この秋に開催される学会での講演を頼まれた。
今踏ん張れば、半年後には終息しているだろうということなんだろう。もちろん、そうであってほしいという希望とともにお引き受けはしたが、本当にそんなことあるのだろうか。
医療崩壊が目前に迫ってきて、はじめてこれがどんなことかとわかってきた。人間なんて勝手な生き物で、自分だけは大丈夫という、根拠のない自信があって、それが判断を鈍らせる。
ひと月余り前の3月11日に最悪の先にある最悪を考える という記事を書いた。この1ヶ月の間に私たちは”最悪の先にある最悪”を果たしてどれほど考えただろう。東京オリンピックの延期が決まったのは3月24日。ずいぶん前のような気がするが、実はそうでもなくて、つい最近まで引っ張っていた。それ以上延ばせないという理由があるようだが、1年後に開催というのは可能なのだろうか?
一昨日、明るいことを考えよう!などと威勢のいいことを言ったが、それはそれ、これはこれ。
在宅疲れは早くもピークに達している。子供達の疲れを考えたら気の毒になる。
それでもこれはCOVID-19との戦争だから、私たちは頑張らなくてはいけない。負けたら、40万人が死ぬ。これはCOVID-19による死亡者数だ。医療崩壊によって心筋梗塞とか脳卒中といった急性疾患で救われなかった命を含めたらもっと多くなる。コロナ関連死とでもいうのだろうか。
あと3週間を耐えることができるかが、この国を救うかどうかの分かれ目。
”コロナ後”というのがあったとしても、それは来月再来月にやってくるものではない。社会システムが大きく変わり、パンデミックに強い社会を生み出したあとそれはやってくる。旧態然としたシステムにしがみついていては、日本は世界から取り残される。海外のIT化は目を見張るものがある。すでに遅れを取っている日本としては今回のこの恐るべき自然災害を奇貨として変わらなくてはいけない(災害から学ぶ。奇貨居くべし - 2018年9月5日)。”コロナ後”まで生きのびることができたらの話だが、新しいこの国を見てみたい。
その時のために変わろう