先日、剖検(病理解剖)を行なった時に、あることを考えた。
私の病理の恩師はつねづね、
目の前の臓器を見た時、そこにある細胞一つ一つの電子顕微鏡像まで見えるようになりたい
と言っていたが、その真意がわからないままずっとこれまできていた。
でも、その剖検を終えたとき、この方が亡くなられたのはなぜかというストーリーが目の前にすべて浮かんだ。
もちろん、見ただけで詳細まで全てがわかるわけではなく、顕微鏡での所見も必要だし、組織学的検索以外の解析も必要だが、その診断までのプロセスが一つの道として見えたのだった。
その時求められるのは、摘出した臓器を構成する細胞一つ一つの姿だ。
腫瘍があり、炎症があり、壊死があり、その他さまざまな変化があり、その組織像はどうであるのか、細胞はどんな姿をして細胞は生きようとしたのか、どうして細胞は死んでしまったのか、そんなことを肉眼診断の時点で行う。
それと同時に、剖検も、手術検体の診断も、生検検体の診断も、すべて一緒なのだということもわかったのだ。
普段私たちがルーティンワークとして接するのは、手術で摘出されてくる胃や大腸、乳腺、甲状腺、腎臓などの主に腫瘍とか、生検で採取されてくる、消化管の小さな組織、乳腺や前立腺の針生検組織などだ。
生検検体はほとんどが検査技師によって標本化され、私の目の前にはガラス標本のみが出されてくる。
手術検体は、診断に適切な部分を標本化するための”切り出し”という作業を病理医が行い、その後ガラス標本となる。
これらはいずれも内視鏡医や外科医など臨床医が採取してきた検体であるが、剖検では、ご遺体そのものが検索対象となる。
剖検により、臓器を摘出し、その後は切り出しを行い、顕微鏡標本を作成し、検索して、診断していく。
剖検診断から生検診断まで、およそ病理医の行う診断に違いはない、すべての仕事は相互に行き来しているのだ。
60歳直前になって、やっとこんなことに気がついたなんて遅かったように思うが、私にとってはやっと到達できた境地だ。
遺伝子診断を行う、がんゲノム医療に病理医の役割がなぜ大切かということも理解できたような気がする。
やっと次のステージに進むことができたように思える。
これからも病理医として精進していきたい。
ちなみに、ご遺体は切開したところを丁寧に閉じ、何ごともなかったかのうようになってご遺族に返される。
夏至の晴れというのは珍しい日。
そんな日にこんなことを考えることができたとは偶然だろうか。
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