kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

話をする2

2018-10-19 | 陸上競技
続き。まー自己満足のblogなので面白くない話を書き続けます。

短距離だけに話を。マズローの欲求段階の話。保健体育で習っているはずだと思い投げかけましたがなかなか。この話はどこでもするのでもう何度か話をしている可能性があるのですが。

人間の欲求というのは発達に応じていくつかの段階に分かれていく。最初は「生理的欲求」と言われるもの。赤ちゃんと一緒です。寝たい、食べたいという人間誰もが持っている基本的な欲求。「安全欲求」に関しては割愛。今、部活をやっているというのは「所属欲求」の辺りから始まっていると思います。一人で何かをやるのではなくあるいっていの「集団」の中にいる事で安心感を得る。競技云々ではなくみんなと一緒に何かをやるという事に満足する。

で、「承認欲求」です。この辺りから難しくなる。以前もありましたが「女子にしか指導しない」と声を上げていた選手もいます。本当にそうでしょうか?毎日全員と一言だけでも話をするようにしています。競技力が上がって上の大会に繋がる選手が出てくればそこに関わる時間は増えていきます。それを持って「女子にしか指導をしない」と批判するのは如何なものか。この言葉の裏側には「自分を認めて欲しい」というのがあると思います。自分も練習を一生懸命にやっているのだからもっと見てほしい。認めて欲しいという欲求。

ここはどうなのか?私に認められるために競技をやるのか。もちろん、きちんとやっていることに関しては認めますし、褒めます。しかし、それは過剰である必要はない。誰かと比べて声をかけられる回数が少なかったからといってそれはどうなのか?私が見ていなかったら「練習やらなくてもいいんじゃない?」というような風潮になるのはやはり違う。

赴任した時は正にこんな感じでした。私が不在の時は部室から出てこない。出てきたと思えば真面目にやっている選手にひたすら話しかけて妨害をする。私がいる時には率先して動く。このギャップ。認められたい。その欲求が大きいのだと思います。誰かと比較して何かをするのか。ここは考えないといけない部分。

最後の段階が「自己実現の欲求」になる。これは自分の中にある可能性がどれだけなのかを確かめたいというもの。誰かに何かを言われたからやるのではなく「自分自身のため」にやる。この段階になれば人は勝手に成長していく。自分の考えだけが絶対に正しくて他者を認めない。こういうスタンスでは自己実現は成し遂げられないと思います。自分がどうするか。ここに尽きる。

これを練習などに置き換える。練習は自分自身のためにやる。何度もその話はしています。怪我をして練習ができない、一番しんどいのは自分自身のはずです。やりたくない言い訳に怪我を使うのであれば意味はない。本当にやりたいと思えば行動自体が変わってきます。治すためにどうするか。受け身にならず自ら動く。

練習内容も同様。与えられた事をやるだけで「強くしてもらう」のではない。自分自身のためにやる。動きの一つ一つの意味を理解して行動する。練習日誌を使って動きを振り返る。理解を深める。そういう部分がどれだけできるのか。やらされるのではなく「自分のためにやる」という感覚を持てるかどうか。やるだけの練習から抜け出せるかどうか。

これまで指導してきて「考えずにやる」選手が強くなったことはほぼありません。例外はありましたが。しかし、それは持っている力を最大限には引き出せなかったと思っています。やはりやるべき事が分かって行動できる選手が強くなる。これは間違いないと思います。全員が全国レベルになれと言っているわけではない。今の自分を越えるために何をするかだと思います。

これもどこまで求めるかだと思います。とりあえず伝えるべきことは伝える。あとは選手がどのように解釈するか。

とりあえず記録しておきます。
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話をする

2018-10-19 | 陸上競技
練習ではない部分の話。

全体に話をしました。普段は短距離と長距離は別メニューで実施しています。思う事があり全体を集めて話を。もちろんtnk先生の了承を得てですが。久しぶりに本の引用で話をすることにしました。「最善を尽くす」という部分。ここが一番大きな課題だと思っていたので。

郷に入っては郷に従え。今まで自分がやってきた事が全て正しくてそれを強引に主張し続けると痛い目に合う。私が赴任して最初がまさにそれでした。競技を通じて成長していく。が、それは新しい環境では通用しないし、求められていない。このギャップは大きかったですね。完全なる「悪」でしかなかった。

