あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

池澤夏樹編・河出書房日本文学全集「近現代作家集Ⅰ」を読んで

2017-04-15 12:36:41 | Weblog


照る日曇る日第961回


本書に収録されたのは、久生十蘭「無月物語」、神西清「雪の宿り」、芥川龍之介「お富の貞操」、泉鏡花「陽炎座」、永井荷風「松葉巴」、宮本百合子「風に乗って来るコロボックル」、金子光晴「どくろ杯(抄)」、佐藤春夫「女誡扇綺譚」、横光利一「機械」、高村薫「晴子情歌(抄)」、掘田善衛「若き日の詩人たちの肖像(抄)」、岡本かの子「鮨」の12編です。

明治以降昭和初期までの文学作品を「もっぱらモダニズムの尺度から」セレクトした「傑作、名作」と編者は自負していますが、じつに読み応えのあるラインンアップですね。

スタンダールの「チェンチ一族」を換骨奪胎したという「無月物語」、切れ味抜群の「お富の貞操」、哀切極まりない哥沢節が身に沁みる「松葉巴」、青春の流転の歯車が軋る「どくろ杯」、鰊漁の労働現場のリアルを徹底的に抉った「晴子情歌」もさることながら、神西清「雪の宿り」の教養ある彫琢の名文、掘田善衛「若き日の詩人たちの肖像」の歴史の中の個我を適切にレイアウトした広角構想力が素晴らしい。

これは本シリーズ終盤の思いがけない実りある落ち穂拾いとなりました。


   85歳にて松本俊夫氏身罷る共に作りしCM懐かし 蝶人

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3つのガールズ物をみて

2017-04-14 12:39:52 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1147、1148、1149


○ジョナサン・カプラン監督の「バッド・ガールズ」をみて

1994年製作のガン・ウーマン西部劇。そのドリュー・バリモアに加えてアンディ・マクダウェルも出ている4人組の元売笑婦のけなげな自立物語ずら。


○ビル・コンドン監督の「ドリームガールズ」をみて

シュープリームスの3人娘をモデルにしたちょとしたミュージカル仕立ての伝記+フィクション映画ずら。ビヨンセ演じる美貌のダイアナ・ロスを、映画の最後で悪役でブスのフローレンス・バラードを演じるジェニファー・ハドソンの絶唱が、完膚なきまでに圧倒する。しかし不幸なことにバラードは夭折してしまった。
エデイ・マフィーも好演している。

○ドリュー・バリモア監督の「ローラーガールズ・ダイアリー」をみて

女優ドリュー・バリモアの長編映画監督デビュー作。ローラーゲームに夢中になった17歳の少女の生態をいきいきと描いているが、主題歌のように彼女が28歳になったらどうするんだろうとちょっと心配になる。


   我われを埒外におきファシストは治安維持法を制定せんとす 蝶人

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自由律詩歌その20

2017-04-13 14:05:40 | Weblog


ある晴れた日に 第446回


かあかあかあ

かいかいかい

かうかうかう
かえかえかえ
かおかおかお
かかかかかかか
かきかきかき
かくかくかく
かけかけかけ
かこかこかこ
かさかさかさ
かしかしかし
かすかすかす
かせかせかせ
かそかそかそ

かたかたかた
かちかちかち
かつかつかつ
かてかてかて
かとかとかと
かなかなかな
かにかにかに

かぬかぬかぬ

かねかねかね


  コンビニのレジ待つ間に得た短歌出た瞬間にすべて忘れる 蝶人
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自由律詩歌その17

2017-04-12 11:58:40 | Weblog


ある晴れた日に 第443回


うみうみうみ

うむうむうむ

うめうめうめ

うもうもうも

うやうやうや

うらうらうら

うりうりうり

うわうわうわ

えあえあえあ

えいえいえい

ええええええ

えおえおえお

えかえかえか

えくえくえく

えこえこえこ

えっさえっさえっさ

えしえしえし

えすえすえす

えせえせえせ

えそえそえそ

えたえたえた

えちえちえち

えつえつえつ

えてえてえて

えとえとえと

えなえなえな

えにえにえに

えぬえぬえぬ

えのえのえの

えひえひえひ

えふえふえふ

えへえへえへ

えほえほえほ

えまえまえま

えみえみえみ

えむえむえむ

えめえめえめ

えもえもえも

えやえやえや

えらえらえら

えりえりえり

えるえるえる

えれえれえれ

えろえろえろ

えわえわえわ


 ある時は浅見東州またある時は戸渡阿見半田晴久は謎多き人物 蝶人

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由良川狂詩曲~連載第10回

2017-04-10 10:51:19 | Weblog


第3章 ウナギストQの冒険~旅路の果て
                     

そうやって波のまにまにアップアップしていると、いつの間にか犬吠崎の灯台が近付いてきたの。ケンちゃんも知っていると思うけど、坂東太郎の利根川は、この犬吠崎の手前、銚子で鹿島灘に流れ込んでる。

僕は波にもまれもまれている間に、前にもニシン、後にもニシンの大群にとりかこまれたて、どんどん海の浅いところへ、浅いところへとまるでオミコシでかつがれたように近付いてきて、気がついたら突然利根川の河口に入りこんでた。

本当はもっと南に下がって相模川から内陸部へ侵入する予定だったんだけど、もう全身くたくたに疲れ切ってるし、ひょっとしたらこれが相模川かもしれないし、ええい、ままよ、思い切ってさかのぼってみよう。、あとはなんとかなるだろう、と思って全力を振り絞って上流をめざしたってわけ。

