kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

やりたいことを

2018-09-04 | 陸上競技
記録しておきます。

月曜日、この日の練習でも前回と同様に考えさせたいと強く思っていた。前半部分は体幹強化サーキット、車系、全身系を行ってから走りにつなげていく。この辺りは本人たちに任せていた。少し仕事をしてからグランドへ。

ワンステップハードルをやって重心移動を生み出す。これが今の一番の課題。必ず胸の前まで持って来て落とすという部分だけは徹底したい。途中で落としてしまったらやりたい練習とは異なってしまう。膝の引き出して重心移動が生み出せない選手は距離を延ばすと届かなくなる。更にはリード足の開きが出てしまい膝の締めがなくなる。

この部分は当然のことながら「あり得る」部分。マーク走でもあるが「届かないから届かせるために膝から下を振り出す」という動きが生じる。重心移動さえしっかりとすれば問題なく届くがやっているうちに「間を届かせる」ことが目的となってしまう。本来やろとしていることとは異なる。リード足を前に出すことで1度目の重心移動が生まれる。接地するときに身体の真下について前に進む。ここで「乗り込む」というような感覚になるのかもしれない。さらには「抜き足を前まで持ってくる」ことで次の重心移動が生まれる。その足を落とすときにもう一度身体の真下でとらえるようにする。この連続的な動きで進む。

さらにそこからは「身体の前で動かす」という中間の動きを作る。ミニハードルを使ってのスイッチング。連続で脚を入れ替えていく。この時に直線的な足運びが出来ていなければ前まで来ない。円運動をする時間は限られていると思っている。後ろで回転する部分があれば前まで持ってくることは難しい。ワンステップハードルからスイッチングにつなげていく所が若干難しいのかもしれない。

スイッチングラン。見ていて「速くいって誤魔化す」というのがあった。これも難しいところ。やりたいことは「フォロースイングで身体を前に運ぶ」という部分。それが間を速く走ってしまうことで届かせている。一見すると「届いている」のだから問題はないという感じになる。しかし、やりたいのは「スイッチング」の部分。間を届かせることではない。スピードを上げて届かせるものは切り替えた足がすぐに落ちてしまう。高い位置まで引き出せない。そうなると尚更「前で回す」という感覚からは遠ざかる。練習を止めてもう一度「やりたいこと」について話した。そこからは本人たち次第。

チューブ走を少し。強めのチューブと軽めのチューブで数本。そこから40↑30→。距離が足りなかったので結局は25→くらいになってしまった。加速段階と中間の動きの感覚を作るための練習。途中もう一度投げかける。「加速段階と中間の足運びの違い」はどこにあるのか。マークを置いて自然とそのような動きになるよう心掛けている。しかし、それだけでは次のステップには進まないのではないか。40↑30→でやりたいことは何か。ここをもう一度念をししたかった。1年生に答えさせ正解を3年生から伝えさせる。言葉足らずの部分があったので私も補足。

終了後、トーイングを2本ずつ行う。普段よりも強めに引っ張ることに。すぐに120mT-120m-60mを。ここからはグループごとに練習。120mTは人数制限があるので先に終わったグループは休まずに体幹トレーニングをやってB走DM走を1本ずつ。さらにもう一度120mT-120m。終了後、60mの替わりに40m↑30m↑を。

最後の走りはかなり良かった。動きの変化が目に見えて分かる感じ。選手も感じていた。では、何が変わったのか。そこが分かるか。なぜ、動きが変わったのか。どういう感覚なのか。もっと変える方法はないか。そこを考えたい。考えてもらいたい。一時的な変化で元に戻るので会えば意味がなくなってしまう。必要な動きをこれから続けていくためにどこにポイントがあるのか。

工夫することの楽しさを分かるようになるか。それだけ伝えて終了。雰囲気的にはかなり良かった。これが継続できれば。
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理解

2018-09-04 | 陸上競技
とりあえず記録として。練習でやったことを記録しておきます。

土曜日。天気予報通りの雨。屋外での練習は不可能かなという感じ。そのため室内練習を計画。前日に屋外でかなり負荷をかけているので問題はないかなと。合宿中に師匠から選手が言われたこと。「kanekoが指導している内容、きちんと分かっているのか?」という言葉。ずっと思ていたことだった。こちらが目標としている動きが身につかない。膝締めをしたい。それなのにどれだけやっても膝が開く。

