こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

あなたがその程度だからちょうどいいのよ

2021年09月10日 | 妻の名言
昨日の大雨のせいもあるのだろう、ちょっとジメジメしている。
目が覚めた時には雲に覆われていた空、家を出る頃には青空がのぞいていた。
天気予報では今日はいい天気になるとのこと、というかなって欲しい。
日照不足で発育が今一つのプランター菜園のナスやトマト、そして草花に光を!
少し暑さがぶり返してくるらしいので、久しぶりの半袖ワイシャツで出てきた。

このところ講演・講義の資料の締め切りが次から次へと迫ってきていて、アップアップだ。
このブログを書いている時間もないはずなのだけど、まだ書いていられるのだからそうでもないのかもしれないが、これはこれで頭の切り替えだからまあいいか。

頼まれた仕事を断らないというのは、亡くなった父のモットーで、それは私も踏襲している。

”一度断ったら、次は頼んでもらえないよ”

というのは、多分本当だと思っている。
そのせいで、父は膨大な仕事を抱え込んでいたが、なんとかやっていた。
父の足元にも及ばないが、私も分野は違うがあれこれ仕事を引き受けている。
だが、泥縄とも言える仕事の回し方には少々不満がある。

そもそも、それほどの力量がないのに、人様に読んでもらったり、聞いてもらったりすることをするなんてことはおこがましいと自覚している。
困るのは再度仕事を頼んでくる方で、なんで私なのだろう、とその都度思う。

 妻に相談したら、

”あなたが、その程度だから、いいんじゃない?”

と、教えてくれた。

 ”頭のいい人の話って、却ってわからないじゃない。
 それよりはあなたみたいなレベルの人の話の方がよくわかるのよ。”

私が凡庸であるからこそ、私が書いたり話したりする相手にわかってもらえるのだという。
知のトップクラスの人と話すには足りない力量も、私のレベルを求めている人もいるということだ。
確かに、雑誌にしても講演にしても、

 ”わかりやすく解説していただき、ありがとうございました”

と司会者に締めくくられる。
私が唸ってしまうような講演のあとで聞く賞賛の言葉とはほど遠い。

そんなふうに考えてみたら、これまでやってきたことを見る人はみていて、このような仕事であれば、あいつに任せようということになるのだろう。
確かに、私が受ける仕事は書き物が主体で、取りまとめとかそういったことはない。
それ相応のレベルというのがあるということだ。

ならばこの先も気楽にやっていったらいい。
私の力量に見合った仕事が周りの人に期待されていることだし、私もそれを続けることが無理がなくていい。

まずは力を自覚する

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