うわお!なんという汚さ、なんとにごりににごったヘドの出るような水なんだ!
僕は長かった海水生活に慣れ親しんだ塩漬けの体が、一挙に淡水に触れたために全身を襲ってきた猛烈なめまいと悪寒と吐き気に必死に耐えながら、怒涛のように押し寄せてくる大河の壁を1センチまた1センチと押し返しながら、上流へ上流へとさかのぼっていったよ。

悪戦苦闘6時間、それでも水は少しづつきれいになってきたし、僕の体もようやく淡水に慣れてきたみたい。途中、悪臭ふんぷんで息もつけない霞ヶ浦に迷い込んで、酸欠で窒息しそうになったりみしたけれど、気を取り直して利根川の本流に戻り、埼玉県の南河原のあたりで南に流れ下がる武蔵水路にうまく乗り換えて荒川に移り、支流から支流を辿ってそこからなんとか多摩川へ移って、多摩川からさらに相模川へ移動できないか、と頑張ってみたんだけど、世の中そんなに甘くないや、結局元のもくあみ、ムチャクチャに汚い荒川に放水路にドドッと放り出されて着いたところが東京湾だった。

ハゼとボラとコノシロに聞いた話だけど、東京湾は年々ますます住みにくくなってるんだって。発ガン性や催奇性がきわめて高い有害化学物質のダイオキシン、そのダイオキシンの中でももっとも毒性の強い「2・3・7・8―TCDD」に汚染された魚がウヨウヨ泳いでいるってことを、ぜひ東京都のみなさんに伝えてほしい、ってメッセージを託されたんだけど、僕だって故郷由良川の仲間たちのことを思って気が気じゃなかった。

ダイオキシンによって0.0014pptの濃度で限りなく汚染された東京湾の海水をできるだけ口に入れないように、エラの奥深くためにためこんだ空気を大切に使いながら、4月27日の真夜中に、ベイブリッジを右手に見みながら浦賀水道を通り過ぎ、三浦半島をぐるっと回りこんで、ようやく潮のみれいな相模灘に出たときは、ほっとしたよ。

真夏を思わせる青空の下を、真面目な入道雲がムクムクと湧き起こるのを呆然と眺め、ああ、いずれ僕たちウナギも由良川の魚も遅かれ早かれ死んでしまうんだな、でも、有機物より無機物の方が寿命で長いのはなぜなんだろう、なんてアホなことをぼんやり考えながら、いつものようにお腹を天日で乾かしていたら、マンボウとヤリマンボウが仲良く波の上で昼寝しながら流れていくのに出会っちゃった。

あ、そうそう、ハナオコゼとイザリウオが大喧嘩して、ハリセンボンがあわてて止めに入っているのも面白かったったし、いちばん素敵なのは、なんといってもリュウグウノツカイとしばらく一緒に泳いだことかな……

苦しいことがあまり多すぎて、たまに楽しいことがあっても、すぐに忘れちゃう。
ケンちゃん、幸福はいつも急いで君の傍を通り過ぎるから、手をのばしてしっかりつかまえないと、一生そいつをとりのがしてしまうかもしれないよ。
エヘン、どう、ウナギストって哲学者でしょ。長い旅をしてるとついついいろんな物思いにふけってしまうのさ……

おっといけねえ、そうこうしてるうちに茅ヶ崎だ。
「サザンの桑田君が砂浜で勝手にシンドバッドしてるのが目印だ」とお父さんが教えてくれた、その茅ヶ崎と大磯の間を貫流している相模川に必死でとりついて、またもや逆行に次ぐ逆行、ようやく寒川町にある取水堰に辿りつき、直径2メートルもある太い真っ暗な水道管の中をうねうねうね15キロもうねったんだ。

よおし、これで最後の旅だと気力を振り絞ってようやく浄水場にもぐりこめたと思ったら、大量の塩素をどっさりあびて消毒されて、ほとんど死にかけたんだけど、ナニクソと頑張りぬいて浄水場の裏口からこっそり忍びこんで、送水ポンプと揚水ポンプをつづけざまにさかさまに、ウナギのぼって、ウナギ下り、送水管をつうじて排水池に入って一日中ゆっくり休んだあとは、鎌倉中の真っ暗な給水管の中をあっちこっち匍匐前進しながら、本日ただいまやっとのことでケンちゃんちの水道まで辿りついたってわけ。
ああくたびれた、くたびれた!

ウナギのQちゃんは、いっきに語り終えると、どっと長旅の疲れが出たようで、水盤の中でぐったりと横になりました。

その間にケンちゃんは、2階の勉強部屋から理科や社会の教科書や地図を持ちだして、Qちゃんの大冒険のあとを辿り、これはもしかして人間でいえばマルコ・ポーロやバスコ・ダ・ガマよりすごい大旅行じゃないだろうか。か細い一匹のウナギストにできることが立派な一人前の少年に出来ないわけはない。
よおし、命懸けの大ツアーを敢行したQちゃんに負けてたまるか。由良川の魚たちを救うために、ボギー、俺も男だ。ムク、お前は僕の愛犬だ。何でもしてやるよ! 何でもやってやるよ!と、固く固く心に誓ったのでした。

