あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ギュンター・ヴァント指揮ベルリンフィルの「ブルックナー交響曲集」を聴く

2015-09-14 13:34:37 | Weblog


音楽千夜一夜第347 回


 このコンピレーションでは4番、5番、7番、8番、そして最後の交響曲9番と作曲者の代表作が全部収められています。

 名人ヴァントによるブルックナーはもはや入神の域に達しているからそれが何番であろうが変な話だが安心して聴いていられます。

 しかも演奏はベルリンフィルなので、もはや言うことなしのはずなのですが、どことなくよそよそしい感じがする。その点実力では劣るはずのケルンや北ドイツ放送交響楽団と演奏した同じ曲のほうが遥かにいきいきした感興が湧きおこってくるのは、彼が長年にわたって手塩にかけた「手兵」であったからでしょうか。




 しらなんだこの節はクァルテットと書くのかカルテットじゃなくて 蝶人

     豚男豚女大繁殖中平成日本列島 蝶人
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川喜多記念映画館でアーサー・シュレシンジャー監督の「真夜中のカーボーイ」をみて

2015-09-13 11:04:10 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.889& 鎌倉ちょっと不思議な物語第355回



邦題の「カーボーイ」じゃなくて正しくは「カウボーイ」ですね。 なんか水野晴郎という人の勝手な思いつきでそうしたようですが、下らない冗談は顔だけにしてほしかった。

 映画は、はじめは脱兎のごとく終わりは処女膜を喪失した処女の如く哀しい。
 まあいうならば、アメリカのテキサスの田舎町からNYへ出てきた能天気なカウボーイの青春と友情、その挫折を描くアメリカン・ニューシネマの佳作ずら。

 ところで1960年代の後半からアメリカン・ニューシネマがブームになったのは、1930年代から敷かれていた米国の表現コードがちょうどこの頃に解禁されたからだという噺を聞いたことがあるが、それって本当かなあ。

 それにしてもジョン・ボイトとダスティン・ホフマンはどうしてあんなに最後まで惹かれあったのだろう。もしかしてホモセクシャル? いやそうではないだろうな。

 今回はテレビの録画ではなく、珍しく鎌倉の川喜多記念映画館でみた。以前は確か800円だったけど、1000円に値上げしたらしい。そのせいかだいぶ席が空いていた。

 ここは川喜多長政・かしこ夫妻の旧邸があった広大な山と庭園付きの広大な土地で、ご夫妻の一粒種の川喜多和子さんが亡くなられたあとで鎌倉市に寄付されて現在のような形になったのだが、和子さんの亭主である柴田駿さんが社長をしていたフランス映画社が倒産したときに、もしこの土地があったらそれを免れることが出来たかもしれないという思いにとらわれたことだった。

  柴田駿さん、いまどうされているのだろうか?


    アジサイのごとき男女うごめくシネマかな 蝶人

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新潮版・青木、井出、伊藤、清水、橋本編「萬葉集三」を読んで

2015-09-12 11:24:57 | Weblog


照る日曇る日第812回

 本卷では萬葉集の巻第10から12までが収録されている。

 天平18年に急遽越中へ赴任することになった大伴家持が、その前年に大車輪で編纂したと解説されているが、それまでの巻と異なって心に深々としみこむ歌がなかったのはなぜだろう。恐らく生き急ぐあまり読み急いでいる老生のとがであろうが、

 それでも、2233番の

 高松の この嶺も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ

 などは松茸の香ばしい匂いがたちまち鼻に押し寄せてくるようで驚く。作者の眼は手前の松茸のフォーカスしながら、その後景の松林と青空をバックに聳え立つ山嶺をもフレームに収めており、その独特の味覚と視点がなんともいえずモダンではないか。

 また2264の

こほろぎの 待ち喜ぶる 秋の夜を 寝る験なし 枕と我れは

 に始まる「寄物陳思」のさきがけをなすようなシリーズでは、蛙、雁、鹿、鶴、尾花、萩、水草、朝顔、女郎花、露草、薄、杜若を次々に詠んでまことに興味深いものがある。

 家持は萬葉集の新しい編集コンセプトとして、物に寄せて思いを述べる「寄物陳思」や物に寄せずに直接思いを述べた「正述心緒」、さらには「問答」という切り口をここで初めて導入したようだが、だからといってそこにセレクトされた作品が素晴らしく斬新である、というようなことは、残念ながらさらさらなかった。


