kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

何をやるか

2018-10-31 | 陸上競技
思うことを。

話をする中で感じることがある。「熱量」と「理論と実践」という記事に書いた内容と重なる部分も出てくるが。

「hoshoの練習は高度なことをやっていると聞いている」と言われた。進路を決定する中学生にとっては敷居が高いという感じがあるのかもしれない。いやいや、その話はどこから出たのか?恐ろしい話です。今年度に入って市内の競技場で練習をすることが皆無といって良いほどの状態です。理由は「時間がもったいないから」という部分。行き帰りの時間で1時間ロスしてしまう。これは勿体無いのではないか??電車での移動であれば勉強する時間に充てることも可能だが自転車での移動となるとそれは不可能になる。だから全く行かなくなった。

そんな状態。それなのに「高度な練習をやっている」という話が出る。いや、誰も見てないだろうという話です。ある人と話していて「昔ながらの練習をやっているところが多いですね」という言葉があった。確かに。新しいものが良いとは思わないが「意味のあることをしているのかどうか」は大きい。一時期流行ったBCT。これはきちんと理解してやれば使う所にきちんと刺激が入る。それにより次に行う動きにとってプラスに働く。が、大半は「良いと聞いたからやっている」という感じになる。本家本元がどのような感覚でやっているのか。それをみて「真似をする」指導者がいてさらにそれを「真似る」ことでこのような状態が生まれる。パクリのパクリ。

そういえば毒舌の指導者が「◯◯の劣化版」と揶揄していたことがある。酷い言葉だと思うが事実だと思う。何を意識して練習をしているのかが明確ではない練習をどれだけやっても何も変わらない。同じ動きをひたすらやり続ける所もある。バリエーションが多ければ良いとは思わないが、意味のある動きを繰り返すのかどうかは大きい。

で、話をして戻す。うちの練習、はっきり言って「普通のことをやっているだけ」だと考えています。その「普通」がどの基準なのかは別別として。珍しい練習や奇抜な練習をしている方が目につく。その方がインパクトはあるのかもしれない。が、うちは特別なことは何一つやらない。だからインターハイ出場レベルで終わってしまうのかもしれないが。

その代わり、ポリシーを持って練習をしている。やりたい動きがあってそれを目指して練習をする。やりたい動きが一つであってもそこに対してのアプローチを増やす。だから道具を使うことが多い。理論を詰め込んで頭でっかちになっても選手は強くならない。道具を使うことである程度の意識をすることで動きは変わっていくと感じている。もちろん、その中にもポイントがあってそこを外すといけないというのはあるが。

以前、前任校でバスケ部の顧問が「どこの学校が来ても練習したメニューや内容は伝える」と話していた。「見せても意味が分からんから関係ない」と。悪口ですかね。いや、事実だと思います。何をやっているのかというよりは「どこに課題を置いてやっているのか」が重要だと考えているからです。表面的な部分だけを真似ても結果は全く異なる。指導する側がそこに意識を置けるかどうか。指導者自身が内容を理解しておけるかどうかです。

話をする中で「結果を出している指導者にはやはり理由がある」と言っていました。いや、私はそんなに結果を残してはいませんが...。過大評価です。やっていたら誰か伸びるという練習はしたくないなと思っています。それが工夫につながる。更には県外に出て学ぶことに繋がる。それをきちんとやっていけば自ずとやるべき事、やった方が良いことは見えてくるのだと思っています。一朝一夕に結果は出ません。それでもある程度の結果は出てくる。

高度な練習というのは誰が言ったのか。何をもって高度というのか。分かりません。本当に普通のことしかやりません。身体が上手く使えるようになれば良いなというのが最近の大きなテーマでは有ります。軸を意識したり身体をコントロールするような練習はありますがこれはどこでもやっている話。走るために必要なことをどれだけやるか。特定の動きが出来るようになったところでそれが本当に専門種目に生きるのかは分からない。でも正解はひとつではないと思います。正しいと信じてやっていけばいつの日にか芽がでる可能性はある。誰にも分からない部分ですが。

あれこれ考えることはある。今自分がやっている事が本当に正しいのか。常にそういう気持ちを持ち続けたいとは思う。やっている事が絶対的だと思っていたり、何も考えずに同じようなことをやるのは避けたい。この1年間、毎日練習計画を立てるようになった。テスト期間以外は同じ練習をしないようにしたいという想いはある。やりたい動きは限られていてもそれに対して様々なアプローチの仕方があると思う。そこを探していくのも面白いなと考えている。