                              つづく

いかにもご大層に「リンギにかけよう、リンギにかけよう」と言うのだった 蝶人


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由良川狂詩曲~連載第9回

2017-04-09 09:52:47 | Weblog


第3章 ウナギストQの冒険~戦う深海魚たち
                     

ああケンちゃん、僕はもうこれですべてジ・エンドだ。
由良川のウナギストたちには申し訳ないけど、僕は、性格が悪くて腹ペコちゃんりんゆであずきの深海魚たちの手にかかって、よってたかってオルフェオのようにやつざきにされて短い一生を終えるんだ。

ああ、魚たちが僕に襲いかかって来た。
急いで急いで辞世の歌をうたわなくっちゃ。
ああ、早くしなくちゃ。
えいくそッ、この非常事態に、いっとう大切な時に何の文句も出てこないとは!
と嘆きつつも、僕は歌ったんだ。

 ゆうべえびすで呼ばれて来たのは
 鯛の吸い物ございの吸い物 
 一杯おすすで
 スースースー
 二杯おすすで
 スースースー、
 三杯めにさかながないとて
 出雲の殿様お腹をたてて
 ハテナ ハテナ
 ハテ ハテ ハテナ……

するとその時、殺到するタラたちの前に、チョウチンアンコウが、夜目にも美しく輝くあのチョウトンを高々と掲げて、立ちふさがったの。
そして大声で叫んだんだよ。

「待て、このチビウナギをお前たちに独り占めさせておく俺さまだと思ったら、大間違いだぞ。こいつを喰いたきゃ、その前に俺さまを斃してからにしろ!」と。

そこへ、フジクジラとカラスザメも大勢の仲間と一緒に駆けつけ、アバンコウ、ワヌケフウリュウウオ、トリカジカ、それに例の悪漢3人組が入り乱れて、光と闇、蛍火と燐光、正義と邪悪、弱肉と強食、天使と悪魔、髑髏と般若、有鱗と無鱗、花と蝶とが丁々発止の大決戦!

深海魚同士の同志討ち、さらには共喰い騒ぎまでおッぱじまったのをいいことに、雲を霞み、夜を曙、波を帆かけの夜討ち朝駆け、艦長ネモの操縦するノーチラス号を遥かに凌ぐ最大巡航速度25ノットで、深度800メートルから、たちまち500メートル、300メートルまで、ぼく、一気に浮上したの。

そしてヒョーキン者のスナイトマキやキタホンブンブク、チャマガモドキ、クモリソデ、ウチダニチリンヒトデ、トゲヒゲガニ、エゾアイナメにアヤボラ君たちが元気に泳ぐ姿を見たときには、「やれやれこれで助かった」と思わずひと安心したんだ。

ここでケンちゃんは、
「田舎のおっさん
 あぜ道通って
 蛙をふんで
 ギュ
 Qちゃん、九死に一生だったんだね」
と、かるーく一発ジョークをかましたのですが、
Qちゃんは全然耳に入らないようで、夢中で話を続けます。

ねえケンちゃん、聞いて、聞いて。
ボク「もう怖いことは、こんりんざいごめんだ、ごめんだ」と泣き叫びながらも、さらにエンジンを全開して、水深わずか50メートルのところを、猛スピードで泳いでいたら、時計回りにぐるぐる回るあたたかな黒潮と、反時計回りでぐるぐる回るつめたい親潮とが入り混じっているところに出くわして、上を下へのぐるぐる巻きに状態になってしまったの。

アジ、サバ、スルメイカ、サンマ、ブリ、カツオ、キハダ、カジキマグロの大群が、おいしいプランクトンを求めて踊り狂う大海原。
ようやっとの思いで水面すれすれ、青空と青い潮のいりまじる境界線にぽっかり顔を突き出したところは、ちょうど鹿島灘の沖合およそ1.5キロの地点でした。


  「君が代」も天皇陛下もなくっても僕らはちゃんとやっていけるさ 蝶人
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由良川狂詩曲~連載第8回

2017-04-08 09:19:54 | Weblog


第3章 ウナギストQの冒険~日本列島ひと巡り
                     


ウナギのQちゃんの長話は、まだまだ続きます。

「ちょっと大変だったのは丹後由良の海岸かな。あそこは昔から波が荒くて、海水浴のお客さんも、どっちかいうと波の静かな若狭湾の高浜か和田のほうまで足を伸ばしていたくらいだから……。
でも最近高浜には原発が出来てしまったから、僕らも敬遠して、近寄らないようにしてるんだ。真冬でも暖かいお湯が流れ出ているから、そこに集まる馬鹿な魚たちもいるんだけどね。

由良川の河口が若狭湾、日本海にそそぐところは波がきつくて、塩もからいし、けっこう苦労したけど、いたっん沖に出てしまえばもうこっちのもの。
日本海ってさ、けっきょく対馬、津軽、宗谷、間宮の4つの海峡に取り囲まれた大きな湖みたいなもんなんだ。対馬海流のおかげで冬でもわりと温かいしね。
遠く東シナ海から時速0.04ノットで北上する対馬海流に乗って、能登半島、舳倉島そして佐渡海峡を過ぎたあたりで、ここらへんでよくある嵐がやって来たんで、思い切って水深300メートルくらいまで潜ったんだけど、それでも水温は零度、塩分は34%くらい。オホーツク海や北太平洋や東シナ海とくらべると、この日本海は水に溶け込んでいる酸素の分量がとても多いから、僕たちのとってはとても泳ぎやすいんだ。
アカガレイやヒレグロたちが楽しそうに泳いでいたよ」

