今日も寒い。
まだ冬至の前でこれが大寒の頃になったら一体どうなることかと考えると気が萎える。
駅までは毎朝妻に車で送ってもらっている。
野晒しでフロントガラスについた霜をとるため、ゴミ出しの時に車のエンジンをかけてあらかじめ温めておくようになった。
昨晩、NHK映像の世紀バタフライエフェクトで、「戦場の女たち」というのが放送されていた。
先の大戦以降、思っていたより多くの女性が戦場にいたのにはおどろいたが、日本でも先日、女性自衛官への性的虐待が問題になったことを考えると、そのことはもう珍しいことではないのだろう。
男性と女性、どちらが兵士に向いているかというのはよくわからない。
ただ、いずれにしても自らの命をかけて戦うという点では男女に区別はないわけで、その目的は自分の属する国家のためだ。
国家とは何かと言い出すと、ここでは語り尽くせないし、そもそも私はそのようなことを語るだけの知識はない。
ただ、国家を愛する気持ち、愛国心がなくては兵士になることはできないのではないかと思う。
愛国心と一言で言っても、人それぞれだし、年齢や職業、それこそ性別によっても異なる。
私は若い頃、戦争に行けと言われたら行くだろうと漠然と思っていたが、老いつつある今の私が国に対してできることは増税に対応することに変わっている。
これは愛国心の発露であり、愛国心を具体的に表現しているわけではない。
そもそも戦争に行くことは愛国心の発露として正しいあり方だろうか。
とすれば、愛国心とは一体なんなのか。
日本がいい国だ、日本的文化は素晴らしい、といったことを列挙して、だから日本が好き、この国のファンだ、ということでは愛国心を表してはいないように思う。
国土を維持する、同胞を守る、言語・文化を未来に残す、そういったことを目的とするものが愛国心ではないだろうか。
そもそも守るべきものとはなにか、それは命をかけて守る価値のあるものか、というようなことを考えていかなくてはならない。
国は国民をどう守るか
応援よろしくお願いします
>>国土を維持する、同胞を守る、言語・文化を未来に残す、そういったことを目的とするものが愛国心ではないだろうか。
私もそう思います
>>増税に対応すること…
財源の確保に向けての増税に関しては、議論がまるで足りておらず、とても従う気にはなれません
「将来世代に借金を負わせる」
これが正しい表現かどうかも議論が足りていません
もう無視できないほどの多数の医師や専門家がワクチンを危険だ、と言っているにもかかわらず、その確保のために国債を発行し、国の防衛予算は増税で賄う、議論もせず、財務省の方針のみで増税を強いる政治家にこそ、愛国心がないように思います
ありがとうございました
国体を守るために数百万の人が死に、街が消滅し、沖縄では自然の景観や地形までめちゃくちゃになりました。
「愛国心」という日本語には、前の戦争を通して良くない手垢が付いています。
そしてこの言葉を押し付けようとする人に限って、その本末転倒を頭の中に持っているようです。
そのことを忘れて、メディアやネットを使ったステルスマーケティングに流されては、今の状況を考えると、本当に日本文化まで末代に残せないほどのカタストロフィになります。
コメントありがとうございます。
このところ、増税ありきで話が進んでいて、私もそれが当たり前のように考えていました。
流されず、立ち止まってよく見る必要がありますね。
だからこそ、ウクライナは共感をもって支持されるのですね。
正義はどこにあるのかを見極める努力が必要ですね。
自分自身を愛して
家族を愛し
自分の周辺の人々を愛し
その周囲を愛しています
ですから、愛国者です
惑うことなく愛国者です
コロ健さんがコメント欄でウクライナのことを書かれていて、思ったのですが、
愛国心とはなんだろうとか思っている間は、
たぶん本当には愛国心とかは分からないのだろうと思います。
ウクライナの人たちが、命をかけて戦うのは、ロシアに支配されたら酷い目に遭う、と骨身に染みているからだと思います。
そこには観念的な、愛国心ってなんだろうとかという言葉の定義づけとかは、たぶん、ないだろうと思います。
ただただ、明確な恐怖があるのだと思います。
愛国心、というもの、あるいは、
なにかを愛する、という心は、
おそらく、それが「なくなる」ということを理解していて初めて生まれるのではないかと思います。
そういう意味で、愛国心という言葉を危険視する人たちは、「日本が蹂躙される」ということをあまり分かっていないのだろうと思います。
(私もあまり分かってはいないと思いますが、親から虐待されて、お前の人生は俺のもの、逃げるなら殺す、と暴力で脅されてきました。
だから、それがどんなに絶望的か、屈辱的か、そして何年生きてきてもなんの展望も開けない、その恐怖と絶望を知っているのです)
他者(他国)に支配されることがどんなに屈辱的で、日々を恐怖に支配されることになり、何世代先の見込みもなく絶望的か、分かれば、
愛国心とはなんだろう、と考える必要はなくなると思います。
こう書いたところで、だから何かに賛成しろとかなにかを言うつもりはないです。
ただの真実を書いてみました。
コロ健さんの今後の思考の参考になれば幸いに思います。😊
愛国心という言葉が、正しく使われる国であるように考えていかなくてはいけませんね。
愛国者であると胸を張って言えるのが当たり前の国であって欲しいと思います。