茫洋物見遊山記第169回&鎌倉ちょっと不思議な物語第331回
祭神は天神七柱、地神五柱の十二柱。境内には山の神、疱瘡神、宇佐八幡、地主神がありここ十二所の鎮守である。
かつては熊野十二所権現社といわれ、弘安元(1278)年の創建とされる。もとは光触寺境内にあったが、天保9(1838)年に現在地に移され、明治維新によって十二所神社と改称され、明治6(1873)年に十二所の鎮守として「村社」に格上げされた。
鳥居の脇に重さ112kgの「百貫石」があり、昔の村祭りではこれを持ち上げる豪の者もいたそうだ。
神社の前の県道の脇には石地蔵が建っている。
これは江戸末期の頃に、鼠木綿の着物、手甲、脚絆に身を固めて厨子を背負い、鉦を叩いて家ごとに銭をこいながら諸国を遍歴する六部が通りがかりの馬に蹴られて死んだ人の実家が回向のために立てたそうだ。(「誰も知らない鎌倉路」)
以上、郷土史研究家岡田厚氏作成の資料によって記述しました。
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