偶然見かけた書籍を買ったという記事を書きました。アフィリエイトをしているわけではないのでクリックしてお金が発生するという話ではありません。純粋に面白いと思ったので紹介したというだけです。
「偶然」だったのかもしれませんが興味を抱いていることに関して本当にタイムリーに「必要な情報」を手にすることができました。自分からアンテナを広げておけばいつの間にか必要な情報が手に入るようになる。必然だと思いますね。今の自分に必要なことが集まってくる。
この数週間で色々と考えています。テスト期間なので少し気持ちに余裕があるというのもあります。1時間しか練習をしていませんがだからこそ「やらないといけないこと」が見えてくる気がします。そこに加えて様々なことが後押ししてくれている。
「モノの見方」というのはその時の「考え」に大きく左右されます。そのようなバイアスがかかっているというのもあると思います。物事の繋がりを意識しながら一つ一つの動きを見てみると「やるべきこと」が見えてくる。全く同じ動きであっても「意識する部分」が明確になれば中身が変わってくるのだと。
長距離について考えることで「方向性」の確認ができる。今回の書籍は「漫画家」が書いているモノなので「読んでみよう」と思われる。我々は知名度も実績もないのでこうやって言ってきても「また何か書いている」というレベルで終わってしまいます。まー別に認められようと思っているわけではないので良いですが。
何度か書いていますがハンマーウォークは「長距離の強豪校」がやっているとマスコミが取り上げました。たまたま見ていたのですがそれは「長めの鎖」でやっていました。それを見て「スイングハンマー」を回す練習が流行る。重いメディシンハンマーを手首で回して進む動きをする。いや、それ意味ないやろ?と思いながらも小心者なので言えず。
結果を出しているチームがやっている練習は正しい。それが大前提にあります。我々が何か言っても病院の医者が「2週間安静」といえばそれが信じられる。本当に大したことがなくても医者が言えばそれが「正しい」ことになるのです。強いチームが何を意識してそういう練習をしているのかが重要ではなく「何をやっているか」という部分が求められる。
それを今回の書籍は全て外して見ていました。バイオメカニクスも否定(笑)。「支持脚にのみ着目して議論する」事に関して「運動はそんなモノじゃない」と書いていました。まさに。複雑な要素が絡み合ってやっている事ですから「一部分」の「一箇所」を抜き出して話をしても正確な話にはならないのです。そこに気付けるかどうか。
「もも上げ」は速く走るために必要ない。これもよく言われます。この言葉自体、以前の「ももを腰よりも高く上げてやる」という部分に対しての否定だったと思います。実際にそこまで膝が上がって走ることはないですから。そこは間違いないと思います。それが「もも上げ」自体が良くないという論調にもなる。表面的な「言葉」だけを捉えて話をしても意味はないのです。
「何故やるのか」という部分が本当に大切だと思います。「後付け」の理由ではなく「〜がやりたい」からその練習をするという考え方でなければいけない。ここに関して理解せずに指導するというのは私の中では「あり得ない」部分です。よく分からないけどやっているという話は選手に対してどうやって伝えるのか。
走ることは「物理」だったりします。感覚的な部分もあると思いますが実際は「前に進むための動き」でなければいけません。前に進むためにどういう力の伝え方をするか。それを考えれば目の前にある練習が何を意味するかが分かってくるのかなと。「やりたい動き」があるからそのメニューが存在する。メニューが先にあって「動き」が付いてくるのではないと考えています。分かりにくい話かもしれませんが。
そう考えて「動き」を見てみると視点が変わります。うちの練習で「スイッチング&スキップ」があります。これは身体の前で脚を動かすための練習。力の方向を前方向にしたいという練習です。考え方とすれば「力の方向を変える」ためのメニュー。
が、良くよく考えてみると「地面に力を伝える」という部分が抜けていないか。優先事項ができないのに「力の方向を変える」ことに意識がいっていないか。そう考えて練習を見てみると非常に面白い。「速い動き」をしたがります。その方が「動いている」という感覚が出るからです。しかし、その段階の「動いている」と感じても実際に走る時に役に立つのか。「スイッチング」が上手くても走りに繋がらなければそこは意味がなくなってしまう。
話は少しズレるかもしれませんが。読んだ書籍の中に「筋トレ」について触れられていました。筋トレは外に向かって重心を崩す動きがない。それは実際の走りに繋がっていない。補強をすれば速くなるというわけではないというのを「経験則」から感じているのだと思いです。「オススメの筋トレ」があってもそれが本当に走りに繋がっているのかを吟味する。走練習と筋トレには大きな隔たりがあるという部分を理解して実施している。
こういう感覚の中で競技をやっていくと本当に楽しいと思います。全ての練習が「速く走る」ことに繋がっていく。そこに繋がっているという意識で物事を考えると一つ一つの練習の持つ意味が大きくなる。適当にやれる練習というのはやはり存在しないのです。
これを選手の走りに落とし込んでいく。この作業はめちゃくちゃ楽しい。シンプルにやりたいことをやっていく。これまでやっていたメニューに今やろうとしていることを組み合わせる。それができないメニューに関しては全て排除したいなと。限られた時間の中です。何かを選べば何かを捨てなければいけない。そこをどうするかは常に考えていきたいと思います。
やりたいことがあります。時間をかけて選手の走りに落とし込んでいきたいと思います。