今回の学会、会場は原爆ドームの近く。
駅前のビジネスホテルに投宿していたので、三日間とも、広電の「原爆ドーム前」で降り、原爆ドームの横を通って会場に通った。
平和記念公園の中には広島平和記念資料館がある。
広島の原爆被爆の記憶が詰まっている。
10年以上前に一度見学したことがあったので、再訪することもないと思っていた。だが、原発事故のこと、竹島、尖閣という近隣国との紛争問題、そして何よりもオスプレイを安全であると言わされる米国との関係を考えるのにいい機会だと思って、昼休みに会場を抜け出し、訪れた。
一番印象に残っているのは爆心地の上空で炸裂している赤い火の玉と、原爆ドーム以外になに一つない広島の市街地の模型。
以前訪れた時と変わらずあった。
ところが、今日はなんだか気持ちが変だ。展示されていた罹災した中学生、高校生のボロボロになった服をみているうちに、自然と涙があふれてきてしまった。
戦争に対して、何の責任もない子供たちが消し去られるように死んでいったのかと思うと原爆という兵器を生み出した人類の愚かさはもとより、戦争のむごさというものを改めて認識する。
今、中国とも韓国とも地域紛争があり、上手に解決できなければ戦争になってもおかしくない状況だと思う。さすがにそうはならないで欲しいが、原子力を保有していることが技術的な戦争の抑止力になっていると発言する政治家が被爆国である我が国にいることを考えると、なにがどう転がっていくかなんてまったくわからない。
十数年ぶりの訪問で、戦争の恐怖を思い出すことができた。
この資料館もやがては戦争の遠い記憶の一つになっていってしまうのだろうか。
それが、記憶の風化であり、人類がまた過ちを繰り返すことにつながる。
私達一人一人が今、できることはなんだろう。