以前に比べると基礎ドリルの量は大幅に減った。ドリルだけを抜き出して足運びをひたすらやるという練習はほとんどない。動きの中でそれができるようにしたい。が、できない。こちらの持って行き方が良くないのだろうと考えていた。もう少し工夫をすればそれを補えるのではないか。強制的に膝が締まって動けるようにする練習はないのか。そう考えてやっていた。

が、結局「狙いとする動き」はできていない。そうであれば今のやり方は改めるべき。どこをどのように修正すればよいか。答えはない。何が正解で何が間違っているのか。それを示すのは難しい。この部分に関しては本当に難しい。トップ選手の動きが良いものだとすればそれを真似るのが一番手っ取り早いのかもしれない。しかし、その選手に合った動きなのかどうかは本人にしかわからない。膝から下の振り出しを意識するドリルも存在するがその動きが効率的だとは思えない。反面、その動きが合う選手も稀にいる。だから正解は分からない。

やっている練習。なぜその動きをやろうとしているのか。そこに対して理解ができているか。「乗り込む」という表現がある。それはどのような動きでどのような感覚なのか。こちら側がどれだけ説明しても「体感」したことがなければ分からない。走る中で「乗り込む」という感覚をどれだけの選手が意識できるのだろうか。

話が逸れる。ハードルの指導で「刻む」という表現がされることがある。ハードルインターバルを速く動くための表現。トップ選手の動きの中では定められたインターバルを速く刻まなければ詰まってしまって踏み切れなくなる。しかし、その表現はあくまで「一部の選手」のため者だと考えている。実際、高校生レベルでは「刻む」という感覚では走れない選手も多い。中学時代の8mから高校一般の8.5mにインターバルが伸びた時、ほとんどの選手が走れなくなる。それはもっと前段階の基礎ができていないからではないか。一般的に使われる「表現」をすべてのカテゴリーの選手に適用するのは実際問題ふさわしくない。これも正解かどうかは分からないが。

そう考えていた。練習メニューの中にある「動きの基礎」という部分。それをやっていたら自然に動きが身につくのかどうか。合宿などで指導すると「分かっていないがとりあえずやる」という選手が目立つ。その場で初めていわれたことだというのもある。しかし、それがどのような意味を持つのかを考えられるようにならなければいけないのではないか。全員が全員、ハイレベルな競技をするわけではない。より良い動きを身につけるためには何らかのきっかけが必要なのは間違いない。

そう考えた。全てを与えるような練習計画では結局、動き自体が大きく変わることはない。やっている者はそれぞれに「一生懸命にやっている」のだから。その一生懸命の動きが正確なのか、本当に必要な動きなのかは別問題になっている。だからこそこちらが「与えすぎている」という感覚がある。選手自身の「工夫」や「内面と向き合う」という機会をこちらが奪っているのではないか。

土曜日の練習。そう考えて「重心移動感覚」「足運び」に時間を割いた。アドバイスはする。が、少し遠くから見ている感じがあった。私自身の集中が切れているわけではないと思う。それでも少しスタンスがいつもとは違う。結局は「何をやろうとしているのか」「何のためにやっているのか」が不明であれば10本やってもそれは「作業」でしかない。ベルトコンベヤーに本体が乗っていてそれに作業員が部品を取り付けていくようなイメージ。気が付いたら製品ができている。そういう形にはしたくないなと改めて感じた。

どのように考えてやっていたのかは不明。詳しくは聞かなかった。それも必要なことではないか。速く走れるようになりたいと思えばやはりやるべきことは見えてくる。そうでなければやはり何も変わらない。

シャフト補強をやってスピードスキップをやって終了。かなりの時間を「感覚作り」に使った。自分たちがやっていることの対して「理解」ができるかどうか。そこに時間を割きたい。私が同行ではなくやろうとしている本人たちがどうするのか。そこがだいじではないか、と。

とりあえず記録しておきます。
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