 話がとつぜん実践的かつ専門的になったので、ケンちゃんは尊敬のおももちで、Qちゃんを見つめています。

「お父さんにあらかじめ教えられていたんで、男鹿半島を過ぎたあたりでは、うっかりして北海道のほうまで流されないように注意してたんだ。
なぜって対馬海流は、ここで2つにわかれてしまうから。もし僕が白神岬と龍飛岬の間で右折して津軽海峡に入らなければ、もう二度と由良川には戻ってこれないぞ、って厳重に警告されてたからね。

津軽海峡の春景色を眺めながら、下北半島の尻屋崎と亀田半島の恵山崎の間を、僕の巡航速度0.75ノットで通りぬけ、やれやれ、これでようやく無事に太平洋に出られたか、と思ったら、猛烈な勢いで体温が下がって来て、今までとは逆に南へ南へと流されていく。

その原因は、千島列島からやってくる冷たい親潮のせいなんだ。4月とはいっても、まだ北国の春は氷のように冷たいし、僕は南の海生まれだから、もう死ぬかと思ったけれど、みんなの代表として派遣されてきているわけだから、こんなことで文句を言っては罰が当たる、と思いながら、まわりのプランクトンを口当たり次第にパクパク呑みこみながら、朝から晩まで太平洋を南に流されてた。

ところが数日たったところで、突然全身が3メートルはあろうかというキハダマグロ、そしてカツオの大群が何千、何万匹の大集団で僕めがけて高速戦闘機のように襲いかかってきたんだ。

まるでバーチャルリアリティの世界。水も温かいところと冷たいところが交互に入り混じって、気持ち悪いったらありゃしない。
あ、そうだ。この辺が親潮と黒潮、寒流と暖流が激突するので有名な鹿島灘の沖合かなと思ったけど、プランクトンを求めて黒潮の南部水域からまっしぐらに北の海めがけてやってくる索餌北上群の威力のすさまじさがあまりにも物凄くて、僕はあっというまにきりもみ状態。
滝壺に落下した1匹のメダカみたいに激しい水流にぐるぐると巻きこまれてしまってアップアップ。ウナギの癖に水におぼれちゃった。

意識を失ってからどれくらい時間が経ったんだろう。そこは真っ暗のクラ。物音一つしない不気味な暗黒の世界。

ほとんどソヨとも水の流れが感じられない水深千メートル、いやもっと深いかもしれない。砂地のうえで30分くらいじっと横たわっていたら、だんだんまわりがぼんやり見えるようになってきた。
すぐ近くを、のそのそ歩いているトゲズワイガニを見付けたときは、うれしかったよ。それとかミドリモミジボウなんかも、僕のそばでボケーっとしてた。

じょじょに体力も回復してきたし、そろそろ上にのぼってやろうかな、と屈伸運動を行い、日課の腕立て伏せ20回、腹式呼吸20回、それにNHKの第2ラジオ体操を自分で歌いながら自分でやり終わって、ゆっくり真昼の暗黒界を見渡したとたん、僕は思わず腰を抜かしてしまいましたよ、ケンちゃん」

「ど、どうしたの、Qちゃん」

「つまりですね、僕のまわりに、いつのまにやら銀色にキラキラ輝く光源体が、あっちからも、こっちからもETのようにむらがって、初夏の宵の蛍火のように、こっちへ来い、こっちへ来い、って僕を呼ぶんです。

考えてみると深海ってほとんど人の出入りはもちろん、魚の出入りもないもんだから、僕みたいな変なストレンジャーがやってくると、みんな人恋しい、いや魚恋しい魚ばっかりなもんだから、もう珍しがっちゃって、何キロも離れた遠方から、手土産を持ってワレモワレモと押しかけてくるんですね。

まず第7騎兵隊のカスター中佐のように、光り輝く連隊旗を掲げたチョウチンアンコウが、全身真っ黒なオキアンコウと闇の中で鉢合わせ、
「おうおう久しぶり、久しぶり、この前会ったのは、たしか大西洋のはずれのどっかだったなあ、お前、元気?奥さんも元気?」
などと、やたら懐かしがったりしています。

いっぽうこちらで鉢合わせしたのは、全身を美しくライトアップしたフジクジラとカラスザメ。サメ肌をくっつけあって、大きなめんたまをうるませながら、「こんなところで会えるとは!」と涙をポロポロ流してよろこんでる。

そこへやって来たのは、サメ肌コンビよりもっともっと大きな目玉をウノメタカノメ、ウオノメもギョロギョロさせながら、僕に急接近してきた全身棘だらけ、完全武装のトリカジカとワヌケフウリュウウオのふたり。こわいよお!

