照る日曇る日 第1079回
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冒頭でタイトル通りアルベルチーヌは消え去って逃げ去ってしまうので、主人公は多大の衝撃を受けて、例によって例の如く毒にも薬にもならぬ超主観的な脳内思弁を繰り返すので、こいつ女の気持ちも分からんな、なんちゅ阿呆かいな、と同情するより笑ってしまうのだが、さてこの逃げた女が主人公に内緒で同姓と戯れるのが大好きな女らしく、もしかすると主人公の周辺で根深く巣食っている「ソドムとゴモラ同盟」の一員だったかもしれないのだが、いったいどういう顔つき、体つき、どんな物好きで、要するにどういうタイプの女だったんかと脳裏に思い浮かべようとしても、さっぱり印象がないというか、てんでつかみどころがないということに気づき、落馬して樹木に激突して急死したと聞かされても、「その嘘ほんとかよ」と思うばかりで、その証拠に痛手を忘れようとベネチアで遊んでいた主人公のもとに「私生きてます」てふ発信人明記の電報が舞い込んでも、主人公ときたら「それはもう愛が冷めてしまったアルベルチーヌではなく、ジルベルトからの電報の間違いなんだ」などと勝手に無視してしまうのだが、どっこいホントは彼女は生きていて、この未完の大河小説の果ての果てで主人公と醒めた再会を遂げるのではないか、などとおらっちはひそかに考えるのだが、それにしても、アルベルチーヌの恋人であった我らが主人公自身、いったいどういう人物で、どういう顔をした男なのかと印象を訊ねても、これが完全にノッペラボウで、いっこうに明確な像を結ばないことに気づいて、一応のプルーストファンを自任していたおらっちとしたことが、泡を喰らってしまうのはなんでやろうな、と考え込んでいるうちに、そういえば最初の恋人だったジルベルトも、花咲く乙女たちの一人には違いないけれど、いまどきのタレントでいうなら、黒木メイサに似ていたのか、石原さとみ似なのか、広瀬すず似なのか、そおゆう基本的なところが曖昧模糊としていて、アルベルチーヌもジルベルトも違うのは名前だけで、物語の中の顔を凝視してみれば、ヒーロー&ヒロイン以外の登場人物、例えばゲルマント公爵や公爵夫人、サン=ルー、モレル、あるいはもう死んぢまったスワンやオデットなどなども、唯一の例外たるシャルリュス男爵と乳母のフランソワーズを除いて、宮崎駿のアニメに登場する人物から輪郭だけを残して眼鼻口を取り除いたのっぺらぼうなのであり、この人物の「のっぺらぼう性=非実在性」こそ、「失われた時を求めて」全編を貫く一大特性であって、そもそもこの観念的空想的な超大河小説のはじまりは、紅茶の中に誕生した茫漠とした一片の水中花であったことを思い出せば、これはその後のすべての登場人物によって水中で演じられる幻影の人形劇であることに思い当るのではないだろうか。
失われし時を求めてプルーストは失われし人々に会う 蝶人