来週、県駅伝がある。そこに向けてどうするのか。この1ヶ月様子を見ていると故障している者が複数名。ほとんど走る練習をしていない。補強をしてエアロバイクを漕ぐだけ。これで本当に駅伝に出れるのか?短距離にも言えますが「安静にしていたら治る」のは当然だと思います。数ヶ月安静にして全く身体を動かさないという状態であれば痛みも引くでしょう。その代わり限られた競技生活の大半はもう戻ってこないという状態になる。治るのを待っている。そういう感じで受け止めていました。

今長距離は7人。3年生は1人ですが走ることはできない。実質6人です。駅伝を組むのは7人。どうするのか?tnk先生に相談されて出場するのであれば短距離から1人走らせるという流れになっていました。ここ最近は男子にも日誌を書かせるようにしています。その日誌に短距離の選手が「故障しているのを早く治さないといけない。このままでは長距離の駅伝に迷惑をかける。」と書いていました。この意味ですね。

それもあったので全体を集めました。長距離に言い聞かせるだけではなく短距離にも同じ事を伝えたいと思っていたので同時に。1ヶ月近く足を痛めている。毎日同じ練習をして治るのを待っている。それで本当に良いのか?長距離の練習は長時間にはならない。練習が終わってから積極的に治療に取り組んでいるのか?整体や鍼治療に行って少しでも走れる状態に近づけようと努力をしているか。痛みさえなくなればそれでレースに出れるというわけではなく練習を積まなければいけない。その段階に達しているのか?やれることを全てやって今なのか?

今長距離は3年生が2人。1人は1年生の時かは故障が続き、自分が走るよりも選手のバックアップに専念している。精神的な支えになる部分。もう1人はマネージャー。自分は走ることはないが毎日同じ休まずに選手を支えに来てくれている。この意味。駅伝に出れないのであればこの子達が練習に来る意味は全くなくなる。駅伝に出るという事を目標にこれまでやってきた。人数が足りなくて走れないのであれば今この子達がやっていることの意味はなくなってしまう。

自分たちが駅伝を走るという意識がどれだけあるか。これは短距離のリレーでも同じ事。

陸上競技は1人でもできる。個人のことだけ考えて自分の練習さえすれば試合に出れる事ができる。しかし、リレーと駅伝はそれができない。どれだけ強い選手がいても人数が揃わなければ出場することはできない。だからこそ私はリレーを重視する。みんなで一つの目標を共有するからこそできる事がある。そう考えている。今、リレーや駅伝の話がどれだけ会話の中に出てくるだろうか。本当にそこに向けて想いを共有できているだろうか。

その辺りがきちんと理解できればそれぞれがやるべき事は自ずと分かるのではないか。全ての答えは与えません。これだけ話しても伝わらないのであればやはりそこまで。やってもらう事が当たり前になっている間はいつまでたっても本物にはならないからです。やはり3年生の存在をどう感じるかというのが一番大きいと思います。

あとは短距離だけ話を。これはまた別に。
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やることは?

2018-10-18 | 陸上競技
練習について。それほど楽しい内容は書けないのですが。記録として残しておきます。とはいっても日が経過するにつれてその時にやった内容を忘れてしまうという事実。

7時間授業のため練習自体はそれほどできない。課題を絞っての練習。この時期、3年生が試合に出ることができない。秋以降学校行事などと重なり記録会にさえ出れない状況となっていました。これが都市部であれば定期的に記録会があるのでそのような心配は必要ないのだと思いますが。片田舎ではその機会さえ与えられない。近県の記録会などを全て調べましたが難しい状況。

中国新人のタイミングで記録会が実施されると記載されていたので広島に行ければと考えていましたが実施しないということになってしまい更に試合に出る機会を失う。そのことをhys先生に相談すると次の週に九州の記録会に参加する予定だとのこと。これまた学校行事と完全に重なります。私が身動きが取れない。お願いして数名を連れて行ってもらうことに。わがままを言ってるのは分かっています。それでも走るチャンスを与えてあげたい。

