”こうあるべき”とか”かくあるべし”というような言い方。どこかのお偉いさんが、そんなことを言っているのを見聞きするとなんだかありがたい気がしてしまう。だがこれ実は気をつけなくちゃいけないことだと、夜半に急に気がつきあわててブログにタイトルめいたものを打ち込んだ。その後、寝ぼけた頭で考えているうちにまた眠ってしまった。腰の痛みが気になってなかなかスッキリしない気分だが、このことを今日のテーマにしてみた。
友人と飲んでいる時、「やっぱ、人間こうでなくちゃな」なんて幾度となく言ったことがある(と思われる)が、これって、『お前(たち)もこうしてくれるよな』と要請しているだけに過ぎなかっただけだった。「お前もそう思うだろ」なんて駄目押ししたりしたら、それは無理強い、同調圧力であり、褒められたことではない。
朝の連続テレビ小説「エール」はいよいよ太平洋戦争に突入。観ていて気になることに、いたるところに貼られた戦時中の戦意高揚のためのスローガンがある。「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」みたいな官製”こうあるべき”が、いろいろな場面で画面に写り込んでいる。これが国家による無理強いなのはいうまでもない。ついでにこのドラマでは、音楽も軍需品として利用されていることが強調されている。
個人間での考えのやり取りにおいて、大切なのは、相手の自由な考え方を尊重することだ。相手が考える余裕を空けておくことでやっと対話が成立する。答えは”ハイかイエス”だけの状態では対話は成立しないから、無理強いはいけない。これが国家が国民を抑え込むことをするとなると、国民が考えることをできなくするということもある。それは教育だ。自由とか権利とかの概念そのものを抹消してしまえばいい。恐ろしい話だ。
”こうあるべき”という言い方、普段何気なく使ってしまっているけれど、使うときは十分慎重に行わなくてはいけない。もし使うような場面があったら、その時は相手が「そうは思わない」と返事をすることが可能なようにしておかなくてはならない。そしてそれは、自分の意見とは異なる返事が返ってくることを覚悟しておかなくてはならないということだ。ちなみに、国家がそんなことを要求してきたら、拒否できる国であってほしい。
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