『ブログの書き方』などといって始めたこのテーマ、「書き方2」を書こうと思っていたのだが、いろいろあって、「書き方1」から1か月たってしまった。月日の経つのは本当に早い。
さて、今回のテーマは、ブログの体裁、すなわちスタイル。
体裁(スタイル)とひと口に言ってもいろいろある。だけど、一応、ディスプレイという2次元の世界の中での表現であるので、まあ、枠内にみられるものの形態について考えてみたい。
画面を構成するのは、文字、写真、絵であり、これらは何かの・・・人、動物、物・・・を表現するための手段である。どのような方法で、考えていることを発信するのかで体裁(スタイル)は決まる。
私のブログは、字が多いほうだと思う。
こういうブログというのは、理屈っぽくて面白みに欠ける。
だけど、もっと字ばかりでも内容の面白さでひきつけるものも少しはある。
私がよく見るペットもののブログなどは、写真が多い。紀行系のブログも写真が多いのは当たり前だが、文章が少なくて、ブログ主さんが何をどう思ったのか伝わってこないことがしばしばあり、少々残念な思いをする。
まあ、ひとそれぞれ、自由だし、決まりがあってはブログではないので、別に体裁などどうでもいいといえばどうでもいいのだが、何かの訴えがあり、それを伝えたくて開設するブログであるならば、必ず内容を文字で訴えなくてはいけない。
自分の行っている医療内容をアピールするためにブログを開設するのであれば、どうしても文章主体のブログになる。
だが、そうして文字ばかりだと読者は疲れる。
ここに、ジレンマが生じる。
医療系ブログを立ち上げようとして、自分の専門分野の紹介をするとしても、すでにホームページなどで内容を紹介していれば、ネット検索で来る場所は、自分の勤務先のホームページと何ら変わることはない。
また、”裏ネタ””実話”というのは、よほど気をつけないと、患者さんのプライバシーの漏えいにつながりかねないので、迂闊に症例報告をするわけにもいかない。
ただ、対象疾患に悩む人が多い場合、また、悩みが絶対的に深刻な場合、相談を受けるような形で行っていくことは可能かもしれない。だけど今度はタダということで、相談が殺到したりしてしまうかもしれないし、無診察診断といったような問題も生じる。
ネットは自分が想像している数万倍の人の目にさらされている。誰が何を言ってくるかわからない。”ブログ炎上”はその最たるものだろう。
ブログの体裁、というかスタイルをどのようにするかは、自分の立ち位置をよく自覚、見定めて行って決めなければならない。
さて、今回のテーマは、ブログの体裁、すなわちスタイル。
体裁(スタイル)とひと口に言ってもいろいろある。だけど、一応、ディスプレイという2次元の世界の中での表現であるので、まあ、枠内にみられるものの形態について考えてみたい。
画面を構成するのは、文字、写真、絵であり、これらは何かの・・・人、動物、物・・・を表現するための手段である。どのような方法で、考えていることを発信するのかで体裁(スタイル)は決まる。
私のブログは、字が多いほうだと思う。
こういうブログというのは、理屈っぽくて面白みに欠ける。
だけど、もっと字ばかりでも内容の面白さでひきつけるものも少しはある。
私がよく見るペットもののブログなどは、写真が多い。紀行系のブログも写真が多いのは当たり前だが、文章が少なくて、ブログ主さんが何をどう思ったのか伝わってこないことがしばしばあり、少々残念な思いをする。
まあ、ひとそれぞれ、自由だし、決まりがあってはブログではないので、別に体裁などどうでもいいといえばどうでもいいのだが、何かの訴えがあり、それを伝えたくて開設するブログであるならば、必ず内容を文字で訴えなくてはいけない。
自分の行っている医療内容をアピールするためにブログを開設するのであれば、どうしても文章主体のブログになる。
だが、そうして文字ばかりだと読者は疲れる。
ここに、ジレンマが生じる。
医療系ブログを立ち上げようとして、自分の専門分野の紹介をするとしても、すでにホームページなどで内容を紹介していれば、ネット検索で来る場所は、自分の勤務先のホームページと何ら変わることはない。
また、”裏ネタ””実話”というのは、よほど気をつけないと、患者さんのプライバシーの漏えいにつながりかねないので、迂闊に症例報告をするわけにもいかない。
ただ、対象疾患に悩む人が多い場合、また、悩みが絶対的に深刻な場合、相談を受けるような形で行っていくことは可能かもしれない。だけど今度はタダということで、相談が殺到したりしてしまうかもしれないし、無診察診断といったような問題も生じる。
ネットは自分が想像している数万倍の人の目にさらされている。誰が何を言ってくるかわからない。”ブログ炎上”はその最たるものだろう。
ブログの体裁、というかスタイルをどのようにするかは、自分の立ち位置をよく自覚、見定めて行って決めなければならない。