あまでうす日記

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田村隆一著「田村隆一全集4」を読んで~「これでも詩かよ」第129番

2015-03-19 09:55:54 | Weblog

照る日曇る日第767回


1992年の「ハミングバード」という詩集の中に
「亀が淵ブルース」という一篇がある。
ここで田村隆一さんは、永福寺の旧蹟を歌っている。

永福寺というのは廃寺である。
奥州征伐で義経や藤原氏一族など数万を殺戮した頼朝が、怨霊を鎮魂するために、文治5(1189)年に建立した廻廊式二階堂の豪壮なお寺であった。

頼朝はこの新御堂の建設には熱心で、自ら何度も足を運んで庭石の配置を考えたり、その頼朝を暗殺しようとした人夫が捕えられたり、巨石をかの豪勇の持ち主、畠山重忠が一人で運んで、頼朝を感心させたりしている。

その「畠山石」が現存しているのは、ちょっとした奇跡のような話だが、建保五(一二一九)年には、三代将軍の実朝が夫人同伴で参拝して桜の木の下を逍遥するなど、当地を何度も訪れている。

ここは以前はおよそ二万坪の茫々たる芒が原だった。
その後整備が進んで、市はここに創建当時の壮麗な二階堂を中心とする大伽藍を再建しようとしていた。

この地に永福寺を復元し、あわよくば鎌倉をユネスコの世界遺産に登録して、ただでさえ人人ひとであふれかえっているこの狭い街に、全世界からさらに観光客を呼び込もうとしたのだろう。

けれども最近その悪賢い企ては、見事に蹉跌した。
加えて市財政が逼迫したために、予定通り復元工事が完成するかどうかは、分からなくなってしまったようである。

ところで、今からおよそ二〇年前にここを訪れた詩人は、この土地で生まれ育った「六〇代のゼロ戦乗り」に遭遇して、かつてこの原っぱが蛇の棲みかだったという話を聞いている。

冬眠から覚めたマムシ、シマヘビ、ヤマカガシ、アオダイショウが草むらからいっせいに動き出し、近くの亀が淵という名の小川で遊んでいるカエル、スッポン、ウナギをめざして殺到したそうだ。

「二万坪の草原が波立った」そうだ。

ヘビとカエルの運動会が終わって夏が来ると、
「亀が淵には夜光貝、草原には蛍の乱舞、夜空にはお月さん、そりゃあ見事なもんでした」という。

おお、二万坪の草原を波立たせるマムシ、シマヘビ、ヤマカガシ、アオダイショウ!
亀が淵で遊ぶカエル、スッポン、ウナギ、夜光貝!
二万坪の草原に乱舞するゲンジボタルよ!

おお、永福寺の旧蹟をして
八〇〇年の昔に戻すことなく、二〇年前の昔に還らしめよ!
大自然をして、二〇年前の昔に還らしめよ!


 やれ安保ほれ新事態ああせい法制と机上の空論馬鹿騒ぎ 蝶人

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