こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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病理の神様なんていないけど

2017年04月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

以前の職場でのこと。

私がある症例の切り出しをしていたら、上司がやってきて「(迅速診断を僕が担当した)その症例、腫瘍が二ヶ所なかった?迅速(診断)の時、腫瘍は一つだと思ったんだよね。外科もそのことを気にしていたからね。ところがさ、昨日、夢にその症例が出てきて、腫瘍がもう一つあるっていうことになっていて。どう?そんなことない?」とやって来た。
「ええ、ありますよ、小さな腫瘍がもう一つ。ほら、ここです。」と、その部分を指で示した。5mm大の、表面から触って微かにわかる程度の腫瘤がそこにはあった。
上司は「そうかー、いやー、わからなかったな。でも、それがなんで夢になんか出てきたんだろう?」
「たぶんそれ、どこかのタイミングで一瞬(腫瘍に)、先生の指が触れていたんじゃないですか?でも、臨床的には大きな腫瘍のことだけに意識が集中していてこちらの腫瘍のことは見過ごしてしまった。でもそこに腫瘍があることは先生の指が無意識のうちに感じ取っていた。そして、脳は反応していて、夢で先生に知らせてくれたのではないですか?」と私は応えた。

こういうことがあると、「病理の神様」がいるのではないかとつい思ってしまう。「病理の神様」に助けてもらったことは、これまでなんどもある。

全く別の施設に異動したとたん、自分の得意な症例が集中して存在意義が確認できた、とか、迅速診断を行っていたら急に目の前がひらけて腫瘍の存在が分かったとか。

”神様”は病理医自身への福音をもたらす存在というだけではなくて、もちろん患者さんを助けることとなる。

”神様”などというとなんだか、曖昧な存在を行っていることになるが、実はこれ全ての職業人に共通したものだ。

全ての真剣な職業人は、多くの局面局面で重要な決断と経験を積んでいく。そして、神の領域に到達する人もいれば、神様の服の袖ぐらいを触れることのできるようになる人もいる。神様=経験値、といったようなものだ。職業の定義は難しいので、ここでは割愛するが、人間誰しも、人様の為に何かできることがあればそれは立派な職業だ。

だから、病理の神様、なんて実際にはいるわけないけれど、病理医として経験を積んでいけばやっぱり神様に出会えるチャンスは増えていくだろう。

次はどんな形で「病理の神様」会うことができるだろうと思うと楽しみだ。

天気の神様は?

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