競技のことを考えおきたいと思う。今は他のことをできる限り考えたくない。何かに集中しておきたいという気持ちが強くある。もちろん仕事のことは考えないといけないし、やらなければいけない。それ以外のことは考えない時間を作りたいと思っている。狭い世界で生きていると言われると思う。それも受け止めていきたい。誰かに肯定されるために生きているわけでないから。
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理論と実践

2018-10-31 | 陸上競技
思う事を。

昨日、社会人選手と話をした。今後のことについて。学校の近くの職場で働いていることもあり何かしら一緒にできないかなという感じで。知り合いから連絡先を聞いてこちらから声をかけさせてもらった。彼はインターハイで入賞した経験を持つ選手。就職して1年間全く競技をやっていなくてそこから競技復帰。まだベストには届いていないが3年計画の2年目が終わったということだった。来年度は勝負したいということ。頭が下がる。

互いに思っている事を話した。なかなか楽しい時間だった。高校時代はそこまで専門的な練習をしていない中でかなりの記録を残した。大学に行って四年間で1センチベスト記録を更新。幅跳などの記録は飛躍的に伸びたが専門種目の記録は1センチ。色々思うことがあったらしい。

様々な能力は高校時代と比べて伸びた。しかし、それが専門に活かされていない。どうなんだろうという話。コントロールテストの話をした。これは互いに意見が一致していた。「高跳びで2m15跳ぶ選手は◯◯の能力が優れている」という話をする。それが選手固有のものなのか、跳躍に本当に必要なものなのか。その照明はされない。コントロールテストで力を発揮したとしてもそれが本当に専門に生きるのか。別問題ではないか。この辺りもマニアックな話を延々としていた。楽しい。

骨盤の動きの話。ある選手の動きを見ていると骨盤を前後させて大きな動きをしている。ダイナミックな助走ができているからそれを真似してみるのはどうか。スプリントでも同様な考え方はあると思う。骨盤が前後してストライドを稼ぐような走りをする選手もいる。膝から下を降り出すような動きをして速い選手もいる。それが正解かどうかは正直分からない。が、その選手にとっては正解なのだと思う。高校時代、全国で圧倒的な強さを誇っていた選手。荒削りでこんな走り方なわで強いんだ?!と何度も思っていた。が、専門的な練習をして動きがまとまってしまった。それにより高校時代の記録とは程遠い走りしかできなくなっていた。現実的な部分。

理論と実践。ここについては考えなければいけないと思う。社会人選手になれば多くの情報が入ってくる。大学も同じだとは思うが。その部分の中で「知識過剰」になってはいないか。海外の指導者から指導を受けたという選手のニュースを見ることがある。それはそれですごい経験だと思う。しかし、その理論的なものが本当に本人に入り込むのか。擦り合せることができるのだろうか。頭で理解してその理論を実践する。理論的な動きは出来ているのもしれない。それによってパフォーマンスが向上するのかどうかは全くの別問題ではないか。地面からの反発をもらう。これはベースにある。しかし、その感覚だけを磨いていって本当に走れるのか。客観的に見て動きが悪くなっているとしても本人は「正しい動きをしている」と感じている。それが正解なのか?

話の中で高校時代の話を聞いた。顧問の先生が「自分のやりやすい動きでやってみるように」と言われていた、と。技術的な指導云々ではなくて「動きやすい動きをする」ことを求められていた。ここに大きなヒントがあるのではないかと思う。指導者は「型」にはめたがる。選手は「最新の理論」に飛びつきやすい。それにより様々なチャンスを失ってはいないか。本来であれば「競技パフォーマンスを上げる」というのが大切なのに「良い動きをする」ことにとらわれすぎていないか。

大学の教授の話。日本を代表する選手を複数名育てたという内容。しかし、その裏には数え切れないくらいの選手を潰してきたと言われたらしい。正に。目立つ選手がいればその選手の動きが評価される。その動きが正しいと言われる。その反面、全く走れなくなる選手も出てくるのだと思う。100人いて1人にめちゃくちゃあハマる。それが今の世の中の評価。日の目を見ない選手については触れられない。