  イチローがでないマーリンズの試合くらい退屈なものはない 蝶人
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谷崎潤一郎著「谷崎潤一郎全集第20巻」を読んで

2015-09-11 13:02:10 | Weblog


照る日曇る日第812回



 「細雪」の下巻と「磯田多佳女のこと」「都わすれの記」「月と狂言師」等を収めているが、「疎開日記」のなかで谷崎潤一郎と永井荷風の2人の文豪の出会いが2度にわたって触れられているのが興味深い。

 最初は昭和19年3月4日に潤一郎が麻布に偏奇館を、次は翌年8月の敗戦の日前後に荷風が勝山在の潤一郎を訪ねて、「ひとりごと」「踊子」「来訪者」の生原稿を託しているのである。

 谷崎潤一郎の最高傑作の感想は別に書いたので、ここでは触れないが、今回の最新版の編集者が、どうして「細雪」を、私が持っている昭和41年版の全集のように1冊に収録しないのか良く分からない。

 ところで「細雪」の初回は、「細雪回顧」に書かれているように、昭和18年の「中央公論」新年号に出たきり、陸軍省報道部将校の忌諱に触れて発禁処分になり、その後書きためた私家版「細雪」を上木したところ、今度は兵庫県庁の刑事が自宅にやって来て、「今度だけは見逃すが、これを公刊するのは許さない」と恫喝されたという。

 こういう「吹き捲くる嵐のやうな時勢」のなかを、足掛け6年に亘って細々と書き継いだ著者であったが、それ以上の「弾圧」を恐れるあまり、関西の上流階級の不倫や不道徳も含めての生活の実相を描きだそうとする当初の構想を、もはやそのまま進めるわけにはいかなかったと述懐しているが、それも宣むべなるかな。

 不幸なことに私たちは、その御蔭でもっと自由奔放で生き生きした彼本来の真正な「細雪」の世界をのぞき見る機会を失ったのである。

 著者は「せっかく意気込んで始めた仕事の発表の見込みが立たなくなったことは打撃であったが、文筆家の自由な創作活動がある権威によって強制的に封じられ、これに対して一言半句の抗議が出来ないばかりか、これを是認しないまでも、深くあやしみもしないという一般の風潮が強く私を圧迫した」と記しているが、このコメントの最後の箇所を、私たちは今こそしっかりと胸に刻むべきではないだろうか。


   官憲にこと上げしない民衆の怠惰と不作為が作家を殺す 蝶人

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鏑木清方記念美術館で「秋の情趣展」をみて

2015-09-10 10:48:17 | Weblog


茫洋物見遊山記第188回 鎌倉ちょっと不思議な物語第354回


 鏑木清方の旧邸に建つ美術館で、清方の多彩な表現を楽しむ「秋の情趣展」を鑑賞しました。今回は「孤児院」という珍しい題材の大きな日本画に接してちょっと驚きました。制作されたのは明治35年ということですが、当時はとても珍しい社会福祉施設だったと思われますが、それゆえに画家の好奇心が動かされたのではないでしょうか。

 おそらく孤児たちの教育を担当するであろう若く美しい女性が描かれているのですが、その華やかな衣裳(トップスは着物でボトムは緑色のロングスカート)と足を無造作に投げ出したポーズがちょっとこの場になじまない感じで、そこが面白いと思いました。

 ちなみにこの年清方は24歳、夏目漱石は倫敦にあって精神衰弱の噂を立てられており、9月には根岸の子規庵で正岡子規が34歳の若さで亡くなっております。鏑木清方は、なんと94歳の天寿をまっとうしたのでした。

 なお本展は来る月10月18日まで閑古鳥鳴く鳴く開催中。



   なんとなく先逝く人が羨まし日に日に近付く嵐思えば 蝶人
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鎌倉国宝館で「仏像入門展」をみて

2015-09-09 10:59:12 | Weblog


茫洋物見遊山記第187回 鎌倉ちょっと不思議な物語第353回

 残念ながら去る6日の日曜日に終ってしまったのだが、この夏休みのお子様向けと思われた展覧会は、仏像のあれやこれやを知りたい大人にも非常に為になる有意義な展覧会であったずら。

