照る日曇る日 第1075回
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鎌倉蝶という言葉には、なんとなく惹かれるものがある。
鎌倉蝶というのは鎌倉特産の珍しい蝶かと思っていたのだが、そういうことではなくて、昔から主にクロアゲハなどのアゲハチョウをその名で呼ばれることがあったらしい。
古くは平家一門の家紋や武将の鎧兜の意匠デザインにも揚羽紋の柄があしらわれており、鎌倉時代の武将、畠山重忠の遺鎧にも蝶の金物が打ちつけられていた。
歌舞伎の「曽我対面」では、蝶紋の袴を纏っていた曽我五郎は、死んで怨霊となり、いまも鎌倉の御霊神社に祀られている。
1333年の初夏、鎌倉幕府の最後の執権、北条高時以下の諸将は、東勝寺の「腹切りやぐら」で自裁して果てたが、その血塗れの死骸にたかっていたクロアゲハなどの黒い死=死霊のイメージが、「鎌倉蝶」という言葉に結晶して、3系統の鎌倉街道を伝わって東日本各地に広まっていったのではないかと著者はいう。
こういうアンケートや文献を用いた科学的な考察も興味深いが、本書には藤原定家の「明月記」、「吾妻鏡」における蝶の大量発生の記録や、安西冬衛の「てふてふ」や、漱石と蝶の俳句、熊谷守一の絶筆「あげ羽蝶」など蝶めぐる多種多彩な話題のエンサイクロペディア的な展開も、信州須坂市の「蝶の民俗館」館長の壮年期の著作にふさわしい充実ぶりである。
「なにゆえに自閉症児は荒れ狂う」「それにはいちいち理由があるのよ」蝶人