蝶人物見遊山記第286回&鎌倉ちょっと不思議な物語第402回
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鎌倉文学館で開催されている「明治、BUNGAKUクリエーターズ展」(7月8日まで)に協賛して、我らがタカハシ源チャンが登壇する「明治150年の文学」講演会が開催されるというので、降りしきる雨を冒して御成まで出かけました。
競馬紙に25年以上も連載しているので、「小説も書くのですか?」と聞かれるというマクラから始まって、遠い親戚に大杉と伊藤を惨殺した甘粕大尉がいて、婆さんどもが甘粕礼賛のヘイトスピーチをしていたとか。書斎の左には岩波文庫などの古典、右には新書などの新刊本が並んでいるが、右側は読みながら物を問うても何も答えてくれないが、左は必ず色々な答えを送って寄越すとか。
シベリアとルソン島で夫々戦死した2人のおじさんの位牌が並ぶ豊中の実家で生まれて初めて金縛りに遭ったことや、ある日子どもの歯を磨いている時に、鏡に映った自分の顔が父親そっくりであると気づき、父が自分の歯をこうやって磨いてくれたことを思い出して号泣し、あれほど憎かった父と一瞬で和解できたが、それまで同盟を組んでいた母からは恨まれたこととか、その母親は、父と同じ墓に入ることを拒んでいるので今も書斎に骨壺があること。
「日本文学盛衰史」は、関川夏央作・谷口ジロー画の漫画「坊ちゃんの時代」にインスパイアーされて執筆しはじめたのだが、連載開始直後の二葉亭四迷の葬式のくだりを、「これでは漫画の真似になってしまうなあ」と焦りながら書き進めている時、漱石が、「森先生、「たまごっち」を手に入れることができませんか?」と尋ねると、鴎外が「娘のマリが確か「新たまごっちも」持っていたようだ。どこで手に入れたか訊ねてみましょう」と答える個所が奇跡のように書けた途端に、これなら何を書いてもオリジナルで行けるところまで行けると確信できたこと。
「日本文学盛衰史」の続編が8月に発売され、現在その続続編「ヒロヒト」を「新潮」に隔月連載しているが、その「ヒロヒト」の50個のエピソードのうちの1個の、そのまた1/3である!発売されたばかりの初の童話「ゆっくりおやすみ、樹の下で」は、彼と奥さんを思わせる登場人物たちが、その先祖と「出会う」話であること。
そしてフェリーニの「インテルビスタ」で彼らの黄金時代の「甘い生活」を部屋で映し出しながら、デブデブのマストロヤンニと老醜無残のアニタ・エグバーグが再会する涙涙のラストシーンを引き合いに出しながら、彼は「私たちは過去を変えることはできない。しかし失われた人は蘇り、過去の思い出や言葉は現在を支え、今を生きる私たちを変えることができるのです」と、2時間を超える大講演会を格調高く結んだのでした。
高橋ゲンチャンが、「自分のライフワークである「日本文学盛衰史」の完結はこの調子では76歳までかかるが、身内でその年齢まで生きた人物はいないので甚だ不安である」と語っていたので、不肖わたくしめが、講演会が終わって「日本文学盛衰史」にサインをしてもらいながら、「弱音を吐かずに全巻を書き終えるまでなんとか生き延びてくらさい」と励ますと、「はい、シリーズ4まで書いてみせますぜ」と急にガッツをみせた源チャンでした。
高橋の源一郎の講演会サインをもらい握手し別れた 蝶人