思うことを。
今の自分の中で消化できない感情がかなりたくさんある。それを言葉で表現しようと思ってもそれもできない。葛藤というか。品行方正で生きていければいいと思うがそれは難しい。大なり小なり他者を傷つけながら不快な思いをさせながら生きている。blogを書くという中で自分の感情をどのように表記するか。それも非常に難しいなと思う。
競技指導をする。それにより自分自身は何か得るものがあるのか。見返りを求めるものでもない。そうであればそこに関しては「自由意思」であってもいいのではないか。指導をするのも指導をしないのも自分自身の意思でいいのではないか。すべての人に満足してもらえる活動はできない。どうするべきか。常に消化不良を起こす。
競技の指導に関して。どれだけの人が必要としているのか。どのような形で指導するのがベストなのか。その部分も含めて考えていきたいなと思う。自分のところの選手をどうするかを最優先に考えている。そこは昔も今も変わらない。「ハードルについて」問われることがある。その時にはある程度のことを返すようにしている。しかし、それが本当に必要なことなのかどうか。
スプリントに関してもハードルに関してもそれぞれの指導者の特徴がある。それに対して私はどうするべきか。何を伝えるべきか。ここは難しい。選手に対してどのようなアプローチをするか。いや、もともとその部分が必要なのか。立場と責任。それを考えさせられる。今回国体でハードルに関わらせてもらった。前から書いているが別に私が関わったから成績が良かったということはない。多少なりと貢献したのかもしれないが。
実際、スプリント系ではインターハイと国体に何度か出場させてもらっている。女子の100mではインターハイは述べ4回、200mで3回、400mで1回。リレーで2回。国体は述べ7人。それはどうなのか。110mHではインターハイ国体それぞれ1回ずつ。特別な結果ではない。自分の中では以前は「それなり」だと思っていた。しかし、現実問題を考えると大きな結果だと胸を張るレベルには達していないとは思う。そんな人間がこうやって偉そうにblogを書いているということの意味は?本当にあるのか。自分自身でもわからない。それが消化不良の原因となるのかもしれない。
このblogの存在する意味は?書き続ける必要があるのか?大きな疑問ではある。これは完全に「自己満足」の域を超えない。それでも書くのか?何かを生み出す可能性があるのか?以前から「日記」として書くのであれば自分で手帳に書けばいいのでは?という意見もある。確かに。大したことのない人間が書き続けることで何があるのか。ここ不明。自分でもわからない。
まとまりはない。この記事自体に意味があるのかもわからない。それでも感情を外に出したいと思って書いた。ため込むといいことはない。分かってはいるが器用なほうではないので結構ため込む。他にも色々なことがあって感情のコントロールが難しい。
記しておく。
今の自分の中で消化できない感情がかなりたくさんある。それを言葉で表現しようと思ってもそれもできない。葛藤というか。品行方正で生きていければいいと思うがそれは難しい。大なり小なり他者を傷つけながら不快な思いをさせながら生きている。blogを書くという中で自分の感情をどのように表記するか。それも非常に難しいなと思う。
競技指導をする。それにより自分自身は何か得るものがあるのか。見返りを求めるものでもない。そうであればそこに関しては「自由意思」であってもいいのではないか。指導をするのも指導をしないのも自分自身の意思でいいのではないか。すべての人に満足してもらえる活動はできない。どうするべきか。常に消化不良を起こす。
競技の指導に関して。どれだけの人が必要としているのか。どのような形で指導するのがベストなのか。その部分も含めて考えていきたいなと思う。自分のところの選手をどうするかを最優先に考えている。そこは昔も今も変わらない。「ハードルについて」問われることがある。その時にはある程度のことを返すようにしている。しかし、それが本当に必要なことなのかどうか。
スプリントに関してもハードルに関してもそれぞれの指導者の特徴がある。それに対して私はどうするべきか。何を伝えるべきか。ここは難しい。選手に対してどのようなアプローチをするか。いや、もともとその部分が必要なのか。立場と責任。それを考えさせられる。今回国体でハードルに関わらせてもらった。前から書いているが別に私が関わったから成績が良かったということはない。多少なりと貢献したのかもしれないが。
実際、スプリント系ではインターハイと国体に何度か出場させてもらっている。女子の100mではインターハイは述べ4回、200mで3回、400mで1回。リレーで2回。国体は述べ7人。それはどうなのか。110mHではインターハイ国体それぞれ1回ずつ。特別な結果ではない。自分の中では以前は「それなり」だと思っていた。しかし、現実問題を考えると大きな結果だと胸を張るレベルには達していないとは思う。そんな人間がこうやって偉そうにblogを書いているということの意味は?本当にあるのか。自分自身でもわからない。それが消化不良の原因となるのかもしれない。
このblogの存在する意味は?書き続ける必要があるのか?大きな疑問ではある。これは完全に「自己満足」の域を超えない。それでも書くのか?何かを生み出す可能性があるのか?以前から「日記」として書くのであれば自分で手帳に書けばいいのでは?という意見もある。確かに。大したことのない人間が書き続けることで何があるのか。ここ不明。自分でもわからない。
まとまりはない。この記事自体に意味があるのかもわからない。それでも感情を外に出したいと思って書いた。ため込むといいことはない。分かってはいるが器用なほうではないので結構ため込む。他にも色々なことがあって感情のコントロールが難しい。
記しておく。