茫洋物見遊山記第172回&鎌倉ちょっと不思議な物語第334回
「三郎の滝」の少し手前には「太刀洗の水」が竹筒からちょろちょろ流れている。
これは「鎌倉五名水」のひとつで、その上の岩山から湧き出てくる二種類の清流が合体したもので、台風のために「三郎の滝」の水が濁っているときにもその透明さはまったく変わらない。
この近くに水の名所として熊野神社の湧水があってはるばる遠方から汲みにくる人もいるようだが、「太刀洗の水」ともども衛生面から飲用に適するか否かは誰も検査したことがないので分からない。
さてこの近在の地名やバス停の名前ともなっているこの「太刀洗」は、策士といわれた梶原景時が、頼朝の命を受けてか自発的にかは分からないが、この「太刀洗の水」の道路を挟んだ反対側の丘に屋敷があった上総介広常と将棋か碁をしている隙をついて刺し殺し、その太刀から流れる血を、この泉水で洗い流したという故事にちなんでいる。
「ちなみ」を重ねると、上総介広常は東国最大の勢力を誇った千葉の豪族で、平家一族であった彼の加担が頼朝のクーデターに間違いなく最大の貢献をなしたのであった。
梶原景時はその来鎌があまりにも遅すぎたことを根に持ち、広常が頼朝に反逆することをおそれて謀殺したと思われるが、最近の研究では広常に謀反の意思はなく、最後まで頼朝に忠実だったようである。
「一の郎党」として権勢を誇り、主をおもんぱかるあまり御家人衆を蔑視し、義経にも煮え湯をのませた景時は、結局、頼朝の死後追放されて哀れな末路を辿ることになった。
寒くなれば寒風暖かくなれば暖風が出るそんなエアコンと暮らしています 蝶人