地味に生活をしています。少し気持ちが向いたらblogも書いていこうかなと考えてはいます。記録として。
正直、今競技に関して考えていることを話す機会はあまりまりません。興味を持っている人は少ないと思うからです。一般的な練習スタイルではなくなっている。これまで少し閉鎖的にやっていたところがあります。多分これからは今まで以上に閉鎖的になるのかなと。競技に対して興味を持っている人と話はするかもしれませんが。
「スプリントの基本」がある。しかし、色々なところで見ていると「何の意味があるのかな」と感じる事が多い。もちろんうちも同様。私が本当にやりたいと思っていることをやろうとしている選手が全員ではない。申し訳ないが今回合同練習をして「本気になれる選手」と一緒にやることを最優先しようと感じている。
普及という段階もあるのかもしれない。今の時代、全員が競技志向でやる時代ではない。一つの集団の中に二つの基準がある。明らかなダブルスタンダード。そこに対してそれぞれに適した練習を提供する事が本当の意味で優れた指導者なのかもしれない。私には無理だろうなと感じた。「やりたくない」「本気になれない」者に時間をかけて指導しても私自身が「楽しくない」から。
この感覚は「強豪校」では分からないと思う。スタートラインが違いすぎる。「強豪校にならないのは指導者が悪いからだ」と言われる。結局、覚悟を持って競技をしようと思えるかどうか。私の指導力がないから本人達を本気にさせられないと言われたら否定はしない。グランドレベルで見なければ分からない事はある。「結果」だけを評価されるのであれば私はきちんとした指導をしていないことになる。
だから私はスプリントに関して「基本的なこと」を追い求めようと考えている。そうなると部活動ではなくなるかもしれない。部活を退いてクラブチームを立ち上げても良いのかなと考えている。社会体育として競技指導をする。本当の意味で突き詰めて競技をするという事ができるのかもしれない。
色々なしがらみがある。「嫌だけどやらないといけないこと」が沢山ある。本当は私自身がもっと楽しくできなければいけないのではないか。実際問題、先日の合同練習はこの上なく楽しかった。生き生きときた表情で「速くなる」ということを純粋に追い求める選手が沢山いた。その選手と向き合う事はやはり楽しい。「あっという間に時間が過ぎた」と言ってくれた選手がいた。その言葉は最高に嬉しい。
走ること。それは誰にでもできる。私みたいにずっと考えていなくても「指導」としては成り立つんだと思う。そういう指導は今のご時世に適合しないのかもしれないなと強く感じている。もっと楽しくワイワイやる方が「青春」なのかもしれない。
年末になって大学生が練習するために戻ってきた。練習場所がないからうちに来るのか、基本的なことを確認したくて来るのかはよくわからない。教え子なので「来たい」と言えば断わる理由はない。私からは「来れば?」とは言わない。来たければ来ればいい。必要と思えば学べばいい。自分自身にとって何がプラスになるのかを考えた結果であれば自分達で取捨選択してやればいい。
話が師匠から教わり続けていること。「義理」と「人情」の大切さ。ここだけはずっと忘れないでやっていこうと考えている。今の自分が存在するのは多くの人に支えられてきたから。競技として恩返しできるのであれば、貢献できるのであればやらなければいけない。当然の話。
自分の中にある「基本的な部分」をどうするか。処理していかなければいけない。
全く競技とは関係ない話になっているかなとは思う。それでも少しずつ頭を整理していきたい。