ここ数日間、選手にひたすら言い続けているのは「なぜその練習をするのか?」という意味を考えるようにという部分。高校生がそこまでやる必要があるのか?と言われるかもしれない。しかし、私は必要だと感じるようになった。目の前の選手に足りないことを補うために。
今の時代、「与えられること」が当然のようになる。何か自分がやろうと思えばそれに対して多くの場合、誰かが準備をしてくれる。教育機関などはその傾向が強くなりつつあると思う。その時その時はそれでいいかも知れないがその先どうなるのか?いつか自分で何かをやらなければいけない時が来る。そこの意味が分かるかどうか。取り組みの姿勢に応じて与えるレベルは変えていけばいいと思う。なんとなくやるのであればそれに合わせた指導。画一的に全員を同じモチベーションになるように指導していくのが良い指導なのか。そこも含めて考えていきたいと思う。
あえて「与えない」というのも必要なのではないか。欲すれば与える。それでいいのかなと思う。メニューを与えてそこから自分達がどう工夫するか。工夫するというよりもきちんと意味を理解して取り組んでいけるのか。ここはやはり大きいと思う。順番が来たら走るという感覚のままでは何本練習をやっても変化はしないなと感じるようになった。もちろん指導はする。動きの修正などは声をかける。その後、どうするかは本人達が欲するかどうかなのでは?と。
練習としては体幹補強サーキットをおこなって足運びのための縄跳び。ワンステップハードルをやってミニハードルでのスイッチングとスイッチングラン。動きに関しては前日とほぼ同じ流れで行った。できる限り飽きないような練習をしたいと思っている。マンネリは何も生み出さない。しかし、今は意図的に同じ動きを繰り返しやる。身につけさせたい動きがあるのでそこを重点的にやる。
前日の後半にやった練習が比較的好評だったのでバリエーションを変えて「加速段階練習」と「中間疾走練習」として実施。道具を使って加速段階の動きを作る。そのまま走る。中間イメージの練習をする。その後に中間マークで走る。やりたい動きに対して準備運動を入れて次に本来狙いとする動きを入れる。これにより結果として動きに変化が出てくる。やっていることは特別なメニューではない。どこでもやる内容。組み合わせることによって感覚の変化を生み出してそれを身につけさせる。そこに意味が出てくると考えている。
ある程度短い距離で動きを作って120m。呼吸を整えたらマーク走。ここでは50m地点にマークを置いて中間での動きの確認を。前日は意図的に詰めていたのでここでは元に戻す形で実施。マークの距離はかなり重要。当たり前の話だが走力によっていくつも準備する必要がある。本来であれば一人一人に合ったものを選択する必要があるのだが道具と場所の関係もあるので全てに細かく対応するのは難しい。最大公約数的なものになる。それでも可能な限り分ける。
補強サーキットを軽くおこなってもう一度120m。120m-120m-60mを。段差スタートで。120mに関しては「行けるところまでまだ行く」というスタンス。前回80mまで維持できたのであれば今回は81m維持できるようになればいい。本数的にはかなり少ないと思っている。何セットも行うスタイルは今は取っていない。本数が多い中でしか分からないこともある。時として必要だと考えている。疲労感がある中でしか身につけられないものがあるから。疲れていると楽をする。それは必要悪だと考えている。その感覚をどうやって身につけさせるかだと。
最後に40m↑30m→を3本。走って終わるというよりは最後にもう一度動きを作って終わりたいと考えていたので。追い込むというよりはある程度の疲労感の中で「今できる一番の動きをする」という部分を作りたいなと。追い込んで倒れるくらいやれば「充実感」はある。しかし、それが実際の走りに繋がるのかは別問題。それよりは「疲れている中で楽に走る感覚」をもたせたい。長い距離を走って終わるのではなく短い距離で動きを作り直して終わる方が正直キツイのではないかと思っている。誤魔化せないから。