本当に人に恵まれていると思っています。色々なことがあって本当に意欲を失っていました。何をやっているのか分からなくなる。そこまでして他者のために何かをやる必要があるのか。自問自答しながら過ごしていた。本当にどうでも良くなってきていた時に食事をしながら親しい方々に励まされる。この歳になって未だにそういうレベルで良いのかというのも大きな疑問ですが。その時にhys先生に「あんたはこうやって支えてもらって幸せだ」と声をかけてもらいました。確かに。感謝しかありません。

話が逸れましたがそういう流れの中での月曜日。3年生は3週連続でレースをすることになります。リレーで走るチャンスをもらいました。県体もあります。連続でレースをするというのはなかなかありませんがここまでは貯金を作る時期としてしっかりやってきました。大きな流れの中で調整をして練習量の増減をしていきたいと考えています。

トレーニングの量を減らして動きの確認の時間を増やす。特に限られた時間だったため削るものは削らないといけない。それでも必要なことは伝える。練習を見ていて膝締めが甘いなと感じる部分がありました。これも色々と考えさせられる所があります。膝を引き出すという言葉を使う。ここで本当に膝だけを引き出すイメージになる。必要な部分が付いてこない。「膝締め」というのは脚を運ぶ最初の動きだと思っています。身体の中心部からの距離が短くなる方が速く動かせる。そのイメージ。

そこだけを意識していたらいつのまにか膝のことだけを考えるようになる。膝を上げる。しかし、股関節を曲げるというのも同様の動きになる。モノの見方。膝を上げた時には自然と股関節も曲がる。股関節を意識して動くことでも同様に膝が上がる。この手の話をしているとNが「膝が出ていない感じがする」と自分の走りを分析していました。腰は進むけど膝の引き出しが十分ではない気がする、と。意識している部分を聞くと「足の付け根から動かすように意識した」との返答。結果的に膝に意識を置かなくても膝が引き出せる。

見た目の動きと本人の感覚。ここをどう突き詰めていくか。以前ジャマイカ式スタートというのが流行った。前ブロック側の脚を地面と擦らせる。速い選手がやっているから正しいという理論から全国各地で行われた。酷い選手になると両足のつま先をするような動きをする。トップ選手が何故そのような動きをしていたのかという検証はされない。実際は本人が意図して訳ではなくアライメントの問題で結果的につま先を擦っていたというのが分かる。うーん。擦った方が速いというのは何処へいったのか??

そういう部分も含めて動きと意識の確認はしていかなければいけないと考えている。ここに時間を割くことは遠回りのように見えて一番の近道になる。そう考えるようになった。やりたい動きをしっかりと理解させたい。理解することで様々な事が分かってくる。話もきちんとできるようになる。振り返りも含めてあれこれできるようになるといいなと。

時間の関係でやりたいなと考えていた練習の8割くらいで終わってしまった。量的にはこれくらいでいいのかもしれないなとは思う。無理に負荷を増やす必要はないかなと。この辺りも自分の中で消化していけるようにしたい。

まとまりがない。雑記。
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何だろう

2018-10-17 | 陸上競技
月曜日。かなりの疲労感。週始めから疲れているというのはどうなのか。大いなる疑問です。かなり前から疲労している感覚が自分の中にあります。教育。どのような意味を持つのか。多種多様な生徒がいる現在、何が正しくて何が間違っているのか。

教員免許更新制度が始まってもう少しで10年が経過しようとしています。教員に研修を受けさせるという制度。自己負担で必要な研修を数日間受ける。教育の最新事情という名目なのに講義を行うのは現場を退職して数年経過する元管理職。何をもって最新なのか?

更には専門の講義はほぼない。教科に即した内容はありませんでした。商業などの専門教科はメジャーではないので1年間で1回あるかないか。それを受けようと思ったら申し込み開始と同時にアクセスして受付をしなければいけない。人気のある講座は秒殺で終わってしまいます。本当に受けようと思う講義は受けることが困難になる。

当時、受けられる講義がなかったので美術の研修を受けました。日曜日に行われたのでジャージで参加。明らかな場違い。その事をblogに書いたら「研修を受けるのにジャージで行くといのは非常識ではないか?」とコメントをもらう。うーん。休日に自己負担で免許更新のために致し方なく受けるモノ。研修といっていいのかもわからない部分。そこに対して誰かから何かを言われる必要があるのだろうか。ここもよく分からなかった。更新はできたが何か残ったのか。分からない。