おっと、そこへまたしても海底リングに乱入してきたのは、やたらめったら怒り狂っているソコクロダラ、カナガタラ、イトヒキダラの極悪3タラトリオ。
これでもう1週間以上口に何も入れていなくって腹ペコのペコ。
「こうなったら目にするもの口に入るものなら、石でも悪魔でもなんでも食ってやるぞ!」と物凄い鼻息をブツブツ辺り一面に吐き散らしながら、こんな歌を唄うのでした。

おちよ、おちよ、
だんだら餅 おちよ
金と銀とにわかれて
わがものよ

                                つづく


   黒はクロ白はシロと言わぬ記事読みつつ頭は灰色になる 蝶人
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神奈川近代文学館で「正岡子規展」をみて

2017-04-07 09:22:52 | Weblog


蝶人物見遊山記 第237回

子規の生誕150年を記念し、病床6尺の宇宙と副題され、俳人の長谷川櫂氏によって編集された展覧会を見物してきました。子規が死病を患って病床に伏してからの渾身の凝縮沈潜の数年間がなければ俳諧、短歌、日本語口語の革新はなかったわけですが、子規と家族にとっての願いとはそんな大業や功績などなくても構わないから、あと数年、できれば1年有半の寿命を天から賜ることだったに違いありません。

でも五体満足で長寿をまっとうしていたら、彼自身が語っているようにおそらく文藝などは擲って政治活動に挺身していたでしょうから、わが文芸史にとって彼の大病はある意味では不幸中のさいわいであったことも事実です。

会場には原寸大の子規の旅姿が展示してありましたが、身長わずか164センチという小兵でした。今から130年前の1888(明治21)年、子規は荒天を冒して金沢八景から朝夷奈峠を越え、我が家のすぐ傍を通って頼朝公の墓から大塔宮へ急ぐ途中で生涯で最初の喀血をみていますが、こういう突貫小僧的な無茶な行動が死病の顕在化を促進したということもあったのではないでしょうか。

時の流れを130年巻き戻すことができたら、「おいおい子規君、そんなに急いで何処へ行く。今夜は我が家に泊まって行き給え」と声をかけることも出来たのではないかと、ついつい思ってしまいました。

さきの「夏目漱石展」と同様あれやこれやの作品、資料を一堂に集めた本展はじつに見ごたえがありますが、今回私が改めて注目したのは彼が34年の生涯の大半を通じて孜々として倦まずに作成した「分類俳句大観」で、講談社版の子規全集にも収められたこの本邦俳諧作品のエンサイクロペディアこそは今日の俳句の基礎をなした前人未到の文化遺産といえませう。
会場の外は春爛漫。いつ訪れてもここは素敵な丘です。なお本展は来る5月21日まで楽しく開催中。
    金持ちか貧乏人がすぐ分かる露骨な国になってきました 蝶人

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夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んで

2017-04-06 17:33:40 | Weblog


照る日曇る日第960回


「日月を切り落とし、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を売る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
ありがたいありがたい。」

ということで朝日新聞連載の「猫」がようやく終わった。

この末尾の文章を朗読すればよく分かるようにまるで講談のように歯切れが良い。講談の合間には熊さん八っつあん、ご隠居が出てくる代わりに主人の苦沙弥や客人の迷亭、寒月、独仙、東風などが続々登場して落語をやる。落語が昂じると時に漫才となり、漫才が煮詰まると突如分かったような分からんような警句や漢語が挿入されて読者をけむに巻く。

要するに書くのが楽しくて面白くて仕方がない漱石の悪戯書きが「猫」であり、それ以上でもなければそれ以下でもない。

上機嫌で「猫」を書きあげた漱石は、主人公の猫を若者に替えて「坊っちゃん」を書き、本格的なプロを目指す。

本格的なプロを目指した漱石は、戯作を取り下げ、深刻深遠なる人世探索の主題や思想を論じようとするのだが、その苦心の作が面白いとは限らないし、小説として上等であるとも限らない。

ともあれ水甕に愛猫を葬ると同時に漱石は、書くこと自体が快楽であるという唯一無二の魔術的時間から見放され、後半生を通じて重き荷を坂上に運び上げるシジフォスの苦しみに苛まれる身となったのである。


  何度見ても嫁を出した父親は哀しい秋刀魚が出てこない小津の遺作 蝶人

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四方洋著「宥座の器」を読んで

2017-04-05 10:39:05 | Weblog


照る日曇る日第959回


わが郷土の綾部は丹波の田舎ですが、その鄙にも稀な存在が大本教と郡是です。

先に早瀬圭一の「大本襲撃」を読んだ私は今度はユニークなファッションメーカーのグンゼ(旧郡是)について、綾部出身のジャーナリストで元サンデー毎日編集長によるグンゼ創業者波多野鶴吉翁の伝記を手に取ってみました。

若き学徒の日の卒論がなんと郡是についての考察であり、大本とグンゼの双方に地縁血縁の関係を有する四方氏こそは鶴吉翁と郡是を語るにうってつけの人物といえませう。

それにしても明治以来本邦で設立された私企業の本質が、資本家に拠る私利私欲の追求であり、労働者は常に経営者の搾取の対象としての地位に甘んじてきたのに、ひとり郡是のみがそうした階級差を感じさせない一種の労使協調友愛団体の趣を呈してきたいのでしょうか。

時は「ああ野麦峠」の女工哀史の時代まっただ中だというのに、女性労働者を「工女」と呼び習わし、その工女の多くは「郡是」の株主の資産家の娘であり、彼女自身は郡是を「花嫁修業の学校」だと思っていたというような夢のような会社が、明治、大正、昭和のこの国に実在し、それが平成の現在まで存続しているというのは、ちょっと信じられない思いです。

そして本書を読めば、その精神的支柱は、若冠38歳で郡是を創立した波多野鶴吉翁の博愛主義であり、その源泉は二宮尊徳の報徳主義と内村鑑三や同志社などから伝播された基督教精神が融合にあったと察しがつくのではないでしょうか。