今。私は1人だけを育てるという気はさらさらない。別に自分が評価を受けるために指導をしているわけではないから。それぞれに合った動きや感覚を探って行きながら少しずつ記録が伸びれば良いと思っている。もちろん、日本一になるという目標は持っている。今はなかなか遠いがいつの日か必ずと思ってやっている。色々な指導をする中で見つかることもある。

話をする中で多くのことを感じることができた。周りからすれば何を言っているんだ?!という感じになるのかもしれないが。貴重な時間だった。
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熱量

2018-10-31 | 陸上競技
思う事を。

物事に対する熱量。それは人それぞれだと思う。私も先日42歳になった。気今の仕事に就いて17年が経過しつつある。その中で自分自身の考え方も取り組み方も随分変わってきた。何かに対する熱量は増えたのか減ったのか。ここは自分ではよく分からない。

色々な人と話をすると「熱いですね」と言われる。自分ではそれは全く分からない。普段の自分の中で「熱心だな」と思う事はない。私自身にとって今の自分が「普通」だから。比較対象が他者であるなら私にはずっと理解できない感覚なのかもしれない。「熱苦しい」という意味での「熱い」なのではないかとは思う。肌の色も焼け焦げていますし。

単純に「熱い」という部分であれば20代や30代前半のほうが熱かったと思う。全てのことにエネルギーを使っていました。今の仕事の2年目は初めての担任、生徒会主担当、野球部部長をやりました。半端なく大変だった。夏には尿管結石になり救急搬送されましたし。新しい事を作り出そうという感覚がかなりあった。そういう部分があったので怒りの沸点もかなり低かった。許せない部分に対しては徹底的に指導していた。

練習に関しては更に。やり過ぎだと言われるくらい量を追っていたと。今では考えられない。400形が中心だったのである程度の量を追う。当時の練習形態しか知らない方からは「めちゃくちゃ練習させる」と今でも思われていると思います。150mを5本3セットやってから更に往復走をやる。終わって倒れている所にダウンサーキットをやって追い込む。立ち上がれないくらいやっていました。当時はそれでも「やってやる」という気持ちのある選手が複数いてくれたというのもあるかなとは思いますが。今ならもっと効率良くあの子達を伸ばしてあげられたのではないかなと反省しています。熱くなりすぎて見落としてしまうことが多くあった。

前任校の最期の2年間くらいは様々な経験があって随分「冷静さ」が身に付いていたと勝手に考えています。「あれでか?!」と言われるかもしれませんが。それでもあれこれありましたが。本当にインターハイにリレーで行く気があるのか。それがこちらには伝わらない。もう諦めようという話もしました。今でも覚えていますが、日誌にmakinoが「先生の言っていることが分からない」と書いていました。物事に取り組む姿勢。これ全てだ、と言い続けていました。その「全て」って何ですか?という感じの話だったと思います。日本語は難しい。

当時、kanaが「先生が指導している中で一番のチームは?」というのを聞いてきた記憶があります。「競技力は今が最高レベル」だと答えました。取り組みの姿勢や覚悟に関しては県総体で総合優勝した2年間が最高だ、と。「最高のチーム」という表現はなかなか難しい。一長一短あります。それでも沖縄インターハイの年の学年は様々な面で最高レベルだった。入部してからの変化は最高。60mを走り切れなかったり、髪の毛の色を染めてきて「日に焼けました」と豪語するレベルから県を代表するレベルまで行きましたから(笑)。

当時の熱量と比べたら今は??自分の中での変化という意味では大きな声を出すことも極端に減りましたし、ガンガンやるというのもほぼなくなった気はします。これが冷めたという表現として適しているのかは全くの別問題かもしれませんが。熱量が減ったというのをどう判断するのかは本当に難しい。当時と今では地域も違う。学校も違う。その中でどうするのか。考えた末の自分の中での変化。許せない部分というのは常にある。だからといって激怒するほどの話ではなくなっている。自己責任という部分が大半だから。

楽しくないなと思う事も数え切れないくらいある。競技だけではなく様々な要素が自分の中にあるから。それでも今何をするのかは考えていきたい。熱量が一気に増える事はないのだろうと思う。一瞬で熱が奪われる事はあるのかもしれない。唯一の長所である「熱意」が何かを生み出すのかもしれない。そこは自分の中で考えていきたい。

まとまらない。いつも通り。
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