 会場には寿福寺の薬師如来や円覚寺の「阿弥陀三尊像」、怪しく面妖な秘仏「歓喜天像」など数多くの仏像がずらりと並んでいて、如来と菩薩と明王、天部の違いを懇切丁寧に教えくれるのでした。

 悟りを開いた釈迦をモデルにした最高尊の如来には、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来などがありますが、薬師は左手に薬鉢を持っているので明快ですが、釈迦如来と阿弥陀如来の区別はなかなか難しい。

 鎌倉大仏を釈迦如来とみた与謝野晶子は、

  かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな

 と誤って詠んだわけですが、阿弥陀如来の手の印の結び方と釈迦如来の定番の両手を重ねるスタイルはちょっと似通っていて、よーく観察しないとその違いが分からないからです。

 しかし、もしかすると晶子さんは、じつはその違いが分かっていながら、あえて「釈迦牟尼」と詠んだのではないでしょうか。なぜかというと、これが阿弥陀如来なら

  かまくらや  みほとけなれど 阿弥陀如来は 美男におはす  夏木立かな

 のように第3句が字あまりになって、無事におさまらないからです。牟尼は釈迦の尊称ですから、阿弥陀牟尼とする訳にもいきません。

 後年、彼女は周りからやいやい言われて、仕方なく

  かまくらや  仏なれども大仏は 美男におはす 夏木立かな

 という改定版をつくったりしましたが、これがいかに駄目な歌かは御本人がいちばんよく知っていたと思います。


 かまくらや 高徳院の大仏は 来年はじめに ドック入りとか 蝶人
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夏目漱石の「それから」を読んで

2015-09-08 11:04:11 | Weblog


照る日曇る日第811回  


 朝日新聞に連載されていた「それから」が昨日で終った。

 漱石は、著者は前作の「三四郎」のそれからを描いた続編であると広告していたが、実際に書かれたのはまったく違う話だった。

 主人公の代助は熊本生まれのとっぽい元大学生ではなく、東京に生まれ育った金持ちの息子の「高等遊民」であるし、田舎者の三四郎などが何回生まれ変わっても転生できないような洒落者である。

 作品の前半から中盤までは、前作までと同様、漱石がこれまでにセッセセッセと貯め込んだ学識的貯金を取って出す落語か漫才のような哲学的人生論の連続で、せっかく帝大を卒業したというのに就職もせず、俄か成金の親の脛かじりにくせに世界が自分を中心に回転しているような空疎な妄言を延々と吐き続ける代助と漱石に対して、「この野郎、いい加減にさらせ」と頭に来ない読者はいないだろう。

 ところがそんな主人公の前に、親友の妻となっている初恋の人三千代が登場した時から、この能天気な阿呆莫迦哲学談義で終わるかと思われた小説は、うぶな「三四郎」の初恋なぞをぶっ飛ばす“命懸けの大恋愛小説”へとおお化けし、この愚かな「高等遊民」は遅まきながら明治日本の裸の現実と激突するのである。

 森鴎外や尾崎紅葉と違って“偉大なアマチュア小説家”である漱石の文章は、しかし代助の家を訪れた三千代が鈴蘭と百合を生けた器の水を飲み干すところで強烈なエロスを発散し、因循姑息な職業小説家の月並みを一挙に破砕してしまう。

 さうして代助が愛を告白した第92回に至ると、蒼白になった三千代が「仕様がない。覚悟を極めましょう」という恐ろしい台詞を吐くところで、この小説とこの男女の愛は最高潮を迎え、第100回の会話「希望なんかないわ。何でも貴方のいう通りになるわ」「漂泊―」「漂泊でも好いわ。死ねと仰しゃれば死ぬわ」において、2人は近松門左衛門の「曽根崎心中」の登場人物となるのである。

 働かざる者は喰うべからず。麺麭がなければ世紀の恋も死ぬほかはない。麺麭を求め、職を求めて電車道に飛び出した代助の真っ赤なシルエットは、さながらドイツ表現主義映画のカリガリ博士の彷徨を思わせる。

「門野さん、僕はちょっと職業を探して来る」と言って日盛りの表へ飛び出した代助は、「焦る焦る」と言いながら飯田橋から電車に乗り込むが、すでにして全世界は紅蓮の炎を巻き上げて燃え盛っている。