それは社会学的にはM.ウエバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の日本版かもしれませんが、それではどうにも収まりが悪い。翁の人格、生き方そのものが私利私欲を排し、「公利」と労働者への福利追求を自然体で目指していたに違いありません。

若き日に波多野翁の感化を受け、熱心な基督者になった今は亡き私の祖父も、祈りと実業が絶妙に共存する翁の佇まいに強烈に惹かれたに違いありません。


   牛のごと長き舌にてわがまなこぞろりと舐めしは祖父の小太郎 蝶人

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高橋源一郎著「丘の上のバカ」を読んで

2017-04-04 11:10:12 | Weblog


照る日曇る日第958回


朝日新聞の論壇時評をメインに収録された前半よりも、若き日の著者の政治活動や女衒で食べていたころの衝撃的な体験を告白している後半部が圧倒的に面白い。

しかし安倍蚤糞などの極右の大人たちが教育の現場でやっきになって歴史の修正を押しつけようとしても、「生徒はなあにも真面目に聞いていないからダイジョウビ」と居直るのはいかがなものか。
もはやそういう知性や感性すら喪失した森友学園の児童のような純粋培養ファシスト予備軍が大量生産されるのではないだろうか。

それにしても本書で引用されている鶴見俊輔とその息子の会話は胸にずしんと迫ってくる。
岡真史の自殺に衝撃を受けた息子が「お父さん、自殺をしてもいいの?」と尋ねた時、俊輔は即答したという。

「してもいい。2つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなったら、その前に首をくくって死んだらいい」(原文は鶴見俊輔「教育再定義への試み」)

もうひとつ著者がギリシア由来の民主主義を考察する中で引用したソロンの言葉をメモしておこう。

「ソロンは国内にしばしば党争が起こるにもかかわらず市民の中には無関心から成り行きに委せるのを好む者のあるのを見て取り、かかる人々に対する独特の法を設け、国内に党争のあるとき両派のいずれかに与して武器を執ることのないものは市民たる名誉を喪失し、国政に与り得ぬこととした」(原文はアリストテレス「アテナイ人の国制」)


  トランプに喧嘩を売るとはたいしたもんだ「感動パンツ」の柳井正 蝶人

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すべての言葉は通り過ぎてゆく第45回

2017-04-03 13:05:00 | Weblog


西暦2017年弥生蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 250


米ツイッター社は、客観的な事実に裏づけられない歪んだ感情的な偽ニュースを発散し続けるドラルド・トランプを、なぜ除名しないのか。3/1

毎回の製作費が6500万とかいわれているNHKの大河ドラマ「直虎」の下らなさはとどまるところを知らない。女城主物語などという目先の興味だけで飛びつくからこういうざまになるのだ。早く中止して次の「西郷隆盛」を前倒しして欲しいものだ。3/2

都庁の独裁者として君臨し、税金をふんだんに使ってやりたい放題をやらかした男が、厚顔無恥にも「司司のみんなの責任」なぞとほざいている。そして、聞くべきことをろくに聞き出せない腰ぬけ記者ども!3/3

週に2日くらいしか登庁しないくせに、「自分と自分の一族ファースト!」で税金を浪費し、あまつさえ尖閣諸島の領有に血道をあげて、中国との友好関係を破綻させた「裕次郎の兄」。そんな男を都民は支持した。3/4

安倍蚤糞もその夫人も、自民も維新も、頑是ない幼児に教育勅語を暗唱させるような復古的で反憲法的な学園の教育方針に心から賛同し、陰に陽にその便宜を図っていたことが明らかになった。3/5

片山杜秀氏によれば、ヴァイオリンにヴィブラートをかけだしたのはクライスラー以降の比較的最近のことらしい。古楽はそういう装飾的奏法を払拭したが、それが果たして良かったのか否かは、軽々に断言できない。3/6

「ウィンドウズのセキュリティの重要な警告」というタイトルでエラー発生のお知らせが画面いっぱいに表示され、パソコンは動かない。フリーダイヤルでカスタマーサポートに電話しろと言うので、03でなんで無料なのか訝しく思いながら電話すると、怪しい中国
人?女性が出てきた。3/7

やたら「お客様、お客様」と呼びかける奇妙な日本語で、「これからあなたのパソコンに入って遠隔操作して直します」というのだが、どうも信用できないので電話を切ると、今度はその女から電話が掛かってくる。修理費をふんだくる悪質な詐欺らしい。要注意。これが対策法ずら。https://www.telnavi.jp/phone/0345888350

教育勅語の「核心」は上御一人への盲目的な隷従の強制と戦争協力にあるのに、それを無視して、あえて父母忠孝博愛などの徳目をフレームアップするのは、戦前の歴史と事の本質をわきまえない政治的僻目である。3/9

教育勅語に限らず満洲国や海外侵略について、総論としてはノーといいつつも、部分的にはイエスと肯定することによって、過去の歴史に対する評価が相対的、現状肯定的なものへと転化する危険。No,but主義の弊害。3/10

敵意が壊すものを愛情が治すのだ。(ジョージア国トビリシの結婚式で歌われていた歌の文句。NHK「世界ふれあい街歩き」より)

