kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

話をする2

2018-10-19 | 陸上競技
続き。まー自己満足のblogなので面白くない話を書き続けます。

短距離だけに話を。マズローの欲求段階の話。保健体育で習っているはずだと思い投げかけましたがなかなか。この話はどこでもするのでもう何度か話をしている可能性があるのですが。

人間の欲求というのは発達に応じていくつかの段階に分かれていく。最初は「生理的欲求」と言われるもの。赤ちゃんと一緒です。寝たい、食べたいという人間誰もが持っている基本的な欲求。「安全欲求」に関しては割愛。今、部活をやっているというのは「所属欲求」の辺りから始まっていると思います。一人で何かをやるのではなくあるいっていの「集団」の中にいる事で安心感を得る。競技云々ではなくみんなと一緒に何かをやるという事に満足する。

で、「承認欲求」です。この辺りから難しくなる。以前もありましたが「女子にしか指導しない」と声を上げていた選手もいます。本当にそうでしょうか?毎日全員と一言だけでも話をするようにしています。競技力が上がって上の大会に繋がる選手が出てくればそこに関わる時間は増えていきます。それを持って「女子にしか指導をしない」と批判するのは如何なものか。この言葉の裏側には「自分を認めて欲しい」というのがあると思います。自分も練習を一生懸命にやっているのだからもっと見てほしい。認めて欲しいという欲求。

ここはどうなのか?私に認められるために競技をやるのか。もちろん、きちんとやっていることに関しては認めますし、褒めます。しかし、それは過剰である必要はない。誰かと比べて声をかけられる回数が少なかったからといってそれはどうなのか?私が見ていなかったら「練習やらなくてもいいんじゃない?」というような風潮になるのはやはり違う。

赴任した時は正にこんな感じでした。私が不在の時は部室から出てこない。出てきたと思えば真面目にやっている選手にひたすら話しかけて妨害をする。私がいる時には率先して動く。このギャップ。認められたい。その欲求が大きいのだと思います。誰かと比較して何かをするのか。ここは考えないといけない部分。

最後の段階が「自己実現の欲求」になる。これは自分の中にある可能性がどれだけなのかを確かめたいというもの。誰かに何かを言われたからやるのではなく「自分自身のため」にやる。この段階になれば人は勝手に成長していく。自分の考えだけが絶対に正しくて他者を認めない。こういうスタンスでは自己実現は成し遂げられないと思います。自分がどうするか。ここに尽きる。

これを練習などに置き換える。練習は自分自身のためにやる。何度もその話はしています。怪我をして練習ができない、一番しんどいのは自分自身のはずです。やりたくない言い訳に怪我を使うのであれば意味はない。本当にやりたいと思えば行動自体が変わってきます。治すためにどうするか。受け身にならず自ら動く。

練習内容も同様。与えられた事をやるだけで「強くしてもらう」のではない。自分自身のためにやる。動きの一つ一つの意味を理解して行動する。練習日誌を使って動きを振り返る。理解を深める。そういう部分がどれだけできるのか。やらされるのではなく「自分のためにやる」という感覚を持てるかどうか。やるだけの練習から抜け出せるかどうか。

これまで指導してきて「考えずにやる」選手が強くなったことはほぼありません。例外はありましたが。しかし、それは持っている力を最大限には引き出せなかったと思っています。やはりやるべき事が分かって行動できる選手が強くなる。これは間違いないと思います。全員が全国レベルになれと言っているわけではない。今の自分を越えるために何をするかだと思います。

これもどこまで求めるかだと思います。とりあえず伝えるべきことは伝える。あとは選手がどのように解釈するか。

とりあえず記録しておきます。
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話をする

2018-10-19 | 陸上競技
練習ではない部分の話。

全体に話をしました。普段は短距離と長距離は別メニューで実施しています。思う事があり全体を集めて話を。もちろんtnk先生の了承を得てですが。久しぶりに本の引用で話をすることにしました。「最善を尽くす」という部分。ここが一番大きな課題だと思っていたので。

郷に入っては郷に従え。今まで自分がやってきた事が全て正しくてそれを強引に主張し続けると痛い目に合う。私が赴任して最初がまさにそれでした。競技を通じて成長していく。が、それは新しい環境では通用しないし、求められていない。このギャップは大きかったですね。完全なる「悪」でしかなかった。

来週、県駅伝がある。そこに向けてどうするのか。この1ヶ月様子を見ていると故障している者が複数名。ほとんど走る練習をしていない。補強をしてエアロバイクを漕ぐだけ。これで本当に駅伝に出れるのか?短距離にも言えますが「安静にしていたら治る」のは当然だと思います。数ヶ月安静にして全く身体を動かさないという状態であれば痛みも引くでしょう。その代わり限られた競技生活の大半はもう戻ってこないという状態になる。治るのを待っている。そういう感じで受け止めていました。

今長距離は7人。3年生は1人ですが走ることはできない。実質6人です。駅伝を組むのは7人。どうするのか?tnk先生に相談されて出場するのであれば短距離から1人走らせるという流れになっていました。ここ最近は男子にも日誌を書かせるようにしています。その日誌に短距離の選手が「故障しているのを早く治さないといけない。このままでは長距離の駅伝に迷惑をかける。」と書いていました。この意味ですね。

それもあったので全体を集めました。長距離に言い聞かせるだけではなく短距離にも同じ事を伝えたいと思っていたので同時に。1ヶ月近く足を痛めている。毎日同じ練習をして治るのを待っている。それで本当に良いのか?長距離の練習は長時間にはならない。練習が終わってから積極的に治療に取り組んでいるのか?整体や鍼治療に行って少しでも走れる状態に近づけようと努力をしているか。痛みさえなくなればそれでレースに出れるというわけではなく練習を積まなければいけない。その段階に達しているのか?やれることを全てやって今なのか?

今長距離は3年生が2人。1人は1年生の時かは故障が続き、自分が走るよりも選手のバックアップに専念している。精神的な支えになる部分。もう1人はマネージャー。自分は走ることはないが毎日同じ休まずに選手を支えに来てくれている。この意味。駅伝に出れないのであればこの子達が練習に来る意味は全くなくなる。駅伝に出るという事を目標にこれまでやってきた。人数が足りなくて走れないのであれば今この子達がやっていることの意味はなくなってしまう。

自分たちが駅伝を走るという意識がどれだけあるか。これは短距離のリレーでも同じ事。

陸上競技は1人でもできる。個人のことだけ考えて自分の練習さえすれば試合に出れる事ができる。しかし、リレーと駅伝はそれができない。どれだけ強い選手がいても人数が揃わなければ出場することはできない。だからこそ私はリレーを重視する。みんなで一つの目標を共有するからこそできる事がある。そう考えている。今、リレーや駅伝の話がどれだけ会話の中に出てくるだろうか。本当にそこに向けて想いを共有できているだろうか。

その辺りがきちんと理解できればそれぞれがやるべき事は自ずと分かるのではないか。全ての答えは与えません。これだけ話しても伝わらないのであればやはりそこまで。やってもらう事が当たり前になっている間はいつまでたっても本物にはならないからです。やはり3年生の存在をどう感じるかというのが一番大きいと思います。

あとは短距離だけ話を。これはまた別に。
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