 ここから一瀉千里に続く怒涛のクライマックスは、まさに漱石文学の独壇場という他はないだろう。



 高等遊民には及ばずともせめて下等遊民で死にたいなと夢見る今日この頃 蝶人


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神奈川県立近代美術館で「鎌倉からはじまった。PART2 1951-2016」をみて

2015-09-07 13:09:12 | Weblog


茫洋物見遊山記第186回 鎌倉ちょっと不思議な物語第352回


鎌倉館の最後の1つ手前のさよなら公演を見物してきました。本館はすべてが館蔵品ですが、この会場で何回も目にした高橋由一の「江の島図」や青木繁の「真・善・美」、関根正二の「少年」、「村岡みんの肖像」なぞの名作をこれが最後と見おさめました。

別館では「版画」を特集していて、私の大好きな藤牧義夫、谷中安規に加えて、ブリューゲル、ブレイク、ドラクロワ、ドーミエ、ルドン、ムンク、カンディンスキー、キリコ、ルオー、エルンスト、マティス、ピカソなどの貴重な作品を鑑賞する機会に恵まれました。こんなコレクションがあったとはちーとも知らなかったなあ。

なお本展は来る10月4日まで泣く泣く淋しくさよなら公開ちうです。


  「民主主義は多数決です」と軽く言うそんな男の民主主義とは何 蝶人

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新潮日本古典集成新装版 西行著「山家集」を読んで

2015-09-06 13:02:31 | Weblog


照る日曇る日第810回
 

西行著はちと変だが、まあ俗名佐藤義清、出家してからは西行を名乗った中世有数の歌人の和歌をスクープしたのが山家集であることは間違いなかろう。

これを読んで分かるのは、西行がいわゆる諸国一見の僧であって、京大和、伊勢、高野山、紀州はもとより、奥州、中国、四国、九州と全国各地をまるで大旅行家のように行脚していることである。

同時代の武家や僧侶、同業物書きライヴァルの鴨長明、吉田兼好に比べてもその行動半径は広かったのではないだろうか。

しかもその行く先々で歌を残しているから、この「山家集」は一種の“旅歌日記”とも言えそうだ。

思うに、西行の代表的な歌は、かの待賢門院などへの恋慕と失恋を詠んだ「恋百十首」と考えられてきたのではないだろうか。

いとほしや さらに心の をさなびて 魂切れらるる 恋もするかな

が、それらが極めて定型的な恋愛詩であるのに対して、この“羇旅歌”は、西行が現地で見聞したありのままを写実的に描写している“ただごと歌”が多く、そのリアルな表現は、ほとんど現代人のものであると評しても差し支えないだらう。

磯菜摘まん 今生ひ初むる 若布海苔 海松布神馬草 鹿尾菜石花菜

今ぞ知る 二見の浦の 蛤を 貝合とて おほふなりけり

伏見過ぎぬ 岡屋になほ とどまらじ 日野まで行きて 駒試みん

後代の芭蕉はこれを読んで、「よーし、おラッチもひとつ西行に倣って旅に出て、こういうリアルな句を詠んでやろう」うと思ったに違いない。

もとより西行も時代の子であるから、春夏秋冬の季題にちなんだ名月や、梅や鶯、時鳥などを詠った数多くの作品を残しているが、それらの多くはやはり月並み調に堕しており、彼の代表作は上に挙げた“羇旅歌”や、次に引用するような「個人主義的な視点」が際立つ一味違ったユニークな作品ではないだろうか。

わが園の 岡辺に立てる 一つ松を 友と見つつも 老いにけるかな

いつかわれ 昔の人と 言はるべき 重なる年を 送り迎へて


「サーバーが古い」といわれて国立劇場の歌舞伎が予約できないサーバーが古いといわれてもね 蝶人
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鈴木志郎康著「どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた」を読んで

2015-09-05 11:46:35 | Weblog


照る日曇る日第809回


敬愛する詩人の最新版を拝読いたしました。

鈴木さんの詩はとっつきやすく、すらすらどんどん読めて、なおかつ意味内容が胸にまっすぐ飛んでくるのがなによりうれしい。

とかく現代詩というと最初の行からして格調が高く、しかし何回読んでも難解でなにを云いたいのかさっぱり分からないというタイプが多いのです。私はだからといって、そういう詩が駄目だと云っている訳ではないのですが、なんだか苦手なんです。