まもなくトランプは米国から、安倍蚤糞は日本から、ペルソナ・イン・グラータとして追放されるだろう。 朴槿恵が大統領職から追放されたように。3/12

森友学園から理事長を撤退させ、夫人をマスコミから撤退させ、共謀罪の強行突破を図るために南スーダンから自衛隊を撤退させる極右ファシスト宰相は、つくづく世のため人に為にならない存在であることよなあ。3/13

安倍蚤糞は、図星を指されると、その都度逆上するようだ。分かりやすすぎる奴。されど狡賢い悪い奴。3/14

稲田という似ても焼いても喰えない嘘つき女に比べたら、森友学園の前理事長の方がまだしも正直だな。3/15

TPOをわきまえない時代錯誤のぶりっこファッション。その異様な風体こそが、この稲田という女の精神錯乱的妄想を雄弁に物語っている。3/16

20日には阿呆莫迦慎太郎、23日にはお調子者の籠池選手の証言が続く。ウグイスも盛んに啼いている。もうすぐ桜も咲くだろう。お楽しみはこれからだ。3/17

テレビでダニエレ・ルスティオーニ指揮都響の「トスカ」、ラジオで山田和樹指揮日フィルの「カルメン」を(視)聴したが、同じ若手でも前者が断トツで優れていた。山田は小澤征爾と同様、オペラのセンスが皆無。管弦楽でもきっと詰らない指揮をするのだろう。3/18

NHKのテレビ番組の話だけど、大相撲の解説はなんといっても北の富士、舞の海に藤井アナのトリオが最高に面白いなあ。女性の藤井アナの「すっぴん」は4月からも続投だろうか?3/19

かつては熱狂的に支持していたくせに、ある日ある時、大衆は自分でも説明できない理由で彼らを見放す。げに恐ろしきは、政治家よりも大衆である。3/20

石原慎太郎を証人喚問に引っ張りだしたのはいいけれど、委員たちは通り一遍の質問を繰り返すだけで、二の矢は皆無。言いたい放題の慎太郎にまともに反撃、追及、糾弾できない百条委員会なんて、ナンセンスもいいとこだ。3/21

国民が凶悪凶暴な政治権力に対峙・対決し、時に暴力を用いてでも転覆させるのは当然の権利であり、権力への反対をその最初の段階で押しつぶそうとする「共謀罪」の成立を阻止するのは、自由と人権を擁護する全国民の義務である。3/22

かりに「おきな女」とか「いきな着物」とかいう文句を書こうとする。多くの作者はこの「いき」なる言葉に大概「粋」という漢字を当てはめて使うであろう。何ぞ知らんや「いき」という言葉の語源は「意気」に存するので「意気な女」と書くべきなのである。谷崎潤一郎「ノートブックから」3/23

「酷い」と書いて「ひどい」と読ませるのは、「非道い」の誤り、「困める」は「意地める」の誤りである。僕も「おかみさん」というのを「お女房さん」、「お神さん」などと書いたりしたが森鴎外先生が「お上さん」と書かれたのをみて訂正した。谷崎潤一郎「ノートブックから」3/24

「それは可けない」などと書いている作家がいるが「いける、いけない」の語源は「行ける、行けない」に起因していて英語のit goes などに用いるto goの使い方と同じなので「それは行けない」とすべきである。谷崎潤一郎「ノートブックから」3/25

「しきゐ」は「閾」という字を使ってもいいが、なるべく「鴨居」と書いてほしい。「はいる」は「這入る」、「やには」は「矢庭」と書くべし。たとえ固有の語源が失われている場合でも、その語源を尊重して、発音に該当する漢字をもちいるようにしたい。谷崎潤一郎「ノートブックから」3/26

末世の世に奇跡は起こるものだ。横綱が大関を二度も土俵に転がして連続優勝すると思っていたひとは、稀勢の里以外誰一人いなかったのではないだろうか。3/27

欲と金と嘘にまみれた極右と悪徳政治家と官僚どもが繰り広げる醜い争いに吐き気を覚えていた私は、稀勢の里大逆転の奇跡的映像を前にして、まだまだこの世も人も捨てたものではない、と教えられたような気がしました。3/27

夏目漱石の初期の作品の中には尾崎紅葉や泉鏡花、森鴎外の優れた作品と同様、藝術的感激が溢れていたが、残念ながら「明暗」にはそれがない。あっても甚だ希薄なものにすぎない。谷崎潤一郎「ノートブックから」3/28

君がすることをするためには、歩く必要がある。歩くことで言葉が君にもたらされ、頭の中で書いている言葉のリズムが聞こえてくる。書くことは体の中で始まる。それは体の音楽であり、言葉の音楽こそ意味が始まる場なのだ。ポール・オースター「冬の日誌」柴田元幸訳より3/29

プレミアム・フライデイ? なにそれ? なんでもかでもプレミアムをつければいいというもんじゃねえぞ。3/31


  教育勅語を学校で教える!?いつか来た道へ逆走するニッポン 蝶人

   
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なにゆえに第37回~西暦2017年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2017-04-02 09:26:44 | Weblog


