こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

それなりに山あり谷ありの私のこれまで

2023年04月05日 | わたしのこと
私が医者になった頃は初期研修制度がなく、医大を卒業後、私は某大学の病理学教室に直ちに入局し、病理診断学を学びつつ、研究もした。
日本育英会の奨学金をもらって大学院に入っていたのだが、大学院の年限(4年)が終わると同時に、外の専門病院の病理医として出された。
まだ、病理専門医の資格も学位も取っていない状態で放り出された。
送りだされたのが専門病院だったから専門医試験に出るような一般的な疾患を経験することできず、感覚を維持するのには苦労した。
学位の方も研究結果は一応そろっていたものの、論文書きを相談できる先輩とは離れてしまい、ずいぶんヒヤヒヤした。
まあ、周りの人のおかげでどちらも無事取ることができた。
結局、この時以来この専門をいまだにしているが、一時期一般的な病理医に戻ったことがある。
その、戻る時にすがったのが当時当代一の外科病理医という先生だった。
当代一なのだが、大学教授は性に合わないと、やめてすでに在野にあって、ひとり病理医(院内でたった一人の代わりがいない病理医)をしていた。

専門病院で閑職に回され、これ以上ここにいても埒が開かない、一般病理医として再出発しようと決心し、その先生のところに押しかけたのだった。
新人時代にお世話になったこともあり、嫌われてもいなかったからだろう雇ってもらえることになった。
丁稚奉公とは言わないが、ヒラでもいいと思っていたが、医長で雇ってくれた。

そんな調子で一般病理医として再生してもらったわけだが、何せ20年近く一般病理からは遠ざかっていたので、最初のうちはあれこれ思い出すのに苦労した。
先生からは、

 「君も、昔取った杵柄でがんばれよ」

と励まされつつ日々勤めたが、厳しい指導でわれながら情けなくなることも少なくなかった。
ある時など、こんなことを言われたことがあった。

 「どうも君の書く診断の下書きを読んでいると、こっちの調子までおかしくなるんだよ」

何のことかあまりよくわからないでいたが、その意味が最近わかるようになった。
無能な人、というかダメな人間というのは思い込みだけで問題を突破しようとする。
私もそんな人間だったかと、懐かしさと、恥ずかしさと共に当時を時々思い出す。
そんな先生だったが、つい先日も花屋の前で偶然あったりなど、ご縁は続いているようで嬉しい(お花見シーズン最後の日曜日は鎌倉名店ごあんない 2023年4月2日)。

この2度目の修行時代(2016年4月〜2017年3月)のことはこのブログにあるが、かれこれ7年前とは、本当に時間が経つのは早い。
当時のエントリーを読み返すと、最初のうちは調子が良かったが、年末になって大スランプになっている。
何があったのだろう、時間を見つけて読み返してみよう。

今は、そんなことがあったなんて嘘のようにほぼ毎日書いていられるというのは幸せなことだ。
疲れてたのかな?でもそれは今も

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