鎌倉駅に降り立ったら、煌々と輝く大きな月が東南の空に出ていて、ちょっと感動した。
駅まで迎えにきてくれた妻にその話をしたら、一昨日の夜は江ノ島まで歩いて行けるほどに潮が引いていて、そのことがテレビで話題になっていたと教えてくれた。
この美しい月、雲さえなければ世界中の人が見ているはずで、それぞれの人はどのような思いを持つのだろう。
ウサギかカニかということはさておき、ぽっかり浮いている輝く月をみて、私は、ただただ美しさに心が動く。
人間社会との対比とか難しいことを考えることはない。
美醜に対する感覚とか快不快というような感情というのは、人間にとって根源的なもので、どんなに強要されても変更のしようがないものだ。
この月の姿は美しいのだよ、といわれてほとんど全ての人が美しいと感じる。
これまですでに人間が根源的に持っている真とか善とか美などというものが普遍的な価値として言語化、具象化されてきているが、それらが含有する危険性を知っている為政者は焚書などによって封じ込めようとしてきた。
AIの進化により、文明は大きな曲がり角に来ている様にいわれているが、ただ単に文明の進歩のスピードがまた早まっただけに過ぎない。
そのスピードに人間がついていくのは大変だろうし、多くの人が取りこぼされてしまうだろう。
私もそうだろうと思うが、ではそんな時人間として大切なのは、自分の中の根源的な感性であって、AIにしてもそこまでは変更することはできない。
社会の電脳化がいかに急速に進行しても、それは表層的なものに過ぎないと知っていたら、それほど慌てる必要はない。
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