こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

夢と現と病理診断

2024年01月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日も気温は1度、連日寒い日が続く。
今年初めてメールのやり取りをする人への挨拶も寒中お見舞い仕様に変えて、寒さが厳しくなってきましたが、という書き出しにするようになった。

村上春樹は小説の中に夢を多用する。
夢というのはなんでもありの、小説にとっては飛び道具ともいえるようなもので、使うのは簡単だが、それを読者が納得する形で収めるのは難しい。
それができるのが村上春樹だが、それを使ってしまうためにノーベル賞文学賞が取れないのではないかとも思う。
それでも、夢というのはその人の人格に直結しているし、荒唐無稽な設定の中に放り込まれたとしても、覚醒時の行動パターンが崩れるわけではない。
それは、意識下での意識、というようなもので、覚醒時の意識から連続しているのではないだろうか。

病理診断の仕事をしているとしばしば難しい症例に遭遇する。
私の専門領域である胎盤の病理診断でも、症例によって所見は異なり、いったい何が起きているのかわからず、どのようにまとめていいかわからず、途方に暮れることもある。
そんな時は、その症例はいったんよけて、別の症例の診断をする。
そして、しばらくたってもう一度見直すと、急に病気の本体が目の前に浮かんでくる。
しばらくといっても、これは1,2時間程度のこともあれば数日のこともある。
そして症例によっては夢の中にまで出てくることがある。

時間の長短は別として、この寝かせるというかそういった一旦標本から離れるという作業はまるで夢の世界と現実世界を行ったり来たりしているような感じがする。
実際のところは、夢の中で診断業務を進めているわけではないのに、目が覚めると診断が思いつく。
これは別に夢の中でなくてもよくて、いわば意識下で病理診断を進めているということだ。
同じようなことはほかにもたくさんあって病理診断に限ったことではない。

こんな感覚をより詳細に言語化したら面白い小説の一本も書けるだろうが、残念ながら私にはそのような能力はなく、日々の病理診断書の中で目の前の事象を書き表すことに勤しむしかない。
また一例難解症例が

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