」と思ってもう一度立ち上がるのか?どちらが自分の力になる生き方でしょうか?
3年生は2年半という練習の中で大きく変わりました。苦しいこともあったと思います。もちろん辞めたいと思ったことだってあるはず。それを何度も乗り越えて今に至ります。人間は成長します。その成長をkanekoは嬉しく思う。これから先の力になると思います。3年生が練習に来てくれて嬉しかったな。雰囲気も明るくなるしね。心から感謝。