ある晴れた日に 第442回



なにゆえに臨時福祉給付金一万五千円也を拝領す貧困所帯への首領様のお恵み

なにゆえに今年は黙っている去年はレジェンドなどともて囃された選手なのに

なにゆえに共謀罪を反テロ罪と名を変えるテロという字はひとつもないのに

なにゆえに専門の部下に任せていたなどと嘯くお山の大将われ一人だったくせに

なにゆえにこの期に及んで逃げまくる都税の浪費を弁償すべし

なにゆえに人並み以下の人物が日韓米露で人に指示する

なにゆえに善き人が不運に襲われる神よ仏よなんとかしなさい

なにゆえに日本海に4連発をぶちこむ国会で窮地の安倍蚤糞を救い出すため

なにゆえにミサイルごときにうろたえる彼らも我らを懼れているのだ

なにゆえにトランプは故なくオバマを口撃する所詮は下司の思い上がり

なにゆえに安倍昭恵をはぶりっこの振りをする極右の所業を棚上げせんとて

なにゆえに9.11も3.11も忘れてしまう時がおいらの脳をとろかす

なにゆえに人に優しくしてあげないうまれながらの自分本位

なにゆえに次々に災厄が襲いかかる降りかかる火粉は払わねばらぬ

なにゆえに1000人のお付きを連れてくる花のお江戸を見せてやりたい

なにゆえに教育勅語が教材になる反面教師ならともかくも

なにゆえにウグイスは囀るもうすぐ春だと教えるために

なにゆえに森友おじさんを国会に呼ぶ放置しておけば大変なことになる

なにゆえに突然3連休なの浦島太郎にはさっぱり分からん

なにゆえに安倍蚤糞は海外へ逃亡する爆弾男が証言するので

なにゆえに稀勢の里はどんどん勝ちすすむおのれのパターンが確立された

なにゆえにきちんと慎太郎を糾問しないおためごかしの質問ばっかり

なにゆえにNHKは森友喚問を中継しない選抜高校野球のほうが大事だってさ

なにゆえに自公は「共謀罪」法案に血道を上げる自分が何をしようとしているか分かっているのか

なにゆえに自民は安倍昭恵を喚問させないアキレス腱を刺されるから

なにゆえに稀勢の里は敗れて怪我をした日馬富士より遅れた立ち合い

なにゆえにバッハの無伴奏を放送しないオレク・カガンの代表作なのに

なにゆえに怪我をしても土俵をつとめるそれが横綱のつとめなるゆえ

なにゆえに日曜のお昼には「とんでん」へ行くそれが耕君のパターンなので

なにゆえに稀勢の里は優勝できた神も仏も味方したので

なにゆえに「とんでん」の天丼で下痢と吐き気かなり精神が追い詰められていたので

なにゆえにトランプの政策は次々挫ける天地の道理に反しているので

なにゆえに核禁止条約交渉に参加しないもうお前は核被爆国をひけらかすな

なにゆえに息子から連絡がないまだNYでぶらぶらしているのか


なにゆえに「べっぴんさん」は「銀座ファミリア」完成に触れなかった1976年に誕生しているのに 蝶人


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西暦2017年蝶人弥生花鳥風月狂歌三昧

2017-04-01 10:03:01 | Weblog


ある晴れた日に 第441回


世界中の最も裕福な8人が最下層36億人分の資産を持つという

相変わらず金切り声であおってる高田の通販をおらっちは買わない

3月も終わりに近づき朝ドラは連日回顧に夢中になってる

二つ勝ち必ず優勝してやると決意していた一人の男

籠池か首相の妻かわたくしは7割方は理事長を信じる

能舞台の仕舞舞所作を肴サカナに呑んでいた江戸の庶民の心根や良し

空港の至る所に据えられた隠しカメラが事件を明かす

最後まで歯磨きチューブを使いなさいうちは大変貧乏なんだからと息子に注意したり
 
教育勅語を暗記させる幼稚園に愛児を入れる親心とは

親会社は滅茶苦茶になったけどめげず頑張る我が家の東芝洗濯機

内田有紀鈴木蘭々スピード優香柴咲コウ松浦亜弥長澤まさみ竹内結子メイサ京香米倉涼子汐里麻友吉田羊エプソンのイメージキャラクターはじゃんじゃん変わる

不都合な事実は人になすりつけ自分勝手な屁理屈を言う

観念が顕現しようが引喩が流動しようがどうでもいいが村上春樹は直喩の作家 

あやまたず間違えず大向こうから声が飛ぶ中村がよろず屋尾上は音羽屋

バタバタバタバタバタバタ「ツケ打ち」はすぐにツンボになっちまうだろう

べらなりてふ言葉を一度使ってみたかったべらなりべらなりも一度べらなり

その老婆潜水艦が潜望鏡を上げるがごとく腰を伸ばせり

おかあちゃんはたった一人で逝きはったわいらあなんもしてやれんかった

投稿しても投稿しても採用されない私の歌には欠陥があるのか

ウォシュレットのノイズより噴出する温水が私のイボジを洗う快感

一瞬の沈黙にすら怯えつつアナウンサーは必死に喋る

生きること働くことと食べること愛し愛され死んでいくこと

赤信号で停まるたんびにエンジン止める京急バスの律儀を愛す

ピンポン!「こんにちは越中富山の薬売りです。1箱置かせてくださいな」とビジネスマン

トランプが大統領になったけど何も変らぬ我が家の暮らし

救急車で運ばれてゆく誰かの顔を近所の人は首伸ばして見る

横須賀のヴェルニー公園の大砲よ薔薇に囲まれ余生を送るか

2曲目の協奏曲の演奏が終ると必ずアンコールを要求する聴衆

今日もまた支持政党はどこですかとレプリカントが電話してくる


「済みません」とまずは頭を下げている障がい者の親は哀しきものかな 蝶人

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