こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

名前を貶してしまうのはいとも簡単なこと

2024年05月09日 | 日々思うこと、考えること
昨夜は厚い雲で覆われていた。
東京・横浜の明かりに照らされた東の空はやけに明るかった。
雲はそのまま残り、朝から雨、気温も低い。
フラットコーテッドレトリバーの子犬のアンの早起きに合わせて、5時には家中の窓を開けたが、ひんやりしていて、彼女が夜のうちに移動して寝ていたソファーの毛布をかぶって、ドジャース対マリーンズの試合を視ようと思ったが、お目目ぱっちりとなった子犬が放っておいてくれらわけがなく、結局そのまま起き出した。
アンは各種トレーニング中で、最近はナイトの使っていたクレートに入って寝るようになったので、だいぶ進歩した。

連休中はテレビをつけている時間が長かった。
そうしたら、3日午後の民放のニュースで、1日にあった水俣病患者団体との話し合いの場での出来事が報じられていた。
木で鼻を括ったような環境省の担当官の言い訳、自分の新幹線の時間を言い訳にする環境大臣、という信じがたい言動が流されていた。
はじめはなんのことだかわからなかったが、困惑が絶望に変わるのにそれほどの時間は必要なかった。
その時はほんの短く報道されただけだったが、ついには大臣自らが謝罪することになった。
NHKがこのことを騒ぎ出したのは昨日になったからなので、あの報道を流した放送局がどこだったかは忘れてしまったが、よくやったと思う。

私は環境省という役所が嫌いではなかった。
役所に対して好き嫌いをいうのもどうかと思うが、少なくとも環境省は嫌いな役所ではなかった。
それは、環境問題に対して真摯に取り組み、環境汚染に対しても毅然とした態度で臨んでいる”様に”見えていたからだった。
殖産興業、経済活性化を謳うイケイケドンドンの省庁に対し、それこそクリーンな、清廉、誠実なイメージを持っていたし、大臣になってイメージアップに繋がった政治家も少なからずいたのではないだろうか。

ところが、今回のことで、これまで営々と築いてきた環境省のイメージは地に堕ちた。
その後の報道を見聞きすると、水俣病対策は遅々としており、患者さんの高齢化ばかりが進んでいるようだ。
ヒアリングの場を設けるというのは重要なことで、その場をきちんとしたものに見せることは関係者にとって極めて大切なことだったはずだ。
なぜ役人は余裕を持った時間設定ができなかったのか。
マイクの音を切るなど、小学生でもやらないようなことをなぜ思いついたのか。

宮城県出身の2世議員で、初入閣の71歳の大臣はなぜ、部下である役人の行動を糺すことができなかったのか。

 ”大切なのは、私の新幹線の時間ではない、この方達の声を聞くことだ!”
  
ぐらい言ったら、役人には嫌われるだろうが、そこに集まった人たちからは高く評価されただろう。
大臣自ら謝罪するというが、それだって次回の総選挙への対策の上べだけのもので、反省しているとは思えない。
そもそも何が悪かったのかわかっているのだろうか。
今回のことで、環境省という役所の根本的な立ち位置が明確になった。
そこに環境問題で困っている人間は存在しなかった。役所ありきだったのだと考えざるを得ず、とても残念で、悲しい。
覆水盆に帰らず

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