それ以後、多くの知り合いは放送大学に登録して映像を見ながら「講習を受けたことにする」方法で免許更新を行っていった。わざわざ県外の大学などにいって講習を受けなくて済む。これだけで時間と交通費などのコストは大幅に減る。ブラックだと言われながら表面化しない拘束がかなりあるという事実。誰のための制度なのか?理解しかねる。

ネットニュースに「教員が足りないので臨時免許を出して対応する」というのがあった。現役で働く者には強制的に免許更新をさせるが人が足りないので臨時免許を出していく。これほどの矛盾があるだろうか。免許更新制度を導入したからこのような事態が起きている。免許を持っていたが他の仕事に就いていた。結婚出産を機に前職を辞めて非常勤講師の形で働こうと思ったら免許更新を行なっていないのでこれから講習を受けなければいけなくなる。何万円も払って時間を浪費し、さらに他県まで受けにいかなければいけない状態であれば多くの人はそこまでやらない。臨時免許が出るのであればそちらを出してもらってやればいいのだから。

何のための更新講習なのか。受けなければ免許が失効すると言われるから受けざるを得ない。これからもこの制度が続く限りは例外はない。50代になってからも講習を受けていた先生方が沢山いる。今回こうやって臨時免許で対応するという話になれば最後の数年はそれで対応できるのではないか。もちろん、給与面などでは異なるだろう。それにしても理不尽な話だと思う。今回は小中学での教員不足を補うための対応だということ。いや、高校でも非常勤講師や産休代替の講師を探すことがどれだけ大変か。

本当に必要なことには力を注がれない。パッチを当てていって応急措置をし続ける。何なんだろうか。あれこれよく分からない行事が入ってくる。ほとんどは大人の都合でしかない。そこに振り回される子供達は何を得るのだろうか。大いなる疑問だけが残る。

何をやっているんだろうか。分からない。
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まぁ

2018-10-16 | 陸上競技
日曜日。先日、突然の審判依頼がありました。一般県体が実施される中で審判が足りないという話でした。中国新人に参加していないチームの顧問で手伝って欲しいとのこと。まー確かに参加できていないので。スターターが不足するということで手伝うことに。普段はスターターはやらないのですが人数不足ということで。

思う事はあります。今回はスポ少と合同開催のようでした。毎回そうなのかもしれませんが。朝の段階で競技場練習の時間が決まっています。練習終了になってもやめない。うーん。何度も放送されていました。10分以上オーバーして実施しているところも。これが許されるなら競技場使用時間は決める必要はありません。かなりストレスを感じました。きちんと守っているチームが大半でした。一緒にいたスポ少のコーチの方は「いつもあんな感じだから」と言われていました。うちも気をつけなければいけないなとは思います。そういう評価を受けることになる。

一般県体。20年前とは大きく様変わりしていました。昔は2組くらいしかなかったのに。今は8組ありました。各市町村から2名ずつという感じだったのにかなり多くの選手が参加していました。決勝に残れるのは各市町村から2人ずつという形になったそうです。おかげてレベルが高くなっていました。11秒1を出さないと決勝へは進めない。なかなかのレベルです。

親しい選手も走っていました。毎回11秒0台を出す。いつになったら10秒台に入るのか?!今回も予選で11秒03。奇跡的に向風0.2。その前の組まで追い風1mを超えていました。山縣選手が9秒台に入るのが先か、彼が10秒台に入るのが先か。ある意味注目だと思います。風に恵まれないレベルが半端ない。

ぼちぼちお手伝い。これにより全く休みがなくなりました。選手引率でもなく試合の手伝いをするというのはほとんどありません。いつから休みがないのかよく分かりませんが。働き方改革という言葉は本当に何処へ行ったのか?意味のある話なのか。別に休んだからといって何かが変わるとは思いませんが。

まぁ。書いても仕方ない部分ではあります。記録として。
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時間をかけながら

2018-10-16 | 陸上競技
土曜日。この日は朝から。広島では中国新人が開催されている。その舞台に立てず学校で練習。現実を受け入れるしかないですね。元々強豪校ではない。数年間の活躍はその時に在籍してくれた選手の存在が大きい。今はまだ力が足りないというだけ。少しずつでもいいので前進していかなければいけない。

