こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

いじめとタバコと飲酒運転 2

2008年02月08日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
道路で歩きながらタバコを吸っている人がいる。後ろを歩いているときは死ぬほど苦しいし、すれちがってもその人が歩いてきたところににおいが残っている。そういう人を見ると憎しみすら湧いてくる。

とはいっても、ほんの15年前まではタバコはどこでも吸えた。
私もどこでも吸っていた。
電車で並んでいるときも吸っていた
   だが、いつのまにか喫煙コーナーができ、私鉄は全線禁煙になった
タクシーに乗ったときは、ほとんど必ず吸っていた
   だが、神奈川、東京のタクシーも禁煙になった
初詣で並んでいるときも吸っていた
   こういう奴は今でもいるが、だいぶ減った、
路上は、以前すべて喫煙所だと思っていたが、路上禁煙がどんどん広がっている。

私は何度も禁煙に挑戦したが、何度も失敗した。
でも、禁煙包囲網が最大の契機だった。
数年前に私の勤務先でも喫煙所が極端に制限されるということがあった。例の煙吸収マシン(あれも、すさまじい機械だが…)にかじりついて吸っていた時思った。
「なんで、こんなみじめな思いまでして吸わなくてはいけないのだろう?」
これでニコチンから離脱できた。

タバコを吸える場所を無くしてほしい。今、タバコを吸っている人(=ニコチン中毒患者)も吸える場所が無くなれば、すぐに止められる。
あとは、路上喫煙だけだ。



病理医をめざしたわけ

2008年02月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

死んだ祖父に「お前には女難の相がある」といわれていたせいもあり、「女性がいない職場」というのが、私が専門を決めていく上で大事なこととなった。
おふくろがかねてから言っていたことに、「病院は女の職場よ」というのがあった。今では、男性の看護師も随分増えてきたが、20年ほど前は普通の病棟の看護師さんといえば看護“婦”さんだった。
女性”恐怖症”というか、自分に女難の相があるといわれて育った私にとって、社会生活を送る上で女性は避けるべき存在であった。
というわけで、私が病理医になったわけは、「職場に女性がいない科」を探した結果だった。ほかに、看護師さんが少ない職場というと放射線科くらいしかない。これに、この前の手術実習のときの“病理医かっこいい!”幻想が加わり、病理医を選ぶこととなった。
実際は、病理など臨床検査部門(これからは検査部門ではなく、診断部門に移行するのだが…)には臨床検査技師さんがいて、臨床検査技師さんには結構女性も多く、まあ私の目論見通りとはいかなかったのだが…
後日談はまた別の機会に


老化 今の自分が一番若い

2008年02月08日 | 日々思うこと、考えること

髪の毛が薄くなるにつれ、頭皮に直接当たる冬の冷気が厳しくなってくる。
かといって、寒さそのものに対しては多少強くなったように思える。加齢のせいで鈍感になったからか?


北京五輪馬場馬術に67歳で出場することが決まった選手がいる。体力の向上、精神力の向上を常に心がけていれば、日常生活において加齢というものはあまり関係ないかもしれない。
でも、その選手の髪の毛はふさふさだったな・・・やっぱりハゲはダメなのかな?


ハゲが改善されなかったといって、施術料などでとられた500万円近くをとりかえした人がいた。その精神力たるやすごい、加齢などどこ吹く風だ。

そもそも500万円以上も髪の毛に投資したということがすごい。
人間のエネルギーなんてどこに潜んでいるか、わからない。


膝痛、老眼、禿頭、物忘れ、老化は放っておけばどんどん進む、だけどどうやって受け入れ折り合いをつけていくか。
今が、一番若い、その思いを常に持って、前向きに生きていきたい。


公共の感覚

2008年02月08日 | 日々思うこと、考えること
朝の駅前、急に駅舎と道路が浮かび上がるようにみえた。それと同時に「あ、人間って、こうやって地球の表面にコンクリ貼って、線路伸ばして、建物を建てて、それをみんなでやってるんだな」と感じた。
冬の寒さがそう思わせたのか、ただ単に年を取ってそんな思いができるようになったのかは、わからない。
人は一人では生きていけない
というのは、当たり前のことで、ほかの動物のように毛皮も牙も翼も無い。異常に未熟な状態で生まれ落ち、けっして一人では育つことはできない。
”成功者”の中にはあたかも自分ひとりの才覚でそこまで至ったかのような態度でふるまう人がいるが、それは間違いだろう。
これまで、営々と築かれてきた人類の財産の上に乗っかっているにすぎない。
だから、人間に上下なんて、ない。
誰もが同じ小さな地球の上で暮らしている。
そのことを自覚すれば人と人との諍いはとるにたらないものであることがわかるんじゃないだろうか。
そんなことを思った瞬間だった。