この年(48歳)になって、まだそんなことにも気がついていなかったのか、と恥ずかしくなることがある。
昨晩の寝入りばな、家族のことを思って考えた。
「私は、私の家族のことを、ほとんど知らない」
横で寝息を立てている妻の心の内にしても、息子や、娘の考えていることにしても、私はなにもわかっていない。
わかったようでいるだけで、彼らに対して言っていることは、いかにも手前勝手なことばかりだ。
人の考えというものは、自分自身でもわからないほど難しいものだから、他人の私に家族の考えていることなどわかるはずなどない。
これは、家族に限った話ではない。
互いに見知らぬ人同士であれば、その氏素性すらわからないが、心の深淵をうかがい知ることができないという点では、関係が近かろうが、遠かろうが、さほどの違いはない。
「言いたいことは、よくわかる」
そんなのは、大ウソだ。相手の考えていること、意図していることなど、何一つわかるわけがないのだ。
医療という分野で、病気を理解しようとしたところで、病気を抱えているのは患者であって、医療者は患者の病気のごく一部しかわからないし、患者の気持ちなどは全く分からない。
したがって、医療者は患者のことを、意志を持った人間としてみることはできず、病気という、患者が抱えているモノを対象とするしかない。
その、モノに対してどう対応するかにしても、癌であるのか、循環障害であるのか、感染症であるのか、精神疾患であるのかにより大きく異なる。
そのようななか、医者などごく矮小な存在にすぎない。
そのことを自覚して、日々の仕事に当たらなくてはいけない。
あなたは、どれほど目の前にいる人のことが判っているか。
何もわかっていない、ということを知って、すべてのことを始めなくてはいけない。