blogとして意味があるのか。そこは考えたい。本当にマニアックで一部の人にしか受け入れられない内容になりつつあるかなとは思う。それでも今は書いておきたい。もう少し気持ちの整理がついたら以前のような書き方になるのかもしれないなとは思う。分からないが。
今の時代、「与えられること」が当然のようになる。何か自分がやろうと思えばそれに対して多くの場合、誰かが準備をしてくれる。教育機関などはその傾向が強くなりつつあると思う。その時その時はそれでいいかも知れないがその先どうなるのか?いつか自分で何かをやらなければいけない時が来る。そこの意味が分かるかどうか。取り組みの姿勢に応じて与えるレベルは変えていけばいいと思う。なんとなくやるのであればそれに合わせた指導。画一的に全員を同じモチベーションになるように指導していくのが良い指導なのか。そこも含めて考えていきたいと思う。
あえて「与えない」というのも必要なのではないか。欲すれば与える。それでいいのかなと思う。メニューを与えてそこから自分達がどう工夫するか。工夫するというよりもきちんと意味を理解して取り組んでいけるのか。ここはやはり大きいと思う。順番が来たら走るという感覚のままでは何本練習をやっても変化はしないなと感じるようになった。もちろん指導はする。動きの修正などは声をかける。その後、どうするかは本人達が欲するかどうかなのでは?と。
練習としては体幹補強サーキットをおこなって足運びのための縄跳び。ワンステップハードルをやってミニハードルでのスイッチングとスイッチングラン。動きに関しては前日とほぼ同じ流れで行った。できる限り飽きないような練習をしたいと思っている。マンネリは何も生み出さない。しかし、今は意図的に同じ動きを繰り返しやる。身につけさせたい動きがあるのでそこを重点的にやる。
前日の後半にやった練習が比較的好評だったのでバリエーションを変えて「加速段階練習」と「中間疾走練習」として実施。道具を使って加速段階の動きを作る。そのまま走る。中間イメージの練習をする。その後に中間マークで走る。やりたい動きに対して準備運動を入れて次に本来狙いとする動きを入れる。これにより結果として動きに変化が出てくる。やっていることは特別なメニューではない。どこでもやる内容。組み合わせることによって感覚の変化を生み出してそれを身につけさせる。そこに意味が出てくると考えている。
ある程度短い距離で動きを作って120m。呼吸を整えたらマーク走。ここでは50m地点にマークを置いて中間での動きの確認を。前日は意図的に詰めていたのでここでは元に戻す形で実施。マークの距離はかなり重要。当たり前の話だが走力によっていくつも準備する必要がある。本来であれば一人一人に合ったものを選択する必要があるのだが道具と場所の関係もあるので全てに細かく対応するのは難しい。最大公約数的なものになる。それでも可能な限り分ける。
補強サーキットを軽くおこなってもう一度120m。120m-120m-60mを。段差スタートで。120mに関しては「行けるところまでまだ行く」というスタンス。前回80mまで維持できたのであれば今回は81m維持できるようになればいい。本数的にはかなり少ないと思っている。何セットも行うスタイルは今は取っていない。本数が多い中でしか分からないこともある。時として必要だと考えている。疲労感がある中でしか身につけられないものがあるから。疲れていると楽をする。それは必要悪だと考えている。その感覚をどうやって身につけさせるかだと。
最後に40m↑30m→を3本。走って終わるというよりは最後にもう一度動きを作って終わりたいと考えていたので。追い込むというよりはある程度の疲労感の中で「今できる一番の動きをする」という部分を作りたいなと。追い込んで倒れるくらいやれば「充実感」はある。しかし、それが実際の走りに繋がるのかは別問題。それよりは「疲れている中で楽に走る感覚」をもたせたい。長い距離を走って終わるのではなく短い距離で動きを作り直して終わる方が正直キツイのではないかと思っている。誤魔化せないから。
blogとして意味があるのか。そこは考えたい。本当にマニアックで一部の人にしか受け入れられない内容になりつつあるかなとは思う。それでも今は書いておきたい。もう少し気持ちの整理がついたら以前のような書き方になるのかもしれないなとは思う。分からないが。