微妙なタイトルですね。ちょっと話をした内容を忘れないように記録しておきます。県記録会が終わってから翌日までの話です。
記録会が終わってから話をしました。月曜日は練習は休みにする予定。それでも集合はする。単なる伝達事項ですね(笑)。その時に「ある程度補強をしておくように」と伝えました。足りない部分を補う。体幹や上半身は足りていないから、という話をしました。あえて「抽象的な話」をしたのです。
翌日、少しだけミーティングをしました。この「ある程度の補強」に関してです。あえてどれくらいやったかを聞きました。ある選手は「腹筋をちょっと」という答え。ある選手は「近くの公園に行って懸垂を」という答え。この時点で「ある程度」の尺度が異なるのがわかるでしょうか?ある人にとっては「ある程度」は本当に少しやれば満足するレベルになる。ある人にとっては自分に足りないと思っている部分を補うために屋外に出て身体を動かす。ひょっとしたら「やっていない」者もいるでしょう。30分くらい必死にやった選手もいるかなと思います。
この「ある程度」という分かりにくい言葉。受け取る側によって、受け取る側の「覚悟」によって意味合いが全く異なるのです。「それなりにやっておく」だけで良ければやなりそれなりの結果しか残せません。与えられた指示に対して「何が何でも」という気持ちがあれば自ずとやるべき事が見えてくる。自分に必要な事を考えて、自らやる。これが出来るかどうかだと思っています。
なぜこのような話をしたのか?今の取り組みに対して考えさせる必要があるからです。1年前に比べるとかなりチームの雰囲気は変わってきたと思います。本来であれば選手主導で雰囲気づくりなどをしていかなければいけない。しかし、なかなかそれはできません。こちらとしてもやるべき事をやれるチームにするために引っ張っていかなければいけないという気持ちはありました。本当に変わってきたと思っています。一生懸命に「頑張る」ことができるようになった。
が、それは何と比較してなのか?過去の自分と比べて頑張れるようになっただけではないか。これまで10のうち2しかやれなかった者が4やれるようになれば倍の頑張りとなる。自分としては「すごく出来るようになった」という気持ちになる。間違ってはいないと思います。しかし、本当に強くなるために必要な「一生懸命さ」と比べると足りていない。そこに気づかないといけない。本当は10のエネルギーでならないといけないのに、「ある程度」やっていることでいつの間にか満足してしまう。人によって「ある程度」の基準が大きく異なるのです。
これまでの練習。本当に良くなっていると思います。が、それは目標に必要な練習として成立していたか?決められた量を走るだけではなくその「中身」の問題なのです。これまで苦しくなったときに「キツイな」と思って楽をしてしまったことはないか?人なら誰にでもあることです。しあし、それを続けていたら強くなれるはずがない。「絶対にやってやるぞ」という気持ちが持てれば最後の一回まで気をぬくことなくやれるようになるのです。
本当に強くなる選手というのは「その気」になっています。指導者は背中を押すことはできますが最後は選手自身がやるかやらないかだと。どれだけ力があったとしても最大限の努力ができない選手は魅力を感じません。強い弱いは別にして「やれる事を最大限やる」という選手であるかどうかだと思っています。
勝てるから楽しい、勝てないから楽しくない。これを基準にやっていたら練習は楽しくない。自分にどこまでできるかを試せるかどうかだと思っています。「ある程度」の満足度をどこに持っていくか。そこで結果は大きく変わってきます。本当に強くなりたいのであれば「苦しくても絶対にやり抜く」という気持ちが必要になる。その気持ちを持てるかどうかです。
かなり端折りましたが(笑)。そんな話をしました。実は続きがあるのですがそれはまた別に。分かりにくい記事ですかね?お許しを(笑)
記録会が終わってから話をしました。月曜日は練習は休みにする予定。それでも集合はする。単なる伝達事項ですね(笑)。その時に「ある程度補強をしておくように」と伝えました。足りない部分を補う。体幹や上半身は足りていないから、という話をしました。あえて「抽象的な話」をしたのです。
翌日、少しだけミーティングをしました。この「ある程度の補強」に関してです。あえてどれくらいやったかを聞きました。ある選手は「腹筋をちょっと」という答え。ある選手は「近くの公園に行って懸垂を」という答え。この時点で「ある程度」の尺度が異なるのがわかるでしょうか?ある人にとっては「ある程度」は本当に少しやれば満足するレベルになる。ある人にとっては自分に足りないと思っている部分を補うために屋外に出て身体を動かす。ひょっとしたら「やっていない」者もいるでしょう。30分くらい必死にやった選手もいるかなと思います。
この「ある程度」という分かりにくい言葉。受け取る側によって、受け取る側の「覚悟」によって意味合いが全く異なるのです。「それなりにやっておく」だけで良ければやなりそれなりの結果しか残せません。与えられた指示に対して「何が何でも」という気持ちがあれば自ずとやるべき事が見えてくる。自分に必要な事を考えて、自らやる。これが出来るかどうかだと思っています。
なぜこのような話をしたのか?今の取り組みに対して考えさせる必要があるからです。1年前に比べるとかなりチームの雰囲気は変わってきたと思います。本来であれば選手主導で雰囲気づくりなどをしていかなければいけない。しかし、なかなかそれはできません。こちらとしてもやるべき事をやれるチームにするために引っ張っていかなければいけないという気持ちはありました。本当に変わってきたと思っています。一生懸命に「頑張る」ことができるようになった。
が、それは何と比較してなのか?過去の自分と比べて頑張れるようになっただけではないか。これまで10のうち2しかやれなかった者が4やれるようになれば倍の頑張りとなる。自分としては「すごく出来るようになった」という気持ちになる。間違ってはいないと思います。しかし、本当に強くなるために必要な「一生懸命さ」と比べると足りていない。そこに気づかないといけない。本当は10のエネルギーでならないといけないのに、「ある程度」やっていることでいつの間にか満足してしまう。人によって「ある程度」の基準が大きく異なるのです。
これまでの練習。本当に良くなっていると思います。が、それは目標に必要な練習として成立していたか?決められた量を走るだけではなくその「中身」の問題なのです。これまで苦しくなったときに「キツイな」と思って楽をしてしまったことはないか?人なら誰にでもあることです。しあし、それを続けていたら強くなれるはずがない。「絶対にやってやるぞ」という気持ちが持てれば最後の一回まで気をぬくことなくやれるようになるのです。
本当に強くなる選手というのは「その気」になっています。指導者は背中を押すことはできますが最後は選手自身がやるかやらないかだと。どれだけ力があったとしても最大限の努力ができない選手は魅力を感じません。強い弱いは別にして「やれる事を最大限やる」という選手であるかどうかだと思っています。
勝てるから楽しい、勝てないから楽しくない。これを基準にやっていたら練習は楽しくない。自分にどこまでできるかを試せるかどうかだと思っています。「ある程度」の満足度をどこに持っていくか。そこで結果は大きく変わってきます。本当に強くなりたいのであれば「苦しくても絶対にやり抜く」という気持ちが必要になる。その気持ちを持てるかどうかです。
かなり端折りましたが(笑)。そんな話をしました。実は続きがあるのですがそれはまた別に。分かりにくい記事ですかね?お許しを(笑)