私のような詩の初心者である読者がついてきやすいように、鈴木さんはさまざまな創意と工夫をされています。たとえば話し言葉、それも非常にざっかけない口調を多用し、自分が書き続けるためにも、また読者が読むためにも勢いがつくようにオノマトペを多用し、フレーズとフレーズの間に、「ってやんでぃ!」「あっ、はあー」「困っちゃうね」「変わっちまった」「ひょいひょいひょい」「うんっぐっく」「アッジャー」「ケッ」「ササッサー」といた独特の「合いの手」を入れて軽やかにやか、また愉しげに、我らを前へ前へとヒッパって行きます。

ちょっと自分を韜晦する戯作者の風体を装いながら、しかし連れられてゆく先は、天国でもあるし、地獄でもあるような、今まさに私たちが生きているこの世の中のいたるところ。

都内の花見ドライブもあれば、「丸山豊記念現代詩賞」の授賞式、衆議院議員選挙の投票所、詩人の9歳の記憶を探す旅もあれば、難病と闘う最愛の奥様への賛歌もある。読みはじめたら最後まで読み続けずにはいられない花も実もある詩集です。

自由奔放、融通無碍、なんとなくノンシャランに書いていると見せかけて、海千山千のこの老獪な詩人は、ちょっとした離れ業も見せている。

「七十九歳の誕生日って、ちょっと困っちゃうね」という長い長い詩なんかは、全23連をそれぞれ8行で書くと見せかけて、第19連だけは8行+8行=16行のダブルにしてあったりするのです。

アッジャー!
ったく、ひょいひょいひょい、うんっぐっく、うんっぐっく、ですよ。


「あっ、はあー」「変わっちまった」「ってやんでぃ!」「困っちゃうね」「うんっぐっく」 蝶人
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岡本喜八監督の「日本でいちばん長い日」をみて

2015-09-04 13:01:30 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.888


 8月15日の天皇の詔勅が出される前後の政治的混乱、というより陸軍若手強硬派によるクーデター未遂事件を扱っている。

 帝国陸海軍が国家を聾断し、血迷って開始した“大東亜戦争”であったが、結局天皇の「聖断」によってしか無謀な国土決戦を止められなかった恐るべき無責任体制をこの映画は暴露している。

 開戦も「終戦」もその「聖断」を下した人物が戦勝国によっても敗戦の当事者によっても裁かれることがなかったのだから、世にも不思議な物語というほかはないだろう。

 こういう集団無責任体制は、我が国の専売特許として戦前、戦中、戦後70年に至るも連綿として継続されていることは、つい最近の東京五輪を巡るおまんた音頭騒動のてんやわんやを見ても一目瞭然であろう。

 我が国は光輝あるこの「そして誰もやっていない体制」を、(憲法第9条は廃棄処分したとしても)堅持しつつ、これからもシコシコやり続ける素敵に忍耐強い国なのでR。

 で、肝心の映画の方だが、珍しいことにどの出演者も役柄にぴたりと嵌っており、当時の製作者と三船敏郎などの出演者のレベルが現在と違って相当高かったことを物語っている。岡本喜八の演出も気合いが入っている。

それにしてもクーデターの張本人役を演じた佐藤充と横浜警備隊長役の天本英世の狂気に満ち満ちた表情は、げんざい憲法破壊のクーデターを敢行中の悪辣非道な猪八戒の醜悪な顔と完全に二重写しとなっているようだ。


  さんざめく五輪ドームを埋めし人みんな一人で死んで行くのだ 蝶人
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中上健次著「中上健次集五」を読んで

