あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

されど観て良かった映画もあるずら

2015-07-16 10:57:04 | Weblog



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.860,861,862,863


○ロバート・ロッセン監督の「コルドラへの道」をみて

 ゲイリー・クーパーとリタ・ヘイワースが共演している珍しい西部劇だが、バズ・クリーク監督の「戦うパンチョ・ビラ」を敵対する米軍側から見た映画でもあります。

 クーパーの役柄は一風変わっていて米軍の戦闘でみざましい武勲を挙げた兵隊を表彰するというのだが、せっかく推薦した連中がとても一筋縄でいかない奴らばっかり。

 おまけにクーパーも不名誉な前歴があるし、そこへ謎の女牧場主のリタ・ヘイワースが妖しくからんで、いったいどうなるんだろうとハラハラどきどきさせるが、最後は訳も分からず一大感動巨編となって終わるんだが、最近みて損したと思う映画が多い中で、これは珍しく心に残る一本でした。


○ジェリー・ザックス監督の「マイ・ルーム」をみて

 1996年製作のアメリカ映画で、原題は「マーヴィンの部屋」なり。いまだ若きロバート・デ・ニーロ、ダイアン・キートン、メリル・ストリープ、ディカプリオなどが競演している。

 病の老いたる両親の面倒をみている姉キートンと美容師になって自立することを夢見ている妹ストリープの確執と和解までをじっくりと描いて見ごたえがある。

 できれば滅私奉公の姉がさなきだに不治の白血病に罹ってしまうという難病ものの展開にしないで、介護負担の問題、人世における自己実現の問題に絞ったほうがより優れた映画になっただろう。


○ジョン・ウー監督の「ウインドトーカーズ」をみて

 アメリカの勇猛な海兵隊員と米軍が新たに開発した暗号担当のナボホ族出身の新米部下との哀しい友愛を日本軍のサイパン玉砕の戦闘を舞台に描く2002年製作の戦争映画ずら。

「レッドクリフ」「男たちの挽歌」の監督だけに激烈な戦闘シーンを夢中になって描いているが、一方の戦争の当事者である日本人の内面やドラマについては当然のことのように捨象されているのが見終わってとても気になる。

 いずれにせよこういう食うか食われるか、殺すか殺されるかという局面だけが戦争の実態であることを如実にレポートしているという点では、自公の戦争してもいいかも主義者のアホバカ政治家にもぜひ鑑賞してほしい作品である。

 いくら国家が第一だのカッコイイ主義主張で装っていても戦争に招き入れてしまえばもうおしまい。地獄の3丁目まで行くしかないのだから。


○ピーター・ハイアムズ監督の「ハノーバー・ストリート」をみて

 ヴィヴィアン・リー主演の「哀愁」を踏まえた1979年公開のアメリカ映画。邦題では「哀愁の街角」という副題がその後に続く。その気持ちは分かるがこれは蛇足というものだろう。でも「哀愁のハノーバー・ストリート」としなかったのは偉い。

 まだ初々しいハリソン・フォードが人妻レスリー・アン・ダウンと運命的な恋におちて、最後は悲劇的な結末を迎える悲恋物であるが、全体的には演技も演出も物足らないなか、英国の作曲家ジョン・バリーのテーマ音楽には大いに感銘を受けた。

 かのジェーン・バーキンの最初の夫としても知られるこの人は「007シリーズ」や「冬のライオン」「真夜中のカーボーイ」「アウトオブ・アフリカ」などの映画音楽を作曲しているが、ここではあえて地味ではあるが、それが却って心に残るような、簡素でありながらも、繊細で陰影に富んだメロディを鳴らして、拙劣な映像表現をしっかりと支えているのである。
 

    宝塚清く正しく美しく地獄の季節も生き延びたのか 蝶人
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それにしてチャールズ・ブロンソンは悪くない

2015-07-15 11:00:51 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.858&859



○セルジオ・レオーネ監督の「ウエスタン」をみて


 無残なやり方で兄を殺された弟チャールズ・ブロンソンがにっくき殺し屋ヘンリー・フォンダに復讐する話で、この2人とジェイソン・ロバーズにからむのがなんとクラウディア・カルディナーレという変態的配役のマカロニ西部劇。

 ♪なにかいいことあるか子猫ちゃんありそでなさそでウッフン黄色いさくらんぼー

 というのが、お馴染みエンニオ・モリコーネとぐるになったセルジオ・レオーネの演出手法で、これら男3人と女1人の顔を延々とクローズアップするのだが、別になーーにも起こらないで次のカットに移行するのである。




○セルジオ・ソリーマ監督の「狼の挽歌」をみて


 これはチャールズ・ブロンソンがその細君の美貌とセクスイーな肢体を自慢するために作ったイタリア映画ではなかろうか。

 天下無敵の荒くれ者は何回もジル・アイアランドに騙されるのだがそれでもまだ懲りずに愛の妄執につきまとわれ、ようやっとラストで泣く泣く撃ち殺すのであーる。




○リチャード・フライシャー監督の「マジェスティック」をみて


 スイカの収穫に命を賭けるチャールズ・ブロンソンが体を張って感動的に闘うなかで、とうとう悪いギャングの親玉を斃して晴れて恋人と結ばれる。

 勧善懲悪を地でいく古典的活劇映画ではあるが、みていて気持ちがいい。これはもしかするとブロンソンの最良の映画ではないだろうか。




 夏になれば農夫は西瓜を獲り入れるこれ以上聖なる仕事があるだろうか 蝶人

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この糞暑いのにブルース・リー

2015-07-14 13:12:21 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.856&857



○ロー・ウエイ監督の「ドラゴン危機一髪」をみて


 ブルース・リーの技は相変わらずすんごいけれど、映画としてのプロットなどあって無きがごとく幼稚なもので、彼が出演していなかれば誰ひとりこんな下らない映画なんかみおないだろう。

 「お母さんと喧嘩しないと約束したから」、などと妙な義理立てしてゲバルトを出し惜しむものだから、業を煮やしたリーがついに重い腰を上げて悪者と戦うまでの時間の長さにいらいらさせられる。



○ロバート・クローズ監督の「ブルース・リー死亡遊戯」をみて


 ブルース・リーの死後に編纂されたいわば寄せ集め映画であるが、映画としての完成度がいちばん高いのは皮肉にも本作ではないだろうか。まだまだ長生きしてほしかった貴重なキャラクターだった。

 音楽はジェーンバーキンの最初の夫だったジョン・バリーずら。



「この梅はお持ちくださいいくらでも」春日さんって太っ腹だね 蝶人

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色川武大著「友は野末に」を読んで

2015-07-13 12:59:38 | Weblog



る日曇る日第799回


表題作を含めて9つの短編、2つの対談をを収めているが、いちばん印象に残ったのは対談相手の立川談志の自由奔放な語りだった。物故した落語家や講談師の名前が出てくるとたちどころにその噺を口にする抜群の記憶力と頭の回転の早さはやはり半端ではない。


 著者晩年の手になる短編小説では、心中のマゾヒズムを明かす「奴隷小説」や、どういう訳だか口から蛇が飛び出したという奇談で終わる「蛇」も面白かったが、若き日の著者が出たり入ったりしていたという生家の6畳間にこれまた出たり入ったりする動物のことを描いた「吾輩は猫でない」が抜群の出来である。

 久しぶりに帰宅するとそこは野螺猫どもの棲みかと化しており、猫に引っ掻かれたり噛みつかれたりしながら「同棲」するようになった6畳間に、カマキリやバッタやカブトムシやコガネムシ、髪切虫、とかげ、ガマガエル、鼠などがぞろぞろと入ってくるのを、著者はいっさい手出しせずにせんべいぶとんの寝床からじっと眺めている。

「眼がさめてから頬にさわってみると、泥足の跡がいくつもついている。私が寝ている間も皆はさかんに遊んでいるのである」

 というのであるが、なかなか私ども凡人にできる業ではない。

 そのうち黙って見ていられなくなった著者は、鼠の味方をして猫と戦うようになる。

彼等と一緒にいそがしく動きまわって、
「ブーーッーーーー!」
息を鼻から一気に吐き出したり
「ギッ、ギッ、ギッ---!」
歯を噛みならしたりする。

 私はこういう人物をけっして嫌いではない。


デフォルトになってもよござんすか希臘首相ケツを捲くるや水無月尽  蝶人
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残念な映画大特集

2015-07-12 14:45:53 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.851、852、853、854、855


 
○ロベルト・ベニーニ監督・主演・脚本の「ライフ・イズ・ビューティフル」をみて

 ロベルト・ベニーニに才能があることは認めるが、演技の味付けが濃厚すぎるので見物していて疲れる。

 それにいくらなんでもナチの強制収容所での出来事を子供に対して一種のゲームのように偽装しおおせるということは、現実としても映画の世界の虚構としても無理が過ぎるのではないだろうか。

 深刻なテーマを深刻に描かず、ちょっと捻った角度から喜劇的に描こうとする意図は分からないでもないが、その変則的な課題に成功したとはいえない。

 そのことは、同時代の悲劇を一人のピアニストを主人公にして真正面から描いたロマン・ポランスキーの戦場映画と比べるとよく分かるだろう。

 ナチやムッソリーニや日帝のファシズムと暴威が荒れ狂ったあの時代は、ほとんどすべての民草にとって「ライフ・イズ・ノット・ビューティフル」であった。人間どんな時代にも清く正しく美しく生きたいのものだが、どっこいそうは問屋が卸さない。


○ロマン・ポランスキー監督の「ゴーストライター」をみて

 主人公は、元英国首相の自叙伝のゴーストライター。この元首相がどうやら元CIAの悪い奴だということがだんだん分かってきて政敵の外相に接近するのだが、時すでに遅かった。

 というような生臭い政治がらみの陰謀噺を映画で見せられても実際の政治のほうがもっとリアルでドラマチックだからどうということはないわね。

 いくら監督が才能豊かであっても。


○ドゥニ・アルカン監督の「みなさん、さようなら」をみて

原題は「野蛮人どもの来襲」ずら。

 末期ガンの元社会主義者の教授の最期の日々を息子が金にものをいわせて父親の友人知己を病室に呼び寄せ、しあわせな安楽死を遂げさせてやるという「現代の美談」であるが、すべてが絵空事のようで白けてしまいますな。

 マルクス主義から実存主義、構造主義、ポストモダンなどイデオロギーの変遷を回顧するシーンは笑える。


○ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」をみて

 みるたびに素晴らしいなあと感心する映画とそうでない映画があるが、これは「風と共に去りぬ」なんかと同じで後者の代表選手なり。

 映画を愛する少年と映写技師の交情を描きながら映画へのオマージュを捧げる映画、という趣旨に反対はしないし、見物しながら感動したり涙の一粒、二粒くらいはこぼれないこともない。

 けれども演出も脚本もキャメラも音楽すらもいまいちだし、これに映画芸術としての値打があるのかと厳しく問いただせば、ンなもんこれっぽっちもない大通俗映画の見本であることが分かる。

 まあそれだから腐敗堕落した米アカデミー賞なんかは取れたのだろうが、到底映画史に燦然と輝く傑作なんかじゃないことだけは確かだ。


○デヴィッド・フィンチャー監督の「ソーシャル・ネットワーク」をみて

 私も日々愛用しているfacebookを開発した男マーク・ザッカーバーグの半生を描いたというのだが、もしこの映画で描かれているとおりの傲慢で権威主義的な学歴主義者で、女性への侮蔑主義者だとすれば、じつに最低の人物である。

 主人公は紆余曲折の挙句、史上最年少の億万長者になったわけだが、映画は主人公が手ひどく振られた初恋の女性にfbの「お友達」になってほしいとリクエストして、その返事を待っているところで終わるのだが、たとえ22世紀の終わりまで待っても、彼女から承認されることなぞありえないだろう。金はあっても唯一の幸せを失ったじつに哀れな男だ。

 なお2010年製作のこのアメリカ映画は懐かしの富士フィルムで撮影されているが、その紫色を主調とした沈鬱で主知的な色調が、かの能天気なあほばかコダックとは鋭く一線を画しており、2012年の撤退がかえすがえすも惜しまれるのである。
 

 三百万の死者のすべてを国会に招きて憲法改定発義するべし 蝶人

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吉野弘著「吉野弘全詩集」を読んで

2015-07-11 10:50:07 | Weblog


照る日曇る日第798回


 昨年亡くなった詩人の業績をしのびつつ1055頁におよぶ巨大な詩集を謹んで拝読いたしました。

 詩人の中にはことさら難解な言葉や隠喩や暗喩を駆使して、なにやら高尚な哲学や観念を鼓吹する人もいるのですが、それでなくても頭の悪いわたしは、そーゆー頭が痛くなるような格調高い詩篇が苦手なので、できるだけ平明な言葉をつかって明快に詩の真実が吐露された作品のほうへ近づいていくのですが、さいわい本書の著者はその種の詩人であり、かつまたその種の詩であったので、作者のものいいとそこからにじみ出る詩想を、素直に味わうことができました。

 詩人の代表作は1977年の「風が吹くと」の中に入っている「祝婚歌」だそうですが、なるほどこういう教訓詩を若い男女の結婚式で朗読すると、花も実もある挨拶のようで受けるかも知れませんね。

 けれどもアマのジャクの私は、ちょっとさだまさしの「関白宣言」を思わせる前半の訳知りの大人の説教めいたくだりよりも、

 生きていることのなつかしさに
 ふと 
 胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 そして
 なぜ胸が熱くなるのか
 黙っていても
 二人にはわかるのであってほしい

 という末尾にはいたく感動し、この「生きることのなつかしさ」を、もういちど老骨の手元に手繰り寄せたい、と思わずにはいられませんでした。

 このように、いい詩人のいい詩は、ふだん人々が忘れてしまっている大切な物事を改めて心に刻んでくれますが、1957年の「消息」におさめられた「burst」の中の

 諸君 
 魂のはなしをしましょう
 魂のはなしを!
 なんという長い間
 ぼくらは 
 魂のはなしをしなかったんだろう

 というフレーズを目にして、ああそうだなあ、ホントにそうだなあ、という気持ちになったのでした。

 良い詩は、必ず私たちの魂にいきなり触れてくるものです。


 そういえば魂なんてすっかり忘れ果てどこかに置き去りにしてきたようだ 蝶人

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夢は第2の人生である 第26回 

2015-07-10 11:32:40 | Weblog


西暦2015年睦月蝶人酔生夢死幾百夜


地域巡回員の私は、その名の通りのルートセールスに従事していたが、いつまでたっても「ルートセールス」というネーミングの語感にうっとりしているだけで、日本全国どこへ行っても自分がなにをすればいいのか分からないのだった。1/1

ライヴァル会社の製品が、わが社のにそっくりだったので、よく調べてみたら、いつのまにかわが社の腕ききデザイナーが、引き抜かれていたせいだった。1/2

飯田タロウが連れて行って呉れたレストランで赤海老を食べていると、誰かが「森の中で」を歌っていたので、「シューマンだ」というと、その歌手が「明日は朝が早いからもう出ましょう」と私の手を取ったので、2人でレストランを出ると、飯田タロウが追いかけてきて、「お前の分も払っといてやったから、いちおう念のためにここへ電話して確認しといてくれ」と言って、レストランの電話番号を書いたメモを渡した。1/3

大勢の群衆が同じ方向に歩いて行くので、なんとなく後を追ってゆくと、道が行き止まりになっていたので、全員がUターンをして、ぞろぞろ引き返してくるのだった。1/3

私がボルチモア・タイムズに載った匿名記事から探り当てたその秘密探偵は、凄腕だった。1/3

今宵もバットマンになって夜空を自由に飛び回っているのだが、バットマンはやっぱりコウモリではなくて人間なので、糸を繰り出したり、ひっかけたりしなければ飛べないはずだが、私はそのやり方を知らないので、面倒くさくなって飛ぶのをやめた。1/4

私はこのキンバリーという砂漠の町に夫婦でやって来て、ダイアモンドを掘っているのだが、いくら掘っても金目の物はなにも見つからない。しかし、お金も帰りの切符もないので、ただ闇雲に掘り進むほかはなかった。1/4

わしらはコンビを組んで地方の球団をドサ回りしていた。相方の若者がベーブルース張りの強打者で、俺はそのマネージャー兼ピンチランナーだったが、今日もその「若者が満塁ホーマーをかっとばしたおかげで大勝利した」と地方紙の夕刊に特報が出ている。1/5

ちなみに私の素早く二塁手のタッチをかいくぐる盗塁は、自分でいうのもなんだが見事なもので、“暁の瞬足王”という称号を頂戴していたのだが、その韋駄天快足ぶりを妬む男が盛んに私を誹謗中傷するので、盗塁する振りをして胴体を真っ二つにスパイクしてやった。1/6

私は諸国一見の放浪者だったが、野原で捨てられて泣いていた女の赤ちゃんを拾って育てた。食うや食わずの毎日だったが、彼女はすくすくと育って、いつのまにか美しい少女になっていた。

降っても照っても、いつも私は彼女と一緒だった。同じ道を歩き、同じ風景を眺め、同じ木の実や魚を食べていた。夜が来れば粗末な覆いの下で抱き合って眠った。寝顔をよくみると堀北真希に似ていた。

雪や嵐の夜などはあまりにも寒くて淋しいので、私らはただ抱き合うだけでなく、口づけをしたり、体中を舐めまわしたり、いつのまにかお互いの性器を挿入して激しく動かしていたりした。

ある日のこと、峠のてっぺんで私がいまきた道を振りかえると、彼女の姿はどこにもなかった。私はその日一日じゅうあちこちを探し回ったのだが、とうとう彼女を見つけることはできなかった。

それから何十年も経って、諸国をたった一人で放浪していた私が、いつか堀北真希に似た少女が行方不明になった峠の麓にたどり着き、大きなタブの樹の下で眠っていると、真夜中に誰かが私の上にのしかかってきた。1/5

リゾートクラブでの休暇は楽しかった。夜な夜なスカラムーチョとかペンギンクラブなどのナイトクラブに出かけて、お気楽なヴォードビリアンショーを見物していると、オーナーからトロピカルドリンクの差し入れがあり、その桃色と青が混ざった液体を一杯口にしただけで体が蛸のように蕩けてしまうのだった。1/6

私は毎日観光地を大八車で案内している車屋だった。その日の客はうら若い女だったが、なぜか両脚を大きく広げて座っており、どうもノーパンらしい。何回後ろを振り返ってもその挑発的なポーズを崩さないので、竹林の奥で突き刺すとその度に叫び声をあげた。1/6

いよいよ明日から撮影が始まるという日の前日、アランドロンが「近くに良い病院がないかネスパ?」と聞くので、綾部中央病院を薦めた。翌日私が「アローどうだった?」と尋ねると、彼は一言「トレヴィアン」と答えた。1/7

戦時マラソン法が制定され、私はスポーツ担当相として法律の施行にあたった。レース結果はあらかじめ決められているので、選手は勝手に他の選手を抜いたり抜かれてはならないというのであるが、これを現場で実行しようとすると、多大の困難が伴うのだった。1/9

私はその巨大コンツェルンの総合紹介カタログの作成を依頼されたので、グループの会長やCEOや各部門の責任者と面会して、根掘り葉掘り取材を続けたのだが、結局このグローバルビジネスがいかなる目的でいかなる事業を行っているのかは、いつまで経っても分からなかった。1/9

黄色い戦争が始まり、特定秘密法案がどんどん拡大解釈されるようになったために、昔「おいしい生活」とか「お尻だって洗ってほしい」などというあほらしいコピーを書いていた男も逮捕されたので、バイトで研究社の辞典のコピーを作っていた私は戦々恐々としていた。1/10

突如姿を現した化け物は、「おい、早くおいらを殺してお前の手柄にしろ」と言った。1/11

私はその傲慢な女のことで頭に来ていたので、茶色い電車を両脇に抱えて国電に乗り込み、阪急梅田駅のプラットホームに投げ出すと、2回3回と大きくバウンドした電車は、うまく線路に乗っかった。1/11

頭の中に+にも×にも似た2つの大きな図形が、かわるがわるクローズアップされるので、全然眠れない。1/12

覆面パトカーに追われた私たちは、全力疾走で逃げ出したが、とうとう追いつかれそうになったので、高速道路のコンクリート舗装の中にある蛸壺のような穴の下に潜り込んで隠れた。1/12

やっぱり白い夕顔のような顔で淋しく頬笑んでいるね。君はほんとうにあのYなの? 君はいまどこに住んでいるの? 君のお父さんは、お母さん、妹さんは元気なの? 君はまだ生きているの?1/14

「専務は神も畏れぬ大罪を犯していますよ」と社長に告げ口したら、社長はニヤリと不気味な笑みを漏らした。1/14

新大戦で指揮官からの特命を帯びて大陸で一人旅を続けていた私は、ある日母からの葉書を受け取ったが、それには「お前は大水で流されて溺れそうになるが、心配するな。乾燥地に辿りついて、九死に一生を得るであろう」と書かれていた。1/16

その葉書には、さらに「お前の命を狙っている悪い奴がいるから、くれぐれも気をつけよ」と不吉な警告が記されていたので、ふと窓を見ると、黒い3つの影がこちらをうかがっている。これがその刺客だ。俺はきっとこいつらに殺されるに違いない、と思うと、今までに経験したことのない恐怖が湧き起こって、私は「ワアア!」と絶叫していた。1/16

原発の汚染がますます進行して大気を汚し続けたために、人々は次々に死んでいった。そこで悪賢い政府は、死を前にした彼らが暴発して一揆を起こさないようにするために、みさかいなしに国民栄誉賞を贈ることに決めた。1/17

夜中に妙なる音楽が聞こえたので、よく聞こうと耳を澄ませると、1台のオートバイが夜霧の第2国道を疾走しているのだった。

「よーく見るんだ。あんたがやるべきことは、あんたの手に全部書いてある」という声が聞こえたので、腕を捲くると右手の指先がホタルのように光っていて、指の下には細かな数字が羅列されていた。1/19

世界中の天地創造の神話を研究していた私は、空前絶後の物語を新たに創生しようと試みたが、頭に浮かぶのは陳腐な落し噺ばかりだった。1/20

私の名前をいくらネットで検索しても「砂の緑色のアリジゴク」という記事しか現われないので、仕方なく砂壺の奥底に潜んでいるのだが、いくら待ってもなにも落ちてこないのだった。1/20

テレビ局に入った私の最初の仕事は、処女のパリジェンヌを探せというものだったので、北から南まで全国を駆けずり回ったのだが、どこにもいない。ようやく巡り合ったのは高野山の宿舎だった。1/20

1969年に同期入社したウジアオイさんが、昔とまったく変わらない小鹿のバンビのような姿で現れて、「私が停留所で待っていたら、変なおじさんが「暑いですね、暑いですね」と話しかけたの」と言うので、私はおや、これは昔どこかで聞いた話だぞと思った。1/22

それで私が「ウジさん、もしかしてそのオヤジ「どこか涼しいところへ行きませんか?」って言わなかった?」と尋ねると、小鹿のバンビは驚いて「それをどうして御存じなの?」と目をクリクリさせた。

「僕の知り合いの岡本さんという一人で広告代理店をやっている人がいてね、こないだ三越で買い物をしているオバサンをそうやってひっかけてラブホテルに連れ込んだそうだよ」と言うと、ウジアオイはこれ以上ない冷たい目で僕を見てから、消え去った。1/22

いたるところで大蛇が大繁殖している。これは早く退避しないと大変なことになるぞ、と私は思った。

森の中で雨宮氏に出会った。時代は60年代だったから、世の中も人々も伸び伸びとしていていつの間にやらくだけたパーティが始まったのだが、妙齢のさる女性と話しているうちに、もしかするとこの人は自分の同級生ではないかという気がしてきた。

しかしそれを尋ねるタイミングを失っている間に、若い女性が割り込んできて「私、短大の授業を担当することになったら、シラバスを作れって言われたんですけど、それって何ですか?」と訊くので「白いバスのことだよ」と答えると、妙齢女がチラと私を見た。1/24

町内を歩いていたら、私が会社で面接して採用したO女が大きな洋館に入っていく姿を見た。そのとき彼女は1日に2回しか食事ができない貧しい家庭で育ったといっていたが、実際は町内で一番金持ちの男の一人娘だった。1/25

アメリカ土産に買った安物の中古ジーンズをはいて裏ハラを歩いていたら、見るからに業界人のような奴らや、入れ墨をいっぱい入れた若者が寄って来て、「これはどこでいくらで買ったの」とか、「5万円で譲ってほしい」とぬかすので、驚いて逃げ出した。1/26

帝国との熾烈な闘争は果てしなく続き、スターウオーズの世界はいつしか現実のものになっていた。いつの間にか遥か遠くの宇宙の彼方にやって来た私が、いくらレーダーで探索しても、懐かしい地球はもはやどこにも見つからなかった。1/27

子供たちを連れて夜道を逃げてくると、怪鳥の卵が落ちていた。1人の少女がそれを拾い上げようとすると、怪鳥の親鳥のオスが彼女の頭を激しく突いたので、少女はその場で昏倒した。すると横合いから巨大なネコが出てきて、いきなり怪鳥を喰ってしまった。1/27

お昼になったのでいつもの定食屋に行くと、オカミさんが「今日も特別にうなぎにしといたからね」と言いながら、けたくその悪いウインクをしたので、私は急に食欲が失せてしまった。1/27

かつて一世風靡していた幻冬舎を凌ぐ超人気出版社が誕生したというので、こっそり視察に行ったら、見城氏にそっくりの社長が、モデル兼売れっこ作家と差向いになって、彼女の太股の間に目をやりながらなにやら親しげに打ち合わせしていたので、羨ましくなった。1/30

私は全軍を率いて進撃しようとするアガメムノンの前に飛び出して、「これから君たちはどこへ行くの? なんだか不吉な占いの相が出ているよ」と教えてやったら、ホメロスがあわてて飛んできて、「それなら俺が詳しく説明してやるから、彼らをそのまま行かせろ」というのだった。1/31

展示会の最中に頭の悪い営業が、「こんなサンプルを作りやがって、こんなんで商売できるか」と毒づいたので困っていると、社長が出てきて「君、このサンプルのどこが良くないのか、具体的に言ってみなさい」というと、シュンとなって消えてしまった。1/31

今井さんたちと東京湾に咲く不思議な花を見ようと遊覧バスで乗り込んだら、たちまち大きな渦の中に巻き込まれて、気がつくと巨大な蛸壺の中に私一人でしゃがみこんでいるのだった。1/31


    お月さまと土星金星木星を夜の地球から眺める贅沢 蝶人
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夢の女~「これでも詩かよ」第151番

2015-07-09 09:59:01 | Weblog


ある晴れた日に 第320回


名古屋近鉄の電器売り場で、キャンバスを立ててスケッチを描き始まると、忽ち人だかりができた。私は「あら、これはダリよ」「これはゴッホよ」と持て囃す女たちとどんどんデートの約束を取りつけながら、売り場主任と大型テレビの商談を始め、どんどん値切っていった。

やがてA子とデートの約束をとりつけ、50インチの液晶テレビを40万円で買う商談が成立したところで、私はキャンバスをかたずけ、サインをしてから彼女と新幹線の駅に急いだ。

久しぶりに乗った満員電車の中で、私のまん前にいたのはA子ではなく、ブロンドの若い娘だった。どんどん混雑してくる電車の中で、彼女は恐らく意図的に私の身体の中心部に自分の下半身を擦りこむように身を寄せてくるので、私はもうどうにも我慢できなくなってしまった。

私に気がある外国人の女を、彼女の希望通りに階段の上でひんむいてやると、女は泣いて喜んでいた。するとそれを見た日本人の女が、「この女なんてザマなの」と罵ったので、私は彼女もひんむいてやった。

突然逃げ出した女の後を追って海に飛び込み、彼女の家は青の洞門の下にあったはずだとどんどん潜っていくと、岩で造られた部屋が2つあったので、左の方に進んでいくと彼女にそっくりの女性が私を手招きするので、そのまま抱擁してベッドで事に及ぼうとしたんだ。

ところが、やはり私のあそこはぐんにゃりとしたまんまで期待にこたえられず、「どうにもこうにも」と嘆いていると、いつの間にか別の女性がやって来て、「母と私を間違えるなんて」と怒り狂っているので、私はまたしても「どうにもこうにも」と呟くのみだった。

私はそんな自分にも、その傲慢な女のことでも頭に来ていたので、茶色い電車を両脇に抱えて国電に乗り込み、阪急梅田駅のプラットホームに投げ出すと、2回3回と大きくバウンドした電車は、うまく線路に乗っかった。

3時半から授業が始まるので校舎めざして野原を歩いて行くと、今度は若き日のオードリー・ヘプバーンにちょっと似た少女が私に頬笑みかけたので、挨拶を交わすうちに、なんだかえもいわれぬ懐かしさを覚えて、どんどん好きになってしまった。

近くのカフェに入ってどうということもない話をしていると、ヘプバーンが入って来た客を避けるような素振りをするので、「どうかしたの?」と尋ねたが、「別になんでもないの」と答えるばかりだ。

そのうちに時が速やかに流れたので、「僕は3時半から授業があるから、そろそろ行かなきゃ」と立ち上がると、ヘプバーンは「あら、この前と同じことをおっしゃるのね」と言うので、確かにこれと同じことが以前に起こったことを思い出した。

いつものように新宿にある学校へ行こうと家を出たが、その途中、法政大学の近所の商業施設の中で道が分からなくなってしまった。階段を息せき切って登り降りしているうちに時間がどんどん過ぎてゆく。ピザ屋のおやじに時間を聞いたら3時前という。それならもう授業は終わるころだ。

次の授業は3時半だから、これだけは出なければなんのために東京まで出てきたのか分からない。「僕は3時半から授業があるから、そろそろ行かなきゃ」と誰かに呟いた覚えは確かにあるのだが、それを聞いていたのはヘプバーンだったとは知らなんだ。



「インクを買うなら最新プリンターを買おう」というがインク代の儲けにあきたらずまたプリンターを買えというのかエプソン 蝶人
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出光美術館で「田能村竹田展」をみて

2015-07-08 10:40:35 | Weblog


茫洋物見遊山記第185回

 田能村竹田は江戸時代後期、というより幕末の南画の画家で、今年が没後180年に当たるそうです。

 会場に彼のお得意の山水画がたくさん並んでいましたが、私は山水画は好きですが、その山水をものような「精妙無窮」の細密画筆致で顕微鏡的視野の元に描いた南画がどうも苦手なので、こりゃまた失礼しましたとばかりに会場をさっさと後にしました。

 同じ南画でも、竹田の先輩格の池大雅、与謝野蕪村、浦上玉堂、後輩でも富岡鉄斎なら私的にはまだ鑑賞に耐えるのですが、これは駄目だ。目の毒だ。

 しかし世の中にはもっと酷い南画を書く人物もいるもので、その代表がかの夏目漱石選手で、私は彼のくねくねぐちゃぐちゃと軟体動物のようなけたくその悪い山水画を眺めているうちに、だんだん胸が悪くなってきたことを思い出しました。

 漱石の作物だからといって世間では小説でも画でも揮毫でも世に二無き逸物として褒め称えているようですが、私は歳をとるにつれてはてなと首をひねる機会が増えてきました。本命の小説でも、このような病的な南画的表現が気になります。

 漱石が最晩年に描いていたこれらの幽霊的南画や写生画を、同じく最晩年に正岡子規が描いていた晴朗な水彩画と比べると、どちらが「即天去私」の悟達の世界を体現していたかがよく分かると思います。


 漱石君即天はたして去私なるや挙止虚私清私にして巨私巨資鋸歯 蝶人
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鎌倉国宝館で「常盤山文庫展2015」をみて

2015-07-07 11:59:33 | Weblog


茫洋物見遊山記第184回鎌倉ちょっと不思議な物語第346回


 すでに6月28日に終了してしまいましたが、「常盤山文庫」というのは鎌倉山の開発に尽力した故菅原通濟が1943年に創始した美術コレクションの名前です。

 通濟が住んでいたのは鎌倉笛田の常盤山。「文庫」と名付けたのは美術品の蒐集と共にそこを学者が集まる研究の場でもあってほしいという願いが込められているからです。

「常盤山文庫」の母体は、通濟が収集した墨蹟や水墨画などの書画でうち2店が国宝、22点が重要文化財に指定されているハイレベルのコレクションです。

 今年の本展では「鎌倉禅林の墨蹟と頂相」をテーマに鎌倉ゆかりの禅僧の墨蹟が出品されていましたが、国宝の「清拙正澄墨蹟」をはじめ、無学祖元、蘭渓道隆など宋、中国の僧の筆跡は、同時代の多くの日本人と違って自由闊達で、見ていて気持ちが宜しい。

 同じ漢字を扱いながらその書きぶりが無造作でありながら、味わいが深い。後代の日本人は、こういう天然天真爛漫の筆致をまねぶ精神を等閑に付してきたのではないでしょうか。


 筆跡を見ればだいたい分かるはずあんたがなんぼのものであるかは 蝶人

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池澤夏樹編「日本文学全集20吉田健一」を読んで

2015-07-06 11:29:46 | Weblog


照る日曇る日第797回


 昔なんだこれ日本語かよと往生しながらようやっと読んだ「ヨオロッパの世紀末」に加えて「文学の楽しみ」という2冊の単行本を柱にあれやこれやの短編やエッセイ、シェイクスピアの14行詩の翻訳のおまけまでつけた吉田健一てんこ盛りの一大アンソロジーなり。

 小林秀雄や吉本隆明、塩野七生も悪文だが、この人の日本語はその上をいく悪文で、編者は頭の中の英語かフランス語で書いているのだろうとリップサービスしているが、とんでもない。

 吉本はいざ知らず、小林とか吉田は毎晩つるんで銀座で酒を飲み、深夜帰宅してから締め切りを過ぎた散文を必死で書き散らすので、こういう論旨不鮮明、牛が咀嚼する回文のような天下の迷文が出来上がってしまうのだから傍迷惑な話である。

 たとえば「文学の楽しみ」の中で、「ポール・ヴァレリーが啄木の蟹と戯れる歌を仏訳したものに純粋詩を見たのも、啄木よりも日本の歌というものを思うならば少しも無理なことではくて、彼に新古今和歌集が読めたならばさらに何と言ったか解らない」などという内容はともかくかなり思わせぶりな文章も、もっと単純明快な散文で言い表すことができたはずである。

 ではあるが、こっちも彷徨える牛になって丁寧に徘徊してみると、これくらい「文学の楽しみ」を微に入り細に渡って噛んで含めるように解説している文章は世界中どこにもないのではなかろうかという気がしてくるから不思議である。

 ともかく古今、洋の東西を問わず、これくらい世界文学の深さと楽しさを味わいつくした人はそれほど多くはないだろう。

 けれどもその同じ人物が酒や食い物を語り始めるや、世紀の悪文も諸手を挙げてバッカスを讃える喜悦の平叙文となり、銀座の酒場で呑み明かした日本酒の蔵元に誘われてそのまま灘に向かい、その日も大阪の料理屋「しる一」で斗酒なお辞さぬ酒豪連中とうわばみのごとく呑み明かす「酒宴」ほど痛快な読物も世にまたとあるまい。


   泉水橋医院で呉れた薬をみな飲めば下痢と吐気で二日眠れず 蝶人
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クリント・イーストウッドの映画3本立

2015-07-05 10:16:14 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.848、849、850



○クリント・イーストウッド主演・監督の「荒野のストレンジャー」をみて

 1973年製作の奇妙な味わいの作品なり。さすらいの流れ者イーストウッドはいきなり寄って来た色女を強姦するが、「嫌よイヤヨも好きのうち」という彼の得意のマッチョ女性観が臆面もなく発揮されていてエグイ。

 悪漢から街を守るために得体のしれない腕ききを雇うという昔ながらのお話であるが、イーストウッドはその実現成就が幻想であることを知りながら町民の自主独立をうながし、それが画餅とついえた瞬間に正味のゲバルトを発揮して眼前の障壁を突破していく。



○クリント・イーストウッド監督の「ホワイトハンター ブッラクハート」をみて

 イーストウッドが「アフリカの女王」の撮影をほっぽらかして「象撃ち」に夢中になるジョン・ヒューストンを成り切りで演じている。

 この映画では象のような神聖な創造物を撃ち殺すなんて許すべからざる犯罪だという天からのお告げが舞い降りて銃を置いてメガフォンを取るところで終わっているが、さて実際はどうだったんだろうな。

 注目すべきは音楽。日本では文部省唱歌「故郷の廃家」(幾年ふるさと来てみれば)として知られるアメリカ人ウイリアム・ヘイス作曲の「My dear old sunny home」を主題歌にしていることで、しかもそれをアフリカ民謡風に編曲しているという念の入れ方は自分で作曲もするイーストウッドならではなり。



○クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」をみて

 面倒くさいので概要をウイキから引用すると「1つの殺人事件を通して四半世紀振りに再会した、幼馴染の3人の男性の運命を描く。それぞれに交錯する嘘や疑いが、事件を思わぬ方向へと発展させてしまう」映画であるが、その3人のケビン・ベーコン、ショーン・ペーン、テイム・ロビンスのうち真ん中の男の禍々しい存在感が際立つ。

 とりわけ誤解と短慮によって友人を死に至らしめるシーンの凄絶さは言語に絶するものがあり、こういう演出ができる監督の力量は素晴らしい。

 幼い日の友情は、道端のマンホールに吸い込まれて消え去ったホッケーのボールのように儚く暗転するのである。


   シンクロに一番いいのはカラヤンと井村コーチは断言したり 蝶人
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井上ひさし著「井上ひさし短編中編小説集成第9巻」を読んで

2015-07-04 11:28:02 | Weblog


照る日曇る日第796回

 著者は大学1年生の夏休みに、戦争中に山奥に疎開されていた江戸時代の「黄表紙」30冊を釜石市の市立図書館に運ぶアルバイトをしたそうだが、その抱腹絶倒の面白さ、驚天動地の素晴らしさに魅了され、その時の貴重な体験がその後の歩みを決定づけたと自ら語っている。

 本巻におさめられた「戯作者銘々伝」は、その経験から生まれ出た興味深い産物で、山東京伝、式亭三馬などの戯作者を題材にした虚実入り混じった戯作風の伝記物は、彼が得意中の得意とする滑稽や笑いの淵源がほかならぬ江戸文学に根ざしていたことを物語っているようだ。

とりわけ「戯作者銘々伝」の中の「山東京伝」と「京伝店の烟草入れ」を併せ読むと、著者の山東京伝に対する傾倒と思慕が思い知られて深く心に残る。

 その他「他人の血」「犯罪調書」も、この作家特有の異様なまでに肥大飛翔していく妄想的想像力、そして裏歴史的題材への偏執狂的潜入の悦楽をあますところなくさらけ出していて、ときおり吐き気を催すほどの毒性とインパクトに満ちている。


   ガマに逃げし沖縄の民を戦場に追いやりしは皇軍第三十二軍 蝶人
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プルースト著吉川一義訳「失われた時を求めて8」を読んで

2015-07-03 10:43:52 | Weblog


照る日曇る日第795回


 いくら作家でも書きたくないことはあるものだろう。それが自分の欠点や不利になること、世の中のタブーとされていることならなおさらだ。たいがいの作家は意識してか無意識にかそれを遠避けたり、曖昧にしてしまう。

 しかしプルーストは違った。小説の主人公である「私」の設定はそのようにはなっていないが、自分がユダヤ人であること、同性愛者であることの意味の問いかけを、この20世紀を代表する大河小説の大きなテーマとして取り組んだ。

 当時のフランスにおいてもこの2つはタブーであったが、作家は己の分身を登場人物のあれやこれやに割り振って、己の内なる怖れとおののきを相対的に対象化しながら、小説世界の深化拡大と苦悩する自意識の鎮静を図ったのである。

 たとえ社会が己の人種や性癖をゆえなく差別し指弾しようとも、己の精神的肉体的淵源に遡って真実をつまびらかにし、その持続的表現に挑むことは創造者の誠実さと良心の問題であり、プルーストはわが谷崎潤一郎と同様にこの一筋の道を貫いた。

 川端康成や三島由紀夫にもそういうアプローチは散見されるが、プルーストや谷崎ほどの真剣さ深刻さ、落とし前の付け方には到底及ばない。

 しかし本巻の叙述の大半は、サロンでの社交生活の些事のあれこれであり、延々と執拗に綴られるそれを読んでいると、いかに大革命が王侯貴族に打撃を与えたとはいえ、花咲くサロン文化こそが近代西洋文化の搖籃であり続けた理由がなんとなくわかるような気がする。

    本郷台の駅前に立つ楠並木アオスジアゲハが泣いて喜ぶ 蝶人
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Les Petits Riens ~三十五年はひと昔

2015-07-02 13:44:11 | Weblog


蝶人五風十雨録第3回「六月三十日」の巻~バガテル-そんな私のここだけの話op.203


1981年6月30日 火曜 
記事欠落。

1982年6月30日 水曜 
巴里Rue de Carneの Hotel Stellaに宿す。

1983年6月30日 火曜 
AddendaのCM。CⅩのアナウンサーのフィッテング。

1984年6月30日 土曜 曇り時々晴れ
AddendaのCM。ベルギー大使館のシャンタル・コルネイユ美人にて好まし。モデルが地球儀を投げるアイデアは余の演出案なり。久野去り、永原入社。

1985年6月30日 日曜 晴れ
巴里にて朝から夕方まで愛機ベータムービーにてセーヌ、エッフェル、凱旋門、ノートルダム寺院、メトロの中などをライブ撮影。夜Hotel Concorde St.Lazareのバーにて偶然J=L.ゴダールに会う。昨日はスイスのロールの自宅兼スタジオで一緒だった。

1986年6月30日 月曜 曇り
午後電通にてソフィージョルジュTVCM試写。原君の演出なり。

1987年6月30日 火曜 
アルフィオにて池田ノブオvs今井広報室長MTG。

1988年6月30日 木曜 曇り
今年の梅雨はうっとおしいが空梅雨ではない。雨も降る。橋本次長、宣伝部長としてダーバンに転籍。

1989年6月30日 金曜 晴れ
ナベプロS課長来社。チョー・ユン・ファの「男たちの挽歌Ⅱ」をみる。日本のやくざ映画からの引用があって笑わせる。

1990年6月30日 土曜 曇り
会社休みて「福翁自伝」を読む。プロパン屋のおじさんがプロパンの運搬で傷ついた玄関の石段を丁寧に直してくれた。次男のテスト結果悪し。前途を憂う。

1991年6月30日 日曜 くもり
妹が黙想会を終えてわが家にやって来た。新宗教家となりて大悟せしか。ユーゴ・クロアチア共和国と連邦軍の戦い再燃の気配あり。

1992年6月30日 火曜 雨
課長会。気合いを入れて報告してやった。マリークレール、GQ、オッジの編集の人たちと会う。

1993年6月30日 水曜 雨
ボーナスでる。去年より多いのか少ないのか分からず。田中さんが庭に植えてくれた桃が
2個なりました。

1994年6月30日 木曜 くもり
午前中かなり大きな地震あり。午後3時より会社の前の大蔵省住宅で不発弾処理あり。村山内閣組閣終わる。副総理兼外相に河野、大蔵武村など。主要部は自民が抑える。
スタイリストの鈴木さんからパーカー万年筆を頂く。余に「啓発された」と仰るが身に覚えなし。

1995年6月30日 金曜 くもり 蒸し暑い
真夏のような暑さの中を表参道、原宿、渋谷とマーケットリサーチ。HMVにてマクベス,死の都、薔薇の騎士のLD買う。1万4千円也。

1996年6月30日 日曜 くもり
昨夜次男がパリに行きたいというので地図を出して説明してやった。
長男と一緒にいると私を嫌って叩くので困る。

1997年6月30日 月曜 晴れ
香港本日をもって英国より中国に返還さる。じつに155年ぶりのことなり。チャールズ英皇太子、マウントバッッテン総督、中国李鵬首相参加の祝典開かれたるが生憎の雨なりき。

1998年6月30日 火曜 晴れ 暑し
失業率1%。午後伊藤忠ファッションシステム、米国マテル社との三者会談。交渉不調ならタカラのジェニー人形と組むという案もある。

1999年6月30日 水曜 雨
昼豪雨あり。余は長年務めた会社を辞するのほか道なきか。

2000年6月30日 金曜 晴れ
午後同文社の前田、斎藤両氏と池袋に無印良品を訪ね、婦人画報メンクラ企画を売り込む。午後五反田ダーバンにてメンズ打ち合わせ。同級の直木賞作家、高橋義夫氏起用案でOKとなる。

2001年年6月30日 土曜 小雨
終日文化服装学院講義の準備をする。

2002年年6月30日 日曜 くもり
W杯決勝戦カーンの健闘空しくドイツ0-2でブラジルに敗れる。北朝鮮が韓国船を銃撃し4名死す。太刀洗にてニイニイ蝉鳴く。

2003年年6月30日 月曜 はれ
昨夜突然次男帰宅し、寿司を喰らいて夜また戻る。3月以来の椿事なり。丸坊主となりてなかなか男前なり。余を前にしていろいろ批判する。頼もしきかな。

2004年6月30日 水曜 雨
台風襲来の余波で、新幹線止まる。義母縁側から転落すれど、さいわい無事なりき。

2005年年6月30日 木曜 雨のち曇り
工芸大の三浦さんは綺麗だ。次男に30万振りこんだので次男よろこぶ。ビデオを買ったそうだ。

2006年6月30日 金曜 曇り暑し*
とうとうたまりかねて文芸社に催促のメール入れる。文化の試験の採点をする。
小泉がブッシュを訪ねて、プレスリー大好き等々莫迦なことを喋っている。

2007年6月30日 土曜 晴れのち雨
カーペットを干した。耕と熊野神社に行ったが例の怪しいメガネ男はいなかった。
先日宮沢元首相が死んだ。

2008年6月30日 月曜 小雨のち曇り
文化服装学院授業。建築課題で都庁タワーに登る。文化女子大講義はネット広告。

2009年6月30日 火曜 曇り
東京工芸大学へ行く。就職相談相手の学生は1名のみ。就職課のS課長は本日より厚木へ転勤となり、厚木から新任女性課長がやってくるそうだ。

2010年6月30日 水曜 雨のち曇りのち晴れ
猛烈な暑さなり。昨夜W杯日本PK戦でパラグアイに敗れる。岡ちゃんも選手もよくやった。

2011年6月30日 木曜 晴れのち一時にわか雨
耕を迎えにいったが雨が上がる。十二所で義姉たちとランチ。従弟の子の障がいありやなしやを案ず。

2012年6月30日 土曜
この日の記録欠落して無し。

2013年6月30日 日曜 晴れたり曇ったり
日経歌壇投稿全滅。市内の商工会議所で行われた高橋源一郎氏の講演を聞く。はなはだ面白し。彼はまた鎌倉に戻り、比企ガ谷辺に住んでいるようだ。

2014年6月30日 月曜 曇り
妻湘南鎌倉病院にてパニック障害の判定。すべて余のなせる業と深く反省するも時既に遅し。

2015年6月30日 火曜 曇り 蒸し暑し
新幹線車内で焼身自殺。2名死亡、負傷者多数。
ギリシアは借金を返せず債務不履行寸前。財政破綻の責はチプラス首相と国民自身にある。もって他山の石とすべし。
歯痛に耐えながら藤沢で息子の小田急回数券、大船で乾電池を買う。
次男は可愛い子猫を拾ったがアパートで飼えずに困っている。

      東西で宰相居直り水無月尽 蝶人


 カザルスの「鳥の歌」など聴きおればピースピースと泣くように歌う 蝶人

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