この日はトレーニング系を少し減らす。反発系やジャンプ系を中心に負荷をかけたいと考えていました。最も基本にある動きの部分を時間をかけて話していきたいと。全ては走るための準備動作でなければいけない。単純にあれこれ練習をしているだけではない。その辺りからもう一度丁寧な話をしたいなと。こういう部分が無くても強い選手は強いのだと思います。陸上競技というのはシビアです。だからこそ対抗するために何をするか。

軸作りの話から。なぜやる必要があるのか。バランス系や軸系の練習を見ていると「やるだけ」になっている部分がある。狙いが明確ではない。DM投げなどは全国的にかなり流行っています。強豪校が実施しているためそれがDVDなどで紹介されました。実際その学校に行って指導者のレクチャーを受けました。何を意識するのか。ここができていなければ効果はない。痛感しました。至る所でその練習を見ますが「身体を動かす」という練習になっている。

反発をもらう。地面に力を加えてそれを推進力に変えていく。これはイメージがしにくいのかもしれません。骨盤の動きが、パワーポジションがという表現よりは分かりやすいなと思います。難しい言葉を使わずに体感できる部分を大切にしたいとは思っています。力を逃がさないという部分。何人かは考えてやったことはないと思います。練習をするだけで精一杯だったはずなので。時間をかけて競技力を上げていきたい。理解させることにどれだけエネルギーを注ぐか。

毎回毎回この手の話はできません。練習の流れが止まってしまう。毎度確認をしなければ意識できないというのでは本来は目指す場所には届かないと思います。ある程度はこちらが牽引する必要はある。しかし、一定レベルからは本人が意識して取り組まないといけない。グランドに来て練習をすればそれで結果を出せるというものではない。その中身だと考えています。どう工夫してくれるか。やりたい動きがある。その前段階でさらにやらなければいけないことがある。単純に身体を動かしてたら強くなるという話ではないと考えています。

練習の流れ。体幹を意識した部分を最初に行いますそこからどう動かすのかを考える。接地のポジションなどはドリルの中でやっています。それも本来狙いとする動きになっているかどうか。単純に動いていたら解決するわけではない。実際は本人がどのような意識をしてやっているかです。感覚が鋭い選手であればある程度で身につきます。そうでなければひたすらやる中で身につけるしかない。が、繰り返しやることでマンネリを生み出し狙いとする動きは「惰性の動き」になってしまう。ここは難しいところです。飽きさせない工夫してというのも必要だとは思いますが本当にそこまでする必要があるのか?自分の中での疑問ではあります。

かなりの時間を使ってその部分をやりました。走りに繋がるための練習をする。ここが大切だと思っています。どのように繋がるのか。繋がらないのであればそれは無意味になる。ドリルが上手くなったとしてもそれは本来の目的ではない。トレーニングにしても「筋力をあげる」ことがメインの目的ではない。走るために必要な筋力を身につけていくことが大切。必要ない筋力アップは重りにしかならない。鍛えた後にそれをいかに走りに繋げていくか。動きに繋げていくか。ここが大切だと考えています。

あれこれやって最後にタイヤ引き。ここも追い込み練習ではないと思っています。技術的な部分がどれだけ意識できるか。タイヤの重さに負けないように前傾し続けると脚が流れ始めてしまって進まなくなる。狙いとする中間の動きとは別物になります。走りきることが狙いとなる練習はしたくない。ここも難しい部分ではあるのですが。

あれこれ思うことがあります。とりあえず記録しておきます。
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どれだけ伝わるか

2018-10-16 | 陸上競技
まとまりがないと思いますがとりあえず記録しておく。

金曜日にテスト終了後、ミーティング。話をしてから練習開始。私は会議が入っていたのでそれが終わってから練習に参加。きちんとした練習を見るのは久しぶり。前日も見ていますが、やはり短時間ではなく計画的な練習を見るというのは必要だなと感じています。

練習時間が長くなるだろうなと考えていました。時折練習に対する意識や強化するポイントについて話をしていけばその分、話説明を要します。そうすれば自然と練習が長くなる。