2015-09-03 15:37:03 | Weblog


照る日曇る日第808回


中上健次というと蓮実重彦、江藤淳、奥泉光などの作家や評論家諸氏が手放しの大賛辞を贈って褒め称えているんだが、彼らのその論拠を読んでもてんで理解できないのは、思うにその尊崇と跪拝が都会的な青白きインテリゲンちゃんたちのピテカントロプス直立原人風土方作家に対する肉体的精神的コンプレックスから発しているからなのであって、精神より肉体、脳より金的、論より俗情、人工より自然、近代より古俗、中心より周縁、都会より田舎、銀座より路地、正統より異端、現実より聖なる幻想に力点を置いた中上流の文芸をダイアモンドのような希少種、貴重種と勘違いして過大評価しているにすぎないことは、ここに収められた「枯木灘」をじっくり読んでみればすぐに分かることなのだが、文章なんかプロにあるまじき小学生もどきの下手糞さだし、おんなじ話をこれでもかこれでもかとまるで痴呆のように繰り返しているし、その話柄ときたら自分の先祖が尻くらえ孫一だとか、実の父親とそうじゃない父親がおり、それぞれに息子と娘、すなわち義きょうだいがどっさりいて、そのきょうだいの妹の方と寝たとか、そのきょうだいの弟のほうをカッとなって殴り殺したとか、大関松太郎の「虫けら」みたいに土を耕すのが快楽だとか、まあそんなある種の悪く言うと与太話の連続であって、確かにそんな家族や若い衆が昔紀州の田舎の路地にいたかもしれないし、いなかったかもしれないけれど、もしいたとしても南米のボルヘスやマルケスとかリョサの日本人版の焼き直しのようなもので、格別珍しくも面白おかしくもない「親の因果が子に報うた」ような、昔からある奇妙な絆と血に結ばれた家族の過去現在そして未来の係累話であるからして、どうということもない、ある意味では本人以外にはなんの関心もない「ああそうですか」とでも挨拶するしかないような、好いた惚れた憎んだ殺した牢屋に入ったまた出てきたというような、毒にも薬にもならない与太話を、青大将がひっくり返って白い腹を捩じらせているような文章で、牛がよだれを垂れ流しながら何度も反芻するがごとく、ぐちゃぐちゃ延々と長引かせているのは、当時の編集者から「なにがなんでも長編小説を書け」とはっぱをかけられたからで、我思うに、この作家の実力からすればこの無意味な長さのおよそ1/3の長さでびしっと引き締まった珠玉の短編を書くことができたに違いないが、それでもやっとこさっとこ書き終えることが出来たのは、例のお得意の集計用紙に書き殴りながら「そのBGMにバッハのブランデンブルグ協奏曲を用いたからだ」と御本人は回顧しているようなので、「同じバッハならどうしてグールドが弾くゴールドベルク変奏曲を鳴らさなかったのか」と尋ねようとしたのだが、あいにく当の本人はとっくに泉下の人となってしまっているのだった。


   百万言のご丁寧なご説明は不要ずら違憲戦争法案を撤廃せよ 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第26回

2015-09-02 09:56:23 | Weblog


西暦2015年葉月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.212


ふたつ文字牛の角文字すぐな文字ゆがみ文字とぞ君は覚ゆる 後嵯峨天皇第二皇女、悦子内親王 こいしく

この愚かな「国賊」めらが。靖国の神様ですら、「違憲違憲、もう戦争法案なんかドブに捨てけれ」というておるぞ。

我が国の平和と安全よりも、我が身の平和と安全のほうがずっとずっと大切だ。我われが歴史から学んだ通り、国は今までも、今も、そしてこれからも、我われの生命も、安全も、平和も守ってはくれないだろう。

かよわきこの身を守るためには、戦争のセの字ときな臭いにおいから出来るだけ我が身を遠ざけることだ。たとえ国賊と罵られようが「三十六計逃げるに如かず」という諺どおりに振舞うことだ。

国家の本質は支配者の欲望の無限増殖運動であり、それは民草の平和と安全と幸福の追求とは相容れない。

「腐っても安保柿」とか「国益熟柿」などと喚き散らして民草を恫喝しようとするリヴァイアサンを、民草は憲法の鎖で縛りつけておかなければならなかったのだが。8/3

いつの間にかこの国は右翼メディアだらけ。読売日テレフジ産経新潮文春小学館NHK等々。

「「非核三原則」について、広島では言い落としたが、長崎では言及します。この2つはワンセットなので」、とあの猪八戒のように面妖な男は言い放ったが、「セット」って何だ?。8/8

広島でわざと「非核三原則」に言及しなかったら、案の定非難されたので、あわてて「長崎では入れます」という猪八戒。その憲法を愚弄し、民草を舐め切った下劣で腐りきったど根性は祖父譲りのものなるや。8/9

天気予報はときどき外れるが、外れて「ごめんなさい」と謝るのを聞いたことがない。

軍事的緊張が安保の雲古で戦争したくなるのか。そんなに尖閣だの竹島だの南東の海が欲しければ、どんどん呉れてやればいいんじゃない。それで戦争の種が無くなるのなら、日本列島まるごと全部贈呈するさ。8/11

