こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

お役御免といわれるときの気持ち

2021年09月11日 | 生き方について考える
台風14号の影響もあるのか、朝から雨が降ったりやんだり、さらには青空がのぞいたりしたりと忙しい。
妻も洗濯ものを干したり取り込んだりとかで忙しそうにしていた。
そんな姿を横目に私はウェブ開催の研究会に参加した。
臨床系の研究会なので、少しアウェイ感があったが、考え方の違う臨床医の発表を聴くのは有意義だった。

何年か前からこの研究会の世話人を仰せつかっているので、研究会に先立って幹事会というのがあった。
ポロシャツで参加したら、ほかの先生方の多くがワイシャツ、さらにはネクタイ姿でしまったと思ったが、時すでに遅し。
幹事会のメンバーのほとんどが大学教授で私のような市中病院から選んでいただいているのはほんの数名、こういうところで身だしなみの違いが出るのかと妙に納得させられた。
まあ、襟付きシャツであったのだから、良しとしていただこう。

先日、以前いた大学の上司であった教授(今は名誉教授)から、ある別の研究会の幹事を辞めてくれという連絡が来た。
もともとご縁の薄い研究会で、施設を移ってしまって私がその研究会に貢献できることはあまりないし、精神的に負担となっていたし、研究会からしてみると私がその場所を占めるメリットはほとんどなかった。
さらに私の後を襲うことになるのはかつての同僚で、幹事を辞めることに全く異存はなかったし、惜しいとも思わなかったが、ちょっと寂しくはあった。
こういう時の感情というのはどんなものなのだろう。

何もしない、というかできない人間がそこにいたら邪魔なだけで不要だ。
不要であることがわかっているのにそこにいたら、それは害悪以外の何物でもない。
それなのに、こういう時せっかく手に入れたのにもったいないと後生大事にその場所にしがみつこうとしてはいけない。
守らなくてはいけないものもあるが、そうでもないものもある。
そうでもないものはさっさと手放すべきだ。
さらには、多少惜しいと思えるようなものであってもより適任と思える人がいたら、その人に場所を譲るべきだ。
お役御免と言われる時はそれなりに寂しい思いをするだろうが、そうとばかりもいっていられない。
常に自分の力量を客観的に判断し、身を引くべき時にはそうできるようにしていたい。
しがみつかない

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