国体、アップの時にNはいい動きをしていました。ここ最近で一番かなとずっと感じていました。上手く加速に乗っていて中間への繋ぎも上手くいっていた。これだけ走れればという感覚でいました。その時にNが「身体が起きるのが早い気がする」という話をしていました。そう?という感じでしたが気になるならもう一本、我慢して走る方が良いかなという話をしていました。結局、その一本が余計な話でした。前段階で良い動きをしていたのに本人が「起きたらいけない」という気持ちになってしまい普段よりも余計に我慢することになってしまった。それにより足が流れ上手く中間に繋げなかった。全て私の責任だと思っています。

その辺りも含めて全体に話をしました。なぜ上手くいかなかったのか。加速する時に前傾を保つことは必要。しかし、それによりマイナスになる部分もある。1年生の時はスタートがめちゃくちゃ悪くてそのあと一気に追いつくというパターンでした。しかし、加速段階が悪すぎるで少しずつ修正を加えていった。ある程度の水準まできました。が、それの意識が強くなりすぎてしまって必要以上に加速での前傾を我慢するようになってしまう。ここの兼ね合いというか折り合いというか。もう少し本人の感覚と擦り合わせておかなければいけなかったなと深い反省があります。

普段前半マークを行う時に色を変えています。その理由は何か。そこを明確に示してきたつもりでしたがいつのまにか一部分が特化して伝わっている。これでは上手く組み立てはできない。その部分も含めてかなり話をしていきました。理解ができるかどうか。加速段階もいくつかに分けています。そこの部分がどれだけ自分のものになるのか。説明をすると練習が長くなるのはわかっていますが必要なことは伝え続けたい。

シャフト補強の話もしながらひたすらやりました。走りに繋げるための動きをする。しつこくしつこく言い続ける。それでどれだけ意識するか。走りに必要な動きをどのように身につけるか。事前負荷という形で使う部分に刺激を入れたい。しかし、単にやるだけの練習であれぼそうはならない。股関節主導で動きたいのに末端の動きを意識した走りになってしまう。そうならないように「使う部位」に関して示しておく必要があります。

原点に帰る。というか、なにをやろうとしているのかをもっともっと明確にしていく必要があります。意識してできないのであれば仕方ない。できるようにしていくしかない。しかし、根本的に「何をやろうとしているのか」が分かっていなければ先には進まない。この数ヶ月言い続けている「身体を動かすだけにならない」という意味がどれだけ伝わるか。具体例を挙げながら話をしてきました。何を言っているのか分からないというのもあると思います。

模索します。自分の中のモチベーションを高く保ちたい。競技に対しても。生きることに対しても。教育に関しても。
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つらつらと

2018-10-15 | 陸上競技
とりあえず記録しておきます。

国体から戻ってきてバタバタ。何をやっているのか分からないまま時間が過ぎていく。頭の中にかかったモヤは晴れず。今の自分が何をやるべきなのかを自省する。本当にやるべきことは何か。正解がどこにあるのか分からない。そんな中でもやらざるを得ないこともあるのだと思う。消化しきれない感覚。

テストが終わってから少しだけミーティング。ここも本当に必要なのかどうか自問自答しながら。「与える」ことが本当に必要なのか。結局は「本気でやりたい」と思う選手がいたらそれだけで全ては解決するのではないか。練習に関してほとんどこちらが考える必要もなく自ら考えて練習をするようになれば勝手に結果はついてくる。単純な話ではないのは分かってはいるが。

ミーティングでは100%の練習をすることの必要性を話した。ある程度具体例を挙げながら。競技に興味を持つかどうかということ大きなことだと思う。他校の選手が云々についてもある程度は知らないといない。県内の強い選手の存在、日本とトップ選手の存在。そういう部分に関心を持てるかどうか。とりあえず練習をすればいいんだという話ではなくなる。これは私が求めてそこに導くのか。本来であれば自発的に内発的に生じる感情なのではないか。

練習で様々なことをやる。それがどう繋がっていくか。シャフト補強でジャンプ系をやる。その時に膝が出てしまったらそれはやりたい動きではなくなる。走る時に使う場所を鍛えたい。それなのに膝を出してしまうと大腿四頭筋に刺激が入る。本来は股関節周辺の筋群ら臀筋、ハムストリングに負荷をかける動きとなる。それが「シャフト補強をする」という形だけにこだわってやってしまうと強化どころか拮抗筋の強化になってしまうのでマイナスになる可能性がある。

