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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ドナルド・キーン著作集第10巻「自叙伝決定版」を読んで

2014-08-16 09:10:41 | Weblog


照る日曇る日第724回



 文学作品としての「日記」の意義に着目して、旧態依然たる日本文学の世界を更新した著者による自伝の決定版です。

 「つひに無能無芸にして只此一筋に繋る」という芭蕉の「笈の小文」の有名な一節が巻頭に掲げられているこの大著は、1920年代にニューヨーク郊外に育った少年がいかにして日本および日本文学の魅力にとりつかれ、偶然の出会いと思いがけない幸運の連鎖を閲しつつ、それが嵩じてついには日本に帰化するに至ったかという起伏に富む半生の歴史を詳細に語りつくして遺漏がありません。

 氏がコロンビア大学時代に「源氏物語」の魅力に取りつかれ、海軍日本語学校へ入って太平洋戦争の海軍士官となり、日本兵の日記に感銘を受けた話は有名ですが、「帝国海軍の軍人が杭に縛った中国人を「訓練の一環として」銃剣で突き刺し、時には殺した中国人の肝を食った」という証言をなどを日本大好きのキーン翁から聞かされると、こちとらは日本人であることをやめたくもなります。

 それはともかく、私が著者をうらやましいと思うのは、彼が谷崎、荷風、川端、三島、吉田、大岡、安部、ウエーリー、ラッセル、フォスターなど著名の士の知遇を得たことではなくて、戦後のロンドンでR・シュトラウスの「四つの最後の歌」のフラグスタートによる初演に立ち会い、ニューヨークではワルター指揮旧メトによる「フィデリオ」、マリア・カラスの「トスカ」の実演を目の当たりにしたという類稀なる僥倖であるのはいうまでもないことです。

 そして私は、東京を去る飛行機の中で永井荷風の「すみだ川」を読みながら涙を流し、集団自衛権の容認に反対し、本郷西片町から古河庭園の隣に引っ越して永住するというかつて米国人であった奇特な翁を、今なお嫌いではないのです。


 なにゆえにキーン翁は日本人になったコロンビア大学で源氏を読んだから 蝶人

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テリー・ギリアム監督の「ブラザーズ・グリム」「Drパルナサスの鏡」をみて

2014-08-15 09:51:24 | Weblog


bowyow cine-archives vol.668&669

「ブラザーズ・グリム」は、2005年に英国で制作されたギリアムお得意の幻想的冒険譚なり。

童話で有名なグリム兄弟が登場して大活躍をするというわけだが、テリー選手もなんと今年で73歳。

いろいろ同工異曲の色物に手をだすものの、結局「モンティ・パイソン」と「未来世紀ブラジル」を超えることが出来ないのはまことに残念無念である。

「Drパルナサスの鏡」は2009年の超幻想映画であるが、最新のテクニックでその映像魔術を駆使し、酩酊すればするほど鼻白んでくるのはなぜだろう。

 「モンティ・パイソン」の機知や「未来世紀ブラジル」の映像ワンダーランドは主題と技法がぴたりと一致していたからこそ、あれほど既存の映像世界に革命的なめくらましを与えることができたのだが、それ以降は技法だけが肥大化し観客をおいてけぼりにして独り歩きどころか激走しはじめたのだあな。

 この抜群の腕前を誇る映像実験家に、誰か適切な助言と薬を与える人がいてほしかったとないものねだりするのは私だけではないだろう。


 なにゆえに海岸で大音量の音楽をかける海辺は波の音にゆだねよ 蝶人
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シェーカル・カブール監督の「エリザベス・ザ・ゴールデンエイジ」をみて

2014-08-13 13:25:49 | Weblog


bowyow cine-archives vol.667

 
 ケイト・ブランシェット扮する初代エリザベス女王が海賊ウォルター・ローリーに惚れつつも、アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を打ち破り、メアリーを処刑し、王としてのつらい責務を果たしていく天晴れ女の花道物語。

 ではあるが、当時は食うか食われるか、粛正するかされるかの、さながらフランス革命時代のような恐怖の時代であった。

 されど映画の進行にあわせて絶えず劇伴の音楽を流し続けているのは、拙劣な演出法であり、一流の監督ならこういう愚劣なことはやらない。

 アルマダの海戦で、白馬が海を泳いでいく姿を海底からの俯瞰で撮るショットがこの映画においていかにナンセンスであるか、この監督は分かっていないのだ。


 なにゆえに最近君は嬉しそうなのかこの国が外国のために戦争できる国になったので 蝶人
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橋本治著「結婚」を読んで

2014-08-12 09:26:22 | Weblog


照る日曇る日第723回

 異才橋本治選手が28歳になったOLのヒロインになり変って、結婚について、ああでもない、こうでもないと悩んで悩んで考え抜く哲学小説なり。

 確かに結婚は人世の一大事件であるが、あれはヒロイン=著者のようにぐちゃぐちゃと考えたうえでするものではない。

 結婚とは、ともかく相手を猛烈に好きになって、いつも共にいたい。そうでなければ自分は不幸で人世上の欠損がある、と考える一点から暴発する「霊肉一体のムーブメント」であるからして、卵子の数が少なくなるとか、衰えるとか、親や友人からあれこれ圧迫を受けるとか、将来の生活設計がどうなるとかいった高尚なる諸問題とはいっさい関係がない。

 現代に生きる女性の生と結婚についていろいろな角度から考察し、こざかしく憂悶してきたこの小説は、ラストにいたって突如コペルニクス的転換を遂げていわゆるひとつの文芸上のカタストロフ、じゃなかった、ハッピーエンドに突入していくが、果たしてそれが著者の説くような正しい結婚への道であるかどうかは、誰にも確言できないはずである。


 なにゆえに島崎委員を追放するや原子力委員会は借りてきた猫 蝶人

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中上健次著「中上健次集第1巻」を読んで

2014-08-11 10:46:30 | Weblog


照る日曇る日第722回


 著者の初期の習作を中心に芥川賞を受賞した「岬」までをセレクトしたもので、著者が作家として自立してゆくまでの軌跡がまざまざと読み取れる。

 著者が中上健次となりおおせたのは、「十九歳の地図」の「蝸牛」あたりで、それ以前の「十八歳、海へ」などは、ほとんどちょっと文才のある中学生の作文の域を出ていない。

 考えてみれば、出身の文学少年や乱脈な両親の元で生い育ち、ヤクザや落ちこぼれの異母兄弟、一族郎党に囲まれて下層階級の一員として沈湎する恵まれない貧乏人も大勢いるが、それらの少年のすべてが作家、中上健次になるわけもない。

 著者の兄の自殺は著者に大きな衝撃を与えたが、このような不幸な境遇にある弟が、それを繰り返し執拗に小説の材料に使い倒すわけもなかろう。

 また思うに、地方に住むこの年代の青少年のほとんどに固有の「路地」があり、「路地」での貧しい生活と青春があったが、誰一人著者のようにそれを壮大な女系家族の物語に仕立て上げようとはしなかった、ともいえるだろう。

 そういう意味ではこの海のものとも山のものとも知れぬ青年は、ここに収められた初期の習作を通じて、ポール・ヴァレリーのいわゆる「方法的制覇」を成し遂げたのである。


  なにゆえに中上健次は中上健次となりおおせたか土方のように小説を書いた 蝶人

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「エリー・アメリング作品集」全8枚組を聴いて~「これでも詩かよ」第95番

2014-08-10 09:20:53 | Weblog


音楽千夜一夜第333回 &ある晴れた日に第252回



エリー・アメリングの声は、限りなくやさしい。
それは、隣の家の太ったおばさんの声だ。

シューベルトの「楽に寄す」は、青空のてっぺんでさえずる雲雀の鳴き声。
音楽に生きる喜びを全身全霊で歌ってる。

ドスコイアメリングおばさんは、バッハのカンタータも大好き。
「あんた今日もよく頑張ったわね」と太っ腹で励ましてくれる。

ヘ長調k596の「春への憧れ」は、モーッアルトの告別のうた。
オランダのおばさんは、「さよなら、さよなら」と歌いながら泣いている。

エリー・アメリングの声は、限りなくやさしい。
それは、隣の家の太ったおばさんの声だ。



なにゆえに油蝉は私の掌を鋭く刺すのかてっきり水が出てくると思ったので 蝶人
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ジョン・マッデン監督の「Queen Victoria至上の恋」をみて

2014-08-09 10:34:10 | Weblog


bowyow cine-archives vol.666

 夫アルバートに死なれていつまでたっても国政の現場に復帰できない英国のヴィクトリア女王を、アルバートの馬係であったブラウン選手が乗馬や散歩や水泳などで元気を取り戻させ、のみならず女王の恋人(だから原題は「ミセス・ブラウン」)となって大活躍させるという嘘のような本当でびっくりのお話。

 初代のエリザベス女王もそうだったように、やはり女王様の孤独を癒すには魅力的な男性が必要なのである。

 最後まで女王を愛し、女王に尽くしたブラウン選手の役回りは、普通は女性の役どころなのだがそういう意味では異色の映画で、ジョディ・デンチ(顔がデンチしていてどうも好きになれない)が好演していた。

 名前だけ聞いた事のある英国の政治家ディズレイリやグラッドストーンなども登場するよ。


  なにゆえに今日の私はご機嫌なの母校が三回戦を突破したから 蝶人
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ジャン=マルク・ヴァレ監督の「ヴィクトリア女王 世紀の愛」をみて

2014-08-08 10:04:46 | Weblog


bowyow cine-archives vol.665

 原題は「若きヴィクトリア」で、偉大な女王の少女時代、そして夫アルバート公との愛の思い出を描いている。

 これは2009年の英米共同製作の映画であるが、ウィキによれば発案者はアンドルー王子の元妻らしい。王室や女王の私生活や愛情を映画にして諸国の人々に公開しようとする根性は見上げたもので、わが皇室でも一部の女性週刊誌にまかせずにぜひ見習ってほしいものである。

 この国でもっとも正統的な歴史史観の持主である天皇と皇后、宮廷の前近代的な秩序に心身を損なった皇太子妃と彼女を懸命に支える皇太子、その2人の苦悩を生まれながらに背負っているようにみえるその娘、そして彼らをとりまく得体のしれない、つまり何を考えているのかてんでわからない皇族たち……。

 これだけでも英国のヴィクトリア朝をしのぐ壮大にして奇々怪々の物語の森、あるいは神話的暗がりが茫漠と広がっているではないか。いったいこの国の映像映関係者はなにをしているのだろう。



  なにゆえに突如早すぎた自己総括をする神戸の港から船出もせずに 蝶人

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丸谷才一著「丸谷才一全集第4巻」を読んで

2014-08-06 09:55:16 | Weblog


照る日曇る日第721回 


「裏声で歌へ君が代」「樹影譚」の2作をおさめた本巻ですが、なんといっても前者のタイトルが気になります。

 しかし読んでみると、君が代とか日本国とかについての大上段の政論は登場せず、そのかわりに画商の主人公の友人である台湾人とかその独立運動についての政治的解説や考察が反小説的にふんだんに盛り込まれており、このテーマに無知な私は大いに啓蒙されました。

さりながら、小説の本筋としては、著者が得意とする大人の社交&風俗小説で、成熟した男女の恋愛の諸相がたっぷりと描かれております。

 まあ著者にしてみれば、君が代や日本国家や天皇制について真正面から描くのはなにかと抵抗もあるだろうし、小説としてもおもしろくないので、台湾という隠し玉というかフィルターを使って、この国の国家のありよう、とりわけ個人と強権の対立、対決の極限状態についてマックス・シュティルナーの「唯一者とその所有」に拠って再検討しようと試みたのではないでしょうか。

 個人の自由とかエゴイズムを大事に考えたこの哲学者は、その思想の中身よりもかのマルクスによって批判されたことで有名な人物ですが、著者によって紹介されているそのゴリゴリのリゴリズムとアナーキーぶりはまことに魅力的で、久しぶりにその主著を再読してみたいと思ったほどでした。

 ところでこの小説が書かれたのは1982年の昔でありまして、著者はその登場人物の1人に「日本には台湾や中国や欧米諸国と違って明確な国家目的がない。この国は目的がなくてただ存在しているというきわめて現代的な国家だ」と喝破しています。

 けれどもかの狂信的な独裁者の登場が、本邦のすべての政治的状況を変えてしまいました。この純国産イトレルの手によって、我が国家のたぐいまれな国家的特性と優位性は完膚なきまでに破壊され、他の国家並みの中庸と優雅なき水準に引き下げられつつあるのです。



 なにゆえにイスラエルはガザに攻め入る敵をみな殺しても未来はない 蝶人
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バート・ケネディ監督の「夕陽に立つ保安官」をみて

2014-08-05 06:17:26 | Weblog

bowyow cine-archives vol.664

原題は「保安官をみんなで助けよう」であり、内容もその通りの話なのに、なんでこんな奇妙な邦題になるんだろう。いっそ「夕陽が丘に立つ保安官」にしてもらいたい。
ちなみに私の郷里の夕陽が丘には、祖父の建てた巨大な十字架と、家族の墓が立っているんだ。

そんなことできっと詰まらない西部劇に違いないと思いつつみたのだが、得難い珍品であった。

豪州行きたさにアルバイトで保安官になったジェームズ・ガーナーが孤軍奮闘して乱れ切った町を平和にしてしまうという話なのだが、主人公も、その支援者たちも、恋人も、にっくき敵さえもどこか憎めないキャラクターばかりで、もちろん殺しや決闘も出てくるのだが、そこはかとないユーモアとペーソスが全篇に漂っている。

こんな奇妙な愉しさが味わえるウエスタンはおそらく唯一無二ではないだろうか。


なにゆえにウクライナで旅客機が撃ち落とされる誰一人喜ぶ者はいないのに 蝶人
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橋上の人~「これでも詩かよ」第94番

2014-08-04 11:14:16 | Weblog


ある晴れた日に第251回


西暦2014年6月29日午後1時、
君は、東京都新宿区西新宿1丁目のJR新宿駅南口の歩道橋に姿を現す。

一張羅のスーツに身をつつんだ君は、肩から拡声器をぶら下げ、
両手には2本のペットボトルを持ったまま、地上10メートルの屋根によじ登る。

橋上の人よ
新宿南口の歩道橋に立つ人よ

君は歩道橋の上の鉄筋の上にどっかりと腰を据え、
スピーカーの音量を最大にして、眼下の人々に向かって演説を始める。

「私は、内閣が容認した集団自衛権の行使に反対している。
それは、平和憲法が定めた専守防衛の掟を破る違法行為だ。」

「戦後70年近く、ただひとりの日本人も戦争に行かなかったのは、
外国との戦争を禁じる憲法第9条のおかげだ。」

そして君は与謝野晶子のあの有名な反戦歌を朗読する。
「ああ弟よ戦いに 君死にたもうことなかれ!」

しかし君の声は、街道を走るトラックや自動車の音、駅前の雑踏にかき消され
誰一人耳を傾ける者はいない。

橋上の人よ
新宿南口の歩道橋に立つ人よ

午後2時、ようやく人だかりができたようだが、君はもはや人々におのれの意思を伝えることをやめ、周到に準備した別のやり方で最後のメッセージを残そうとする。

独裁者の狂気の暴走を止めるために、いま何が出来るのか?
一人一殺の直接行動か、それとも同志と手を携えた緩慢な反対運動か?

悩みに悩んだ君は、聖徳太子の故事を、ベトナム戦争の僧侶を思い出す。
そして凶暴な猛虎の前に、おのれの脆弱な肉体を捧げようと決意する。

橋上の人よ
新宿南口の歩道橋に立つ人よ
 
君はペットボトルの中のガソリンを、基督に洗礼を与えたヨハネのように頭上に注ぎ、
おもむろにライターで火を点ける。

君が与えようとしたもの そしてわたしたちが受け取るべきものは何か?
火はたちまち君の全身を覆い尽くし、薄い灰色の煙が新宿の空高く流れてゆく。


  なにゆえに決死の訴えに耳を貸さぬ夜郎自大の権力亡者よ 蝶人
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ジェイ・ローチ監督の「ミート・ザ・ペアレンツ1&2」をみて

2014-08-03 10:33:26 | Weblog


bowyow cine-archives vol.662&663


若い二人は愛し合う若い二人が親に結婚の許しを得ようと四苦八苦するコメディなり。

されど親の主人公のベン・スティラーの顔が良くないし、(大嫌いだということ)、恋人役のテリー・ボロもてんで魅力がないし、肝心のデ・ニーロの乗りも悪い。

くわえて脚本がなんとか笑わせようと苦労に苦労を重ねている舞台裏がみえみえなのでよけい詰まらない。

ところがこんな下らない映画でもヒットしたとみえて、続編ではなんとダスティン・ホフマンとバーブラ・ストライサンドまで登場するのだが、これでようやくお笑いの立脚点ができたために一作目よりは面白くなっている。

しかしながら前後篇をつうじてけっして上出来の喜劇とはいえず、この程度の映画を見て大笑いする人間の顔をじっくり見たいものである。


なにゆえに「丁寧に説明します」などとカッコつけてるはなから譲る気はないくせに 蝶人

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ジョン・マクティアナン、レニー・ハーレン監督の「ダイハード1,2」をみて

2014-08-02 10:20:24 | Weblog


bowyow cine-archives vol.660&661


ブルース・ウィルスが大活躍をする2本の活劇映画で原題は「Nothing Lasts Forever」であるが、これを邦題のように変更したのはこの映画に限って許すことにしよう。

両方ともほんとうは無力であるはずの1個人(本当はNY市警の刑事だが)が1)クリスマスイブに2)とんでもない大事件に巻き込まれ、3)ビルや空港が大爆発してあわや一命を失いそうになる窮地に再三再四追い込まれながら、4)最後にはめでたしめでたしの大団円を迎え、5)愛する妻を熱い抱擁を交わすというプロットでは共通している。

悪者のテロリストの中身が判然としないのは遺憾だが、脚本がよく練られており、前作ではベートーヴェンの第9、後者ではシベリウスの「フィンランディア」が鳴らされるといった意外さも楽しめる、これぞハリウッド特製の超特大娯楽映画である。


  なにゆえに私の記憶は失われてゆくキャベツの皮がはがれてゆくように 蝶人
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ヘンリー・ハサウェイ監督の「勇気ある追跡」をみて

2014-08-01 10:13:31 | Weblog


bowyow cine-archives vol.659


父親を殺されたしっかり者の娘が、連邦保安官のジョン・ウェインを雇って目出度く敵討をするという1969年の映画です。

腕は確かだが酒飲みでなまけもの者風のウエインがだんだんヒロインの女の子に本気で肩入れをしていくプロセスがうまく描いてありますが、こういう演技でアカデミー賞とはなあ。

最後はウエイン対デニス・ホッパーを主軸とする敵六人との激しい撃ち合いになるのだが、ちょっと風変わりな西部劇である。

むかしわが国でも人気のあったグレン・キャンベルが出演して主題歌も歌っておりやす。



  なにゆえに真昼間からウナギはくねくね踊ってる健ちゃんに元気な姿を見せるため  蝶人
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