こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

”時計時間”と宇宙の時間

2020年11月05日 | 生き方について考える
目がさめる時刻が夜明けの時間を追い越した。
流れる時間に楯突くかのように人間は勝手に時間、”時計時間”とでもいうようなものを作り、1日、1週間、1ヶ月そして1年と時間を区切って、日々慌ただしく過ごしている。そんな時計時間に縛られてがんじがらめになっている人間に比べて、宇宙はゆったりと時間に身を任せているようにみえる。私が立つ地球も、月も、太陽もそれぞれふわふわと宇宙の中を絶妙のバランスに基づき、相互に影響しあいながら動いている。人間の定めた時計時間と、宇宙に流れゆく時間とは似て非なるものだ。

人間の言う”永遠”は、実際のところ、”命ある限り”、ということと同義だろう。すなわち永遠の愛とは、命ある限りの愛。結婚に際し、”死が2人を分かつまで”という言い回しがあるほどだ。それにくらべて宇宙は、始まりも終わりも人間には想像できないほどの存在だけど、それでも時間に支配されている。なにものも時間に抗うことはできない。
月も地球も太陽も、そして宇宙にしても、やがて(おそらくいつかは)消えて無くなる。宇宙が消えて無くなる時が時間の終わりなのかどうかはわからないが、それでもその先に時間はあって、流れていく。だから宇宙の消滅すらも時間の流れの中の一つの現象であり、自然なことだ。今、人間が地表にさまざまなものを貼り付けるかのように建てたり、地面深くに穴を掘ったりしたところで、時間の流れを変えることはできない。
そんな時間に対して生命は命をつなぐというささやかな抵抗を繰り返し試みているが、その時間は宇宙の時間の流れからみれば、ほんの少しのものでしかない。そして、日々の営為など、いくら頑張っても仕方のないものなのだけど、それでも遅刻しないように出勤し、店を開け、約束の時間に仕事をする。そうやって日々頑張るしかない。不思議というか、滑稽というか。
24時間365日という概念が不要な機械のほうが、人間よりよほど時計時間から自由なところにいる。多くの機械はタイマーがセットされているが、それは人間が利用するもので、そのおかげで機械の都合が良くなるというわけではない。
一番新しいターミネーターでは年老いたシュワルツェネッガー演じるT-800をポンコツロボットに見立てていて秀逸だった。タイムトラベルのなかでもターミネーターは時間の流れとは別のところにいたが、朽ちていくのは万物共通の摂理だった。
しょせんはすべて塵芥

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