戦争法案の評判が悪いので日一日と内閣の支持率がジリ貧になっていく。なんとかしようと新国立競技場でヨイショしたり、沖縄に官房長官を派遣していまさらの普天間基地談合を演出しているようだが、所詮は無駄な悪あがき。民草は安倍蚤糞の欺瞞を見破った。8/12

あたしはねこの国がマッチョになるくらいなら、その正反対のマゾッ子倶楽部になってつおいアメリカだけじゃなくて、もっとつおい中国とか南北朝鮮とか熊のようにつおい露西亜なんかに対してもどんどん自虐的になって自ら体を開いてレイプされ、その代わりに未来永劫の奴隷の平和を享受すればいいと思うのョ。8/13

けっきょっくおいら的には、もう1回70年前に針を戻して、日米安保をチャラにし、憲法第9条を選び直すしかないんだろうな。そうすれば絶対平和主義に基づく永世中立国への道が開けてくる。8/14

「安倍蚤糞談話」の白々さは、頭のいい外人コピーライターが書いた外国向けの原文を、小賢しい日本人ライターが官邸と談合しながら直訳的邦文に翻訳したから。誰の(安倍自身の心にすら!)届かない、真夏の夜のけたくそ悪い4000字のつぶやきずら。8/15

この自称右翼の国家主義者は、どういう風の吹きまわしか、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない」なぞと普段とは違うよそ向きの殊勝な顔つきで言うのだが、だったら即刻集団自衛権を放棄して、悪名高い戦争法案を白紙撤回するべきではないだろうか。8/15

我われが、アジアの友人たちを圧殺しようとした過去の歴史に世代を越えてしっかり向きあうためには、未来永劫にわたってその歴史的事実を心に刻み続け、被害者の子孫に対してもそのような教育を行い、末永く謝罪を続けていく宿命を負わせなければならない。8/15

安倍は、日本が外国を侵略し、植民地支配を行なって多大な犠牲と惨禍をもたらしたことを自覚していないから、一言も自分の言葉で痛切なおわびをしようとしないのだが、新たな侵略のスローガンである「積極的平和主義=積極的戦争主義」の旗だけは自分の手で掲げている。8/15

支持率低落にあえぐ政権が、人気回復を狙って投じた「知能犯的70年談話」と「沖縄普天間談合ごっこ」の2つの疑餌。大衆はぱっくり飛び付くほど愚かではないだろうに。8/19

BS1スペシャル「戦火のマエストロ・近衛秀麿~ユダヤ人の命を救った音楽家」は、素晴らしいドキュメンタリーだった。ナチス治下のベルリンにあって、この異母兄文麿に似ぬ豪胆な指揮者は、少なくとも10のユダヤ人家族の国外脱出に命懸けで協力していた。あのシンドラーや杉原千畝のように。8/20

ベルリンフィルの2015/2016(今月28日から来年6月17日まで)の定期公演日程が決まった。はじめとおわりはもちろん現在のシェフのサイモン・ラトルが指揮するが、この間2018年からの次期シェフに任命されたキリル・ペトレンコが一度も登場しないのは不可解だ。8/21

どういう訳か盲腸の辺りがシクシク痛んで寝ていられなくなったので、仕方なく中上健次のどろどろの小説を朝まで読んでいた。今日は息子のお供で海水浴に行くことになるだろう。8/22

BSプレミアムの「アナザーストーリーズ運命の分岐点」に案内娘として頻繁に出入りする真木よう子選手ののっぺらぼうが目障りでしようがない。どうすれば消えてくれるのだろうか。8/23

いっさいの仕事を辞めて自宅に引きこもるようになると益々出不精になり、商店街で買い物をするすらことも面倒臭くなった。時々人から東京に出てこないかと誘われるのだが、なぜか精神的に負担を感じるようになり、活字やデジタル画面に黙然と目を晒す日々が続く。8/24

ココ・シャネルは「翼を持って生まれなかった者は、なんとしても翼が生えるように努めなさい」と言うたそうだが、いかにもこの人らしい箴言だなあ。でもこの暑い盛りにはあんまり聞きたくない言葉であるよ。8/23