正直、かなりマニアックな話になると思う。こういう部分まで意識して練習をする選手が県内にどれだけいるか。いや、正確にいうと「県内」を対象にしている時点で進歩はない。関西に行った時に「正確な動きをするな」と感じた。それは全て競技に直結するかどうかの話になる。京都のsik高校の練習を見学させてもらった時、本当に秒単位で練習をしていた。無駄な時間は一切ない。練習の流れや意識する部分が頭に入っているからこそそれができる。グダグタする感覚はない。歩いて帰る時間でさえ練習に当てている。そんな状態で我々が勝負できる話になるのか??

無い物ねだりかもしれない。あまりに大きなものを求めようとするとそれは夢の話になる。しかし、近づくための努力はするべきだと思う。組織作りという意味合いも含めて。何が何でも強くなろうという集団になれば結果は勝手についてくる。今私がやりたいことは何か?自問自答しかない。

与えることが本当に正しいのか。ある方に「拘りが強いと生き苦くなる」と言われた。まさに。もっと全ての事を適当に考えれば楽になるんだろうなと思う。理想があって現実があって。それに対して自分自身のアプローチがどうなのか。正しい方向に向かうのか。そもそも「正しい」というのは誰にとって「正しい」のか。頭の中をクルクル回っていく。

方向性は自分の中で明確になっている。しかし、それに対してどういうアプローチが必要なのか。本気になるというのは覚悟が必要になる。単純に何かをやり続ければいいという話でもない。進むべき方向に進むのであれば私自身が多くのことを考える必要も出てくる。いや、もう考える必要はないのかもしれない。

自分の中で消化しきれない感情が複雑に存在している。どうするのか。見えない答えがどこにあるのか。探し続ける必要があるのか。分からない。

まとまらない。
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自分の中で

2018-10-13 | 陸上競技
思うことを。

今の自分の中で消化できない感情がかなりたくさんある。それを言葉で表現しようと思ってもそれもできない。葛藤というか。品行方正で生きていければいいと思うがそれは難しい。大なり小なり他者を傷つけながら不快な思いをさせながら生きている。blogを書くという中で自分の感情をどのように表記するか。それも非常に難しいなと思う。

競技指導をする。それにより自分自身は何か得るものがあるのか。見返りを求めるものでもない。そうであればそこに関しては「自由意思」であってもいいのではないか。指導をするのも指導をしないのも自分自身の意思でいいのではないか。すべての人に満足してもらえる活動はできない。どうするべきか。常に消化不良を起こす。

競技の指導に関して。どれだけの人が必要としているのか。どのような形で指導するのがベストなのか。その部分も含めて考えていきたいなと思う。自分のところの選手をどうするかを最優先に考えている。そこは昔も今も変わらない。「ハードルについて」問われることがある。その時にはある程度のことを返すようにしている。しかし、それが本当に必要なことなのかどうか。

スプリントに関してもハードルに関してもそれぞれの指導者の特徴がある。それに対して私はどうするべきか。何を伝えるべきか。ここは難しい。選手に対してどのようなアプローチをするか。いや、もともとその部分が必要なのか。立場と責任。それを考えさせられる。今回国体でハードルに関わらせてもらった。前から書いているが別に私が関わったから成績が良かったということはない。多少なりと貢献したのかもしれないが。

実際、スプリント系ではインターハイと国体に何度か出場させてもらっている。女子の100mではインターハイは述べ4回、200mで3回、400mで1回。リレーで2回。国体は述べ7人。それはどうなのか。110mHではインターハイ国体それぞれ1回ずつ。特別な結果ではない。自分の中では以前は「それなり」だと思っていた。しかし、現実問題を考えると大きな結果だと胸を張るレベルには達していないとは思う。そんな人間がこうやって偉そうにblogを書いているということの意味は?本当にあるのか。自分自身でもわからない。それが消化不良の原因となるのかもしれない。

