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蝶人物見遊山記 第237回
子規の生誕150年を記念し、病床6尺の宇宙と副題され、俳人の長谷川櫂氏によって編集された展覧会を見物してきました。子規が死病を患って病床に伏してからの渾身の凝縮沈潜の数年間がなければ俳諧、短歌、日本語口語の革新はなかったわけですが、子規と家族にとっての願いとはそんな大業や功績などなくても構わないから、あと数年、できれば1年有半の寿命を天から賜ることだったに違いありません。
でも五体満足で長寿をまっとうしていたら、彼自身が語っているようにおそらく文藝などは擲って政治活動に挺身していたでしょうから、わが文芸史にとって彼の大病はある意味では不幸中のさいわいであったことも事実です。
会場には原寸大の子規の旅姿が展示してありましたが、身長わずか164センチという小兵でした。今から130年前の1888(明治21)年、子規は荒天を冒して金沢八景から朝夷奈峠を越え、我が家のすぐ傍を通って頼朝公の墓から大塔宮へ急ぐ途中で生涯で最初の喀血をみていますが、こういう突貫小僧的な無茶な行動が死病の顕在化を促進したということもあったのではないでしょうか。
時の流れを130年巻き戻すことができたら、「おいおい子規君、そんなに急いで何処へ行く。今夜は我が家に泊まって行き給え」と声をかけることも出来たのではないかと、ついつい思ってしまいました。
さきの「夏目漱石展」と同様あれやこれやの作品、資料を一堂に集めた本展はじつに見ごたえがありますが、今回私が改めて注目したのは彼が34年の生涯の大半を通じて孜々として倦まずに作成した「分類俳句大観」で、講談社版の子規全集にも収められたこの本邦俳諧作品のエンサイクロペディアこそは今日の俳句の基礎をなした前人未到の文化遺産といえませう。
会場の外は春爛漫。いつ訪れてもここは素敵な丘です。なお本展は来る5月21日まで楽しく開催中。
金持ちか貧乏人がすぐ分かる露骨な国になってきました 蝶人