今朝、スタッフ用廊下への扉を開けたとき、その感覚に気がついた。
私にとっては、空前絶後の学会を乗り切ったものの、虚脱状態となり、差し迫った仕事も無かったせいで、ぼんやり過ごすことができた連休明けだから、よけいに強く感じられてわかったのかもしれない。
仕事のスイッチ、などというようなものではない、ほんのかすかな変化なのだが、体の隅々までが昨日までとは全く違う緊張感に包まれている。
実際のところは、朝4時半には目が覚めたし、なにより連休中には治まっていた胸騒ぎのような動悸が起きがけに再び起こり、この動悸が仕事と密接に関係していそうだということにも気がついていて、職場に到着する前から心と体は仕事モードへと切り替わりつつあった。
でも、その切り替わりの最後の仕上げが、扉を開けるという行為だった。
廊下の奥の病理診断科の部屋の鍵を開け、部屋に入り、PCにスイッチを入れる頃には、身も心も休み前の状態に戻っていた。医局に着く頃には、休み前と全く同じ状態だった。
興味深いのは、この間外見上私には何も変化が生じていない、ということだ。
人間の心と外見というものがこれほどまでに乖離しているのかと、驚く。
もちろん、見た目でもわかるほどの“赤くなったり、青くなったり”などというようなことはしばしばあるが、今日の私の変化は誰もわかるまい。
それとも、職場での私は自分でも気づかないうちに”きりっと”していたりするのだろうか。