このblogの存在する意味は?書き続ける必要があるのか?大きな疑問ではある。これは完全に「自己満足」の域を超えない。それでも書くのか?何かを生み出す可能性があるのか?以前から「日記」として書くのであれば自分で手帳に書けばいいのでは?という意見もある。確かに。大したことのない人間が書き続けることで何があるのか。ここ不明。自分でもわからない。

まとまりはない。この記事自体に意味があるのかもわからない。それでも感情を外に出したいと思って書いた。ため込むといいことはない。分かってはいるが器用なほうではないので結構ため込む。他にも色々なことがあって感情のコントロールが難しい。

記しておく。
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やること

2018-10-13 | 陸上競技
若干?blogを更新する気になっていません。ここ最近はずっとこんな感じです。頭の中に何かモヤがかかっている感じですっきりしません。この微妙な感覚。上手く表現できませんが・・・。どうなんでしょうか。

国体の時の話。あるコーチが選手に質問。中学時代に大活躍して県外の高校に進学した選手に「どのような練習をしていたのか」を聞いていました。本人は県のテントの前であれこれ説明してくれました。好きなんだと思います。その時の内容、「特別な練習はしていない」とのこと。「本当はやっているのではないか?」と聞かれていましたが終始徹底して「やっていない」との返答。雑誌などに書いてあることを以上のことはないと。

しかし、その内容というか取り組みの部分です。練習をするときに「どこを鍛えているのかを明確にして取り組むとのこと。「同じようなこと」をやっていたとしても「意図する部分が違う」のであれば効果はありません。至極当たり前の話です。高校生がそれを意識して練習をするということがどれだけできるのか。関西に練習に行ったときにはその部分を強く感じます。正確な動きを徹底して繰り返す。その積み重ねだと思います。

言っていることは本当に「基本的なこと」でした。特別な練習内容ではないですし、意識する部分に関しても同様。それを毎回高校生が自分たちで意識して取り組む。「狙い」とする筋肉に正確な負荷がかかっているかどうか。大きな筋肉でごまかすのではなく「使いたい筋肉」をしっかりと刺激することが重要だと。T字バランスにしても同様。同じような「形」であっても本当に狙っている部分に負荷がかからないようであればそこに意味がなくなる。

毎回毎回100%の練習をする。ここに強くなる要素があると思います。これを我々がどれだけしつこく言っても結局は選手自身がきちんとやることを理解して正確な動きしなければ意味がないのです。様々な練習をする。「自然に動きが身につくようにする」という狙いもありますが本当の意味での動きを理解しないかぎりはやはり効果はないのかなと思います。

選手の「強くなりたい」という想いをどれだけ本物にできるか。もちろん、それなりの意識で強豪校に入学してくる選手もたくさんいると思います。スタートラインから違う。強い選手がやるべきことを理解して狙いを明確にして取り組んだ場合は追いつくことはできないと思います。指導者が動きに対する理解をしていてそこの部分をポイントポイントで抑えてく。それによりより力が上がる。

これまでの「もやもや」の答えはここにあるのかなという気はしています。本人たちが「何が何でも強くなりたい」「競技に対して理解したい」と思っている状況でない中で何を提供してもそれは結果にはつながらない。むしろ「悪」ではないか。「身体を動かしたい」「それなりにやりたい」という選手に対して「きちんと意識した動きができていない」と言っても「そんな必要があるのか?」という感覚でしかない。その状態で何を与えるのか。

何とかしたいというのは実は「自己満足」でしかない。本人たちが欲していないものに対して何かを提供したところで実は「余計なお世話」でしかないのではないか。そういう部分は頭に入れておきたいと思っています。技術的なことを教わることがなくても強くなる選手はいる。その理由は何か。本人が「強くなりたい」と思って自ら考え行動するから強くなる。そのことをしっかりと肝に銘じておかなければいけないと思っています。

やることは何か。そこが明確になれば選手も行動が変わる。やらされている練習ではなくなるから。その部分に関してはやはり一方通行にならないようにしていきたい。環境もあると思います。そうであれば尚更です。

自分の中での感覚。しっかりと明確にしていきたいなと感じました。自分自身の感覚。自分の中で「受け入れがたいもの」がある。それに対してひたすらこだわる。それが自分にとってマイナスになることも多々ある。その部分は忘れてはいけない。そう思います。

まとまりません。とりあえず記録しておきます。
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