資生堂の「♪トラベルセットが当たる」や「ナチュラルグロウ」のCM音楽は良かったな。もう昔のことだけど。8/23

きみきみ、なんで「審議が熟したら採決に入りたい。民主主義は多数決ですから」なぞとペラペラ喋ってる醜悪な猪八戒を、我が国の宰相なんかに祭り上げたんだね。8/26

井の中の蛙どもが「おラッチのほうが偉もんさんだあ」というて東西でいがみあっているようだが、そもそも「維新」などという名辞にトキメク心性じたいが、完全な時代遅れの精神の持ち主であることを物語っている。8/27

戦争で犬死させられた無数の怨霊が、70年目の私たちの所業を、空と海からじっと見つめている。8/28

亡くなったばかりのクラウディオ・アバドが、もはや解散してしまったという幻のモーツアルト管弦楽団を指揮したK550のト短調交響曲を聴いていると、しみじみと人の世の儚さが思われる。8/29

蝉は太陽が顔を出し、ある程度気温が上がらないと活動できないのだが、しとしと雨が降る今朝も懸命に鳴いて、いや泣いている。残されたわずかな時間に生物的限界を超えて激しく燃焼する生命の炎。8/30

国会を取り囲んだ12万人をはじめ、全国の数多くのデモンストレーターの反戦争法案、安倍政権打倒の意志表示は、近く必ずや実を結ぶであろう。8/31


 大便検査せんものと焦っているのだが捉え損ねて沈んでる立派なウンチ 蝶人
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なにゆえに第18回~西暦2015年葉月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-09-01 11:44:44 | Weblog


ある晴れた日に 第332回


なにゆえにアメリカの敵まで敵にする集団自衛権は戦争の素

なにゆえに図書館は発作的に休むミンミンゼミが痙攣的に鳴くので 

なにゆえに今年の夏はかくまで暑いおてんとうさまが戦争法案に怒ってる

なにゆえに中国朝鮮を死ぬほど懼れる友人知人が一人もいないから

なにゆえに中国朝鮮を死ぬほど懼れる同じ祖先を忘れているから

なにゆえにミンミンゼミが真夜中に鳴くアベシンゾウ阿保莫迦自公を怨んでいるから

なにゆえに障がい者の個性を尊重しない世間の規則を盾に取って

なにゆえにコンビニに毎日新聞がない超右翼紙の産経はあるのに

なにゆえに歌って踊って商品名テレビCMはつまらんつまらん

なにゆえに無駄な審議を続けるか即チャラにせよ違憲戦争法案

なにゆえに「見上げてごらん」と下手な歌手が歌う坂本九には敵わないのに

なにゆえにこの糞暑いのに草を刈る秋風吹いてからにしなさい

なにゆえに黙祷してからすべてを忘れるほんとはそのあとが大切なのに

なにゆえに毎度お馴染みの歳時記になる広島長崎福島原発

なにゆえに「謝罪を続けていく宿命」を厭うのか祖父の過ちには孫が向きあえ

なにゆえに波もないのに黄色い旗を立てているジョーズが襲ってくるかもしれないから

なにゆえにまたしても海に行こうと君はいう今日で夏休みが終るから

なにゆえに安倍談話なぞにちょろかまされるのか関川夏央あんたに言うとる

なにゆえに障がい児を持つ親は死にきれぬ親なきあとの守り手がない

なにゆえに君子危うきに近寄るこの国を永世中立の首都にせよ

なにゆえに阿呆莫迦巨人に3タテ喰らう和田阪神はインポテ集団

なにゆえにGDPがマイナスになる安倍蚤糞で個人消費が減退したから

なにゆえにじゃんじゃかじゃんじゃやか台風が来る悪党共を叩きだすため

なにゆえに朝から胃腸がムカムカするのだ新聞歌壇に落選したから

なにゆえに内閣支持率がまた上がるまったくあんたらばっかじゃなかろか

なにゆえに審議が熟したらなどと口走るジュクジュクなのはお前の頭

なにゆえに同じ曲なのにこんなに違う同じピアノの同じ楽譜で

なにゆえに暑さ寒さがぶり返す諸行無常を体で知らせる

なにゆえにエンブレムや建築費がなんたらかんたら五輪なんか即やめっちまえ

なにゆえに大阪のトリックスターは嘘をつく人も世間も舐め切っているから

なにゆえに国会包囲デモを伝えないNHKは権力の狗


 グルグルと上下左右に回ってる古稀の男